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上質なモノに触れることの意味

ファッションにしろ、家具にしろ、食べ物にしろ、 「より良いモノ」を求める欲求の本質って、何なんでしょうか…。 個人的には、「見栄」というのも若干あるよなぁ、、とは思うのですが、 誰も入ってこない部屋であっても、できればセンスの良いモノを置きたいな、と思います。 (⇒これは「見栄」とは違いますよね…) それと、個人的に「ブランド崇拝主義」は嫌いなのですが、 モノ自体の「品質の良さ」を気に入って買うのであれば、 それはそれで良いことだよなぁ…、と思ってしまいます。 →このあたりも、今回の欲求に関係しているような気がします。 わかりにくい質問で申し訳ないですが、御意見を頂けるとありがたいです。 よろしくお願いします。m(_ _)m

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回答No.5

こんにちは。 自分がここちよい空間で、過ごす時間って すごく大切だし、落ち着くし、安らげると思います。 なので、自分は、自分がこだわる部分に対しては お金を出して高いもの、質やデザインのいいもの、 自分が直感で気に入ったものを買います。 たとえば、自分が今使っているテーブルは 数十万しました。だからといって何も後生大事に 磨いているわけでもなく、普通に使っています。 ものは、ひとがつかってこそ、価値があるものだと 思うからです。 年末に、革のカバンを買いました。 これも、自分にしては高いものだと思いましたが、 なによりも、ぱっとみてひきつけられたし、 自分がこれから生活していくうえで、革のきちんとした カバンがほしいと、前々から考えていたので いい機会だとおもい購入しました。 たぶん、ブランドではないから、名前を言っても みなさんは、知らないと思いますが、自分が その品質に満足して、デザインがきにいって 何年も、できれば何十年も修理しつつ使おうと思って います。 食器なども、いいものを数少なく持っていますが、 けして、飾っているだけではなく普段のくらしに つかっています。割れてもいいと思います。 なによりも、その食器を使っている時間の自分の みちたりた、まったりとしたいいきもちをお金で 買えるのだから、たとえば1万円のグラスでも 10回つかえれば、1回の満足感って1000円です。 安いと思います。 自分は、ほとんどインスタントや冷凍食品や ファーストフードや出来合いの惣菜を買って食べませんがそれらに費やす1000円をいい食器や、家具、 服、道具に、使うほうが、有益な気がします。 個人的な意見ですが、参考になれば幸いです。

coffeefreak
質問者

お礼

>たとえば1万円のグラスでも 10回つかえれば、1回の満足感って1000円です 「1回の使用に対する満足感」という考え方、とても参考になりました。 確かにそうですよね、、食べ物だったら「おいしい」って思っておしまいですが、 後々継続して使っていくものに対しては、そういった考え方は是非、すべきですよね。 なんか、これまでの価値観が、ちょっと変わった気がしました。 大変参考になる御意見、ありがとうございました。

その他の回答 (9)

  • You_Wing
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回答No.10

初めまして。 私なりに考えると… 機械式腕時計を好きで使っているのですが 徐々に高価な物になって来ました。 私は、「それに見合った人間になりたい」 「それを使うに相応しい人間に近付いた」 …と感じるからこそ、「欲求」が絶えないのだと 改めて思いますね… だからこそ自分には、明らかに相応しくない物は 購入できるお金が有っても買わないし… 「所有した時の落胆」が待っている事が明らかなので 時期を待ちます… 何を言いたいのか…まとめないといけませんね。 良い物を持つ事によって、目が肥えて… 人のレベルを物から判断できるようになる。 一言で言えば…「成長」ですね。

coffeefreak
質問者

お礼

良いモノを手に入れると、「それに見合う人間になろう!」 …って思うこと、確かにありますよね。 自分の持っているものは「その時の自分を映す鏡」と捉えて、 自分を客観視する、良い指標にしていきたいなと思いました。 とても参考になりました、ありがとうございました。

  • y-k-m
  • ベストアンサー率36% (365/1003)
回答No.9

見栄でもなく、ブランド崇拝でもなく上質なものを求める。それは美意識だと思います。 人間、食うや食わずの時は美意識どころではありません。近代以前の労働者、開発途上国の一部の人々、戦後の日本、など。。。 雨つゆをしのぐ家があり、食べ物が足り、ゆとりができた時、人は美を求めます。求めない人もいますが。 上質なものを与えられて育った人間は、上質な物を求める欲求が強くなります。 上質なものに触れずに育つと、自分の目や、舌で判断出来ないので、ブランドに頼って質を判断するしかありません。

coffeefreak
質問者

お礼

>「美意識」 「美しいもの、上質なもの」それ自体を求める欲求、という意味に解釈しました。 欲求の解釈って、捉え方次第ですよね。 一番ストレートに考えると、この考え方になるのかも知れないな…と思いました。 御意見、とても参考になりました。 ありがとうございました。

  • nemosan
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回答No.8

「良いモノ」は「使って気持いい」からでは? 欲求の本質はヤッパリ「快楽」でしょう(笑) 「快楽」は貪欲ですから、後戻りできません。 でも「快楽」の質は変化します。 「ある」より「ない」が楽しい!という時も来ます。 ところで、「ブランド」はメーカーの品質保証ですが、 そのメーカー自体の保証では無いですね。 「雪●」「■菱」みたいに180度反転することもある。 メーカーが良い物を作り続けるためには、お金を貢ぐ 「所有する快楽者」の存在も否定しませんが、 無批判はいけませんね。メーカーが堕落する元凶ですから。

coffeefreak
質問者

お礼

御意見ありがとうございます。 >「快楽」 やはり、突き詰めるとそれが本質なのかも知れませんね。 いろんな欲求が組み合わさったもののようにも感じるけれど、 それらの根底にあるのはやはり「快楽」なのかな…?と思いました。

noname#10008
noname#10008
回答No.7

電気製品とかは、中古とか、普及タイプの最もやすいのをかって使い倒します。 その重くてごっつい物体は何?4-5年前にかったデジカメです、、、 で、かっこ悪いこと この上ないです。 映ればいい、動けばいい、走ればいい…です。統一感も何もなし。 食べ物は、原料に近いものほど美味しく、結局家で作った単純なおかずが一番美味しいです。 野菜は、行商のおばあちゃんが自分の家で作ったもの、ゆでるか煮るかいためるか。 魚は魚屋さんと相談してやっすい新しいもの、家でおろして刺身か 塩焼きくらいしかしません。イワシを開いてチーズか何かはさんでパン粉つけてトマトソースで、ハーブが何とか、とかは うちではありえません。有機無農薬おとり寄せもありえない。 肉は肉やさんが自分で切ってるものを買ってます。とりのももにくを挽いてくださいとか、自由に たのめるのもいいところです。スーパーの特売には行きませんが結局やすくついています。 バター風マーガリンとか、各種ドレッシングとか、そういうのは 要らないので 冷蔵庫も原料ばっかりで がらーんとしています。 お菓子も、食べたくなったら 買いにいくよりもつくったほうが早いものばかり。コンビニでこじゃれたデザートを買うお金で どんぶりいっぱい鍋いっぱい作れます。 私は、上質も価格も あまり 追及しないです、 種類が少ない あるものをめいいっぱい使い倒します。 机は デザインはぶさいくなうえに、割れてます。 お客さんが、これ割れてるけど何?ときくので、こういう事情で割れたんだ、といってます。 その上に、空き瓶に差した その辺の草ばなを載せたりしてます。 ブランド物を下さる方もいますが、気に入らないものはあげたり寄付したりで処分し、気に入ったものはありがたく使っています。自分でお金を出すほど欲しい物はありません。 5万円出して 世界中に 同じモノをもってる人がいる(ブランド)というのと、うちの割れた机や不恰好なデジカメと同じ価値です。 ご質問については、上質なものに触れると幸せ、という個人の好みの問題 なのだとおもうので。。。

coffeefreak
質問者

お礼

率直な御指摘、ありがとうございます。 >個人の好みの問題 確かにそうですよね。結局は個人個人の価値観の問題なのだろうなぁ、と思います。 あと、「何を上質と見るか」ということもあるかと思います。 rony2さんの言われる「原料に近い素材」も、見方によっては、 コンビニで売っている大量生産の製品とは、 比べ物にならないくらい上質なものだと思えるからです。 「モノを有効活用すること」に価値感(幸せ)を見出す、 という考え方、とても参考になりました。 貴重な御意見、ありがとうございました。

回答No.6

「ブランド崇拝主義」も、 「上質嗜好」も、 雑誌やメディアの受け売りによる部分も大きいと思います。 「ブランド品を持っていないと格好が悪い。」 「上質にこだわらなければ知的ではない。」 と、常に危機感をあおって信者を引き付け続けるのだと思います。 「見栄」どころか「洗脳」だと感じています。

coffeefreak
質問者

お礼

>「見栄」どころか「洗脳」だと感じています 現代人は多かれ少なかれ、 いろんなところで洗脳されているのでしょうね。 メディアやメーカーによる煽動は大きな問題だと思いますが、 それなくしては、現代の市場経済自体が成り立たないのかも…とも思いました。 もしかしたら、私もすでに洗脳されているのかも…(笑) 異なる切り口からの御意見、とても参考になりました。 ありがとうございました。

noname#26886
noname#26886
回答No.4

思いついたことを書きます。回答になってないかもしれませんが…。私は自己満足だと思っています。 ブランド云々よりも品質の良さは、たとえば丈夫だとか長持ちするとかいうことにもつながり結局お得、っていう場合ありますよね。よい羽毛布団なら10年以上もつとか、ロレックスなら孫へ伝えられるとか…。そういうものは品質の良さを常に実感できて満足です。この時期カシミヤのセーターはやっぱりラムウールなんかと違ってホント暖かくて嬉しいです。 また、安いものを買って次々買い換えるっていうのは結局ごみを増やし環境に悪いけど上質なものを長く使うっていうのは物を大切にする心も養うし大事な事だと思います。そんな自分を分別のある人間だって思うのが自己満足ですよね…。 そして、いいものはそれなりに高価ですが、高いからいいものとは限りません。私も「ブランド崇拝主義」ではありませんのでブランドに関係なくいいものを見分けたいと思うし、そのためにはいいものにたくさん触れなければいけない。そして、自分がいいものにめぐり合えたり、いいものを選ぶ事ができたら満足ですよね…。見る目があるわって。 まぐろだってピンキリで高級本まぐろは確かに美味しい。牛肉だって輸入牛より黒毛和牛が美味しい。食べ物も美味しいものを知らない人や、何食べても同じって人もいるから美味しいものは美味しいわって自分の口が肥えてたら満足です。 個人的にいえばいいものをこっそり自分だけで楽しみたいっていうのがあるから私は見栄でそういうものを選んだりはしませんね。やっぱり自己満足です。

coffeefreak
質問者

お礼

>自己満足 最終的には、やはりコレに尽きるのかも知れないですね。 良いモノを求めること、手に入れることで、 自分自身を高めることにもなるし、そこに満足感も得られる…。 他人に対してどうこう、というわけではなくて、 「自分がどう感じるか」が大きいのですね。 だいぶモヤモヤが溶けてきました。 とても参考になる御意見、ありがとうございました。

  • yu-taro
  • ベストアンサー率39% (3209/8203)
回答No.3

  こんばんは。  私が好きなものには、一点豪華主義という考え方があります。  高価なブランド品を並べたり、着飾ったりせずに、何か一つをこだわりの高級な物にするということです。  例えば、ファッションでは、靴に特に良い物を履いたり、文房具では、質の良いボールペンや万年筆を持つ。食器でも良いお皿を所有して、気に入ったときに使用する。  こんなように何か一つのこだわりということが筆質の良い物にたどり着くということになると思います。  品質の良い物は名前が知れ渡り、いわゆる信頼できるブランドとなるのですが、人に見せて自慢するためのものではなく、自分の気持ちの安心感とゆとりをその品質の高いブランド品を持つことによって得られるということに活用したいと考えています。

coffeefreak
質問者

お礼

御意見ありがとうございます。 >一点豪華主義 なるほど…、確かに全部が全部良いモノにしなくても、 一点が豪華なだけでも、気分的にはかなり違いますよね。 むしろ、その一点の良さが際立つという点では、 そのほうが上かもしれないですね。 >自分の気持ちの安心感とゆとりを… 同感です。 私自身、良いモノを手にすることで、 自分なりに「心地よさ」みたいなものを求めているのかなぁ…と思いました。 御意見とても参考になりました、ありがとうございます。

  • kuma-ku
  • ベストアンサー率54% (1558/2845)
回答No.2

こんばんは 難しいテーマですが、お邪魔いたします。 その人が「良い」と思うモノ、が必ずしも見栄やブランドに繋がる訳ではないと思います。 本当に良いと思ったモノには、その人が付けた価値が与えられ、それが必ずしも市場の価値に結びつくかは、微妙です。 例えば、「ピカソの絵」を、数億出しても欲しいと思う人、数千円出しても欲しくない人、人それぞれの価値基準は様々です。 ただし、一般的には「ブランド」と言うマジックにかかってしまう人が多く、本当にその価値を自分で決めて手に入れたわけではなく、「ブランド」ありきで価値を付けてしまっています。 確かに、高価な「ブランド品」は、デザイン、製法や味など、量産品よりも優れた所はあります。 しかし、現在の日本で一般人が求めるモノは、そうした価値を見極めた結果の「ブランド品」では無く、「ブランド品」だったから価値が付いてきた、と言わざるを得ない状況です。 結局のところ、「良質・上質なモノに触れる」と言うことは、そうした「ブランド」のネームバリューに頼らずに、自分自身の質・価値観を高めることだと考えます。 読みにくい文章になってしまいました。 ごめんなさい

coffeefreak
質問者

お礼

>ピカソの絵 確かに(笑)。 きっと私は、1000円でも買わないだろうなぁ…。 (実際の所、ピカソの絵の良さって、どこにあるんでしょうねぇ…うーん。。) >自分自身の質・価値観を高めることだと考えます 「良質なモノに触れること」が、 「自分自身の質・価値観を高めること」につながっている、ということなのですね。 世間の流れ、他人の価値観に惑わされず、 「自分自身の価値観」を磨いていく必要がある、という考え方に、とても共感しました。 御意見、とても参考になりました。ありがとうございました。

  • SUPERS
  • ベストアンサー率42% (26/61)
回答No.1

あくまで個人的な見解ですが、 名誉欲、支配欲、所有欲でしょう。 混合しているかもしれません。 「イイものを所有している優越感」が一番強いかな。 眺望のよい超高層高級マンションは、まさにこの一点が売り です。これでステータス満足度が上がる。 ただ、自己満足と紙一重です。 コレクターは、自己満足の極みでしょう。 特にレアものを手に入れたら、何時間でも眺めていられる らしいです。 参考にならなかったらすみません。

coffeefreak
質問者

お礼

早速の御意見、ありがとうございます。 >優越感 なるほど、これは「見栄」ともちょっと違う視点のようですね。 (あくまで「自己満足」である、という点で…) 「モノ自体の良さ」に対する欲求ではなく、 そのような「良いモノ」を持っている、という「優越感に浸れる状態」に対しての欲求、というモノもあるのですね。 あと、いくつかの欲求が複合している、 というのも確かにあるなぁ、、と感じました。 御意見、とても参考になりました。ありがとうございました。