• ベストアンサー

自分の支持する政党に友人に協力してもらうという認識は間違っているのでしょうか

指摘をいただいたので質問します。タイトルのとおりなのですが、自分の支持する政党に友人や知人に協力してもらうという認識は間違っているのでしょうか。 もちろん、協力してもらうといっても、金銭を渡してとかいうものではなく、あくまで、納得してもらえるよう対話をするというものなのですが、どうなのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.7

基本的に人間関係というのは、自分と相手があって成立 するものなんですね。 相手の立場を尊重しないで、自分の欲する議論だけを 押し付けるのであれば、友情の度合いによっては、 相手が離れてしまうのは、自然の道理かと思います。 そこで、私からのアドバイスは二つです。 一つは、政治の議論をしても人間関係が壊れなくなるまで、 友人との交友関係を深めるようにすること。 もう一つは、政治の話ができる友人と、そうでない友人を きちんと区別することです。 二つ目のアドバイスについて補足しますと、基本的に 政治の話は、人によっては、極めてうっとうしいものだ ということを認識してください。 あなたが、いかに正義の議論を振り回そうとも、そういう 議論をすること自体が、押し付けがましく聞こえてしまう 人がいるのです。 よってそういう人には、普段は政治抜きのつきあいを しておいて、選挙の時だけ 『自分が世話になっている人から頼まれているから、  悪いけど協力してくれないかな』 と頼むだけで、よいかと思います。 まあ、この方法は田舎で自民党がやる手法とまったく 同じなのですが、特定政党に投票してもらうのが、 質問者の方の目的のようなので、縁故関係で縛るという 手法は、極めて有効でしょう。

cororo
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 返信が遅くなり申し訳ありません。 本音を言えば、私は人が好きです。 だから、たとえいいことだと思うことでも、それを隠して交友するということは、その友人を利用することになるのではないかと思ってしまいます。 私がいつも悩むところです。 でも悪いことをしようとしているわけではないと思いますし、先に言ったこととは違った角度で相手のことを思うのであれば、人間関係が壊れなくなるまで友好を深めることも大切だなとも思います。 また、相手がどういう人かをよく認識するということは私に欠けている部分だと思いました。 根っこには自分がどのような判断基準であったとしても、また、評価が低かったにしても、よしんば評価が高かったにしても、他人と差があるということを判断されるのは好きではないもので、だから、友人にたいしてもそのような判断は持ち込みたくないと思うのですが、これもまた相手のことを慮るのであれば、大切なことだなと思いました。 私の思うところは、感情論なのかもしれません。 よくよく思索して見ます。 年末の忙しいところ大変にありがとうございました。 良いお年を。。。

その他の回答 (6)

  • guramezo
  • ベストアンサー率48% (370/759)
回答No.6

すみません、訂正します。 #4、#5の回答は、私(#2)です。 「#1です」と間違って書いてしまいました。 cororoさん、誤解をさせてすみませんでした。 maresuke1209さん、名前をかたったようになって、すみませんでした。

cororo
質問者

お礼

お気になさらずに。 先ほど書き忘れましたが、良いお年を。

  • guramezo
  • ベストアンサー率48% (370/759)
回答No.5

#1です。 政治の議論は、選挙の時だけに行うものではありません・・・というより、選挙の時だけに取って付けたような議論をする方がおかしいと思います。 選挙の時にする議論は、当然「投票の勧誘」ですよ。 このようになるのは、政治家や政党が間違ったやり方をしていることが、ご質問者のように、友人に嫌がられるような事態を招いているとさえ言えるかもしれませんね。 選挙前に急に行われる「報告会」「講演会」やら、「マニフェスト」など、普段の活動でやるべきであり、選挙とはその集大成の成果を国民に問うものなのです。 「泥縄」だから、国民も政治を信用しないのです。 私は、選挙運動など、全く参考にしませんね。むしろ、選挙のときに言うことは「票を稼ぐための出まかせ」という認識で、かえって信用しません。 ご質問者も、普段から議論していれば、選挙の時に投票依頼などしなくても、共感する人は投票するし、しない人はしません。 アメリカの大統領選挙のような、「お祭り騒ぎ」の選挙なども見習ってはいけないと思います。 あんなことをすれば、冷静に判断する以前に、「陶酔」してしまいますから。 最後に、「好悪がはっきりする」政党こそ、相手の気持ちを思いやらないと、自己満足になってしまうのではないでしょうか。

cororo
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 返信が遅くなり申し訳ありません。 大変参考になりました。 普段から議論するということは、私にとってハードルが高いものがありますが、そのとおりだと思います。 また、相手の気持ちを思いやるということは、できるようでいて、ものすごく難しいと思いますが、普段から議論するということも含めて、自分にどこまでできるのかまずはしっかり思索してみたいと思います。 ありがとうございました。

  • guramezo
  • ベストアンサー率48% (370/759)
回答No.4

#1です。 >より政治的な保護が期待できる政党だから友人のためにもなると思うのですけど ⇒というのは、決してあなただけでなく、友人も自分が最もいいと思った政党に投票しているわけです。 先程も言いましたとおり、政治についての議論は結構なことです。 しかし、「投票の依頼」は、議論の結果であって、先に「依頼ありき」では、友人も離れていくと思います。 議論があってこその「投票勧誘」でしょう。 >私の信条には共感できなくとも、友人としての付き合いが続けられるのでは ⇒支持する政党が違うと友人でなくなるのであれば、私なんか友人がいなくなってしまうかもしれませんよ。 やはり、「信条についての議論」と、「投票への勧誘」を、混同されていると思います。 普段から政治について議論を闘わせ、その結果相手があなたの主張に共感し、同じ政党に投票する、ということになるのです。 あなたはそのつもりでも、書かれている内容から判断しますと、「投票への勧誘ありき」の議論になっているのではないでしょうか。 >私もいろいろと友人を失いました ⇒政治の議論をしたといって、友達が失われることは考えにくいですね。 私から見ますと、どうもこれは「信条の違い」ではなく、「人間関係に対する姿勢の違い」のためと思えて仕方がありません。

cororo
質問者

お礼

なるほどと思いました。 少しだけ補足すると私の支持する政党は好悪がはっきり分かれる政党で、議論さえできずに離れていってしまった人が多かったのです。 ただよくよく考えると、先に依頼ありきという気持ちがあったのは事実だと思います。 ところが少しだけわかりません。 政党についての信条について議論することは選挙時期であれば投票への勧誘が目的になるのは必然的になると思うし、、だから、違う信条のもとの二人が議論すれば、お互い自分の政党に投票してもらうために議論することになるのではないでしょうか。 でも、もしかして、こういう風に考えて、人と対話すると#2の方が言われていた押し付けと思われてしまうのかな。 ではどうすれば、互いの共感が生まれる対話ができるようになるのでしょう。 guramezoさんは具体的にどういった議論になるのでしょうか。

  • silpheed7
  • ベストアンサー率15% (1086/6908)
回答No.3

>私の言う「協力」とは選挙に投票してもらうことです。 過去の発言から想像するに、某党ですね。はっきり言って迷惑です。 他人の信条に関わるべきではありません。

cororo
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私は自分の信条がすべて正しいとは考えていません。 そう思うことって独善ではないでしょうか。 それを避けるためにも、対話をすることで他人の信条を知ることも必要なのではないでしょうか。 つまり、関わることになるのだけれども。

  • guramezo
  • ベストアンサー率48% (370/759)
回答No.2

政治に関する主義主張を公言するのは自由です。自分の信念を友人に話すのも自由です。 しかし、自分の主義主張に引き込もうとするのは、慎重に行う必要があります。 政治や宗教は、信じる人にとっては至極当たり前のことでも、信じない他人からすると、「強引な押し付け」と感じるからです。 議論を闘わせるのはいいことでしょうが、「自分の支持する政党に対して協力してもらう」というのは、ちょっと行き過ぎかなと思います。 「対話で納得してもらえば」といっても、相手からすれば「押し付け」と感じるでしょうね。 例えば、あなたが友人からどこかの宗教への入信を勧められたら、どう感じますか? その宗教の良さを説明されればされるほど、敬遠しませんか? 私も、かなり前ですが、親友から党員への勧誘を受けましたが、それ以来付き合いが疎遠になりました。 やはり、政治の信条より、友人との関係を優先したいので、避けますね。

cororo
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 とても難しいことだと思います。というのも、私は私個人がより楽しく生活するためにも、また、ほかの人が良く生きるためにも、政治を監視することは不可欠だと思うし、(自分の支持する政党にしても)また、選挙になれば、やはり支持する政党が今ある政党の中で、私たちのためになると考えるから投票します。 もちろん、選挙は数ですから、そう考える以上、なるべく多くの友人に話します。 そのため、私もいろいろと友人を失いました。 私としては、より政治的な保護が期待できる政党だから友人のためにもなると思うのですけど、友人がそれを避けるのは辛いものがあります。 私は平凡な普通の人ですし、いつも政治のことばかりいっているわけではありません。 私の信条には共感できなくとも、友人としての付き合いが続けられるのではと思うのは、甘えなのかなとか思ってしまいます。

回答No.1

あなたの言う「協力」とは、選挙に投票することを言うのでしょうか、それとも、政党の活動に参画してもらうということでしょうか? いずれにしろ、どの政党を支持するかは、その支持する人本人が決めること、つまり個人としての信条の問題であって、協力するというのは、表現としては適切でないような気がします。 つまり、あなたが言葉を尽くして説明し、相手が納得ずくであなたの言う「協力」をするなら、それはもはや、協力ではなく、あなたの説得によりその人の信条が変わったということですから、協力してもらうというのは言葉としては適切ではなく、同士となったということになるのではないでしょうか?

cororo
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私の言う「協力」とは選挙に投票してもらうことです。 表現として適切ではないということだったのですね。 実は、選挙で自分の支持する政党に投票してもらえるよう説得することは違法なのかなとか思ってしまいました。

関連するQ&A