欧米の新聞は,ほとんどの記事が記者の名前入りです(署名記事といいます)が,日本は最近まで,署名のない記事が大部分を占めていました。
(例外として,外国に派遣した特派員が書いた記事は,昔からほとんどが署名入りでしたが。)
理由として,日本のマスコミは,報道の仕方として,主観を廃してなるべく客観的であるべきだ,という建前があったからではないでしょうか。
でも,大事なのは「主観的な内容と客観的な事実とを区別すること」ですから,それがきちんとできていれば,「これは記者の個人的な考えです」と断った上で,個人的な意見を載せたっていいわけですし,むしろあまりにも主観的な判断を客観的であるかのように装って書く方が問題だと思います。
そんな中で,毎日新聞はかなり前から「記者の目」という欄で,記者個人の名前や顔写真まで載せて,かなり突っ込んだ個人的見解まで時には掲載していましたし,数年前からはほとんどの記事に署名をつけるようになりました。
もちろん,おっしゃるとおり最終的にはデスクが内容をチェックして載せているわけで,個人の書きたい放題ではありませんが,それでも名前が出ることで,読む側には信頼感が生まれますし,書く方にとっても励みになるのではないでしょうか。
他紙は毎日に比べると少ないですが,それでも以前と比べると少しずつ増えているように思われます。
ちなみに,この点で進んでいるのは韓国で,かなりの新聞が,ほとんどすべての記事の末尾に記者の名前をつけており,それだけでなく個人のメールアドレスまで載せていることも多くなりました。
(了)は,実際にgoo_0102さんがどういう場面でご覧になったのか分からないので,もし違っていたら補足して下さい。
No.2さんのおっしゃるとおり,これでおしまい,続きはないよ,という印としてよく使われます。
実際にはあまり紙面では見かけませんが,ウェブ上に乗っている連載ものの記事のタイトルなどで,最終回であることを示すのによく使われます。
「○○を考える(1)」
「○○を考える(2)」
「○○を考える(3=了)」
こんな感じでしょうか。
お礼
そうですね、意味はそんなだと思います。 ただ日本人も そろそろ ここのメディアの特徴は、こうだ。こちらの新聞は、こう云う傾向にある。と判断力を持ち始めているのでは無いでしょうか? 平等,平等 って言葉には、限界も無理もあるでしょう。 個人的には、もっと個性のある報道体制でも良いと思います。 そして、その判断をする材料に、署名がある事が必然と思います。