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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:贈り物と冠婚葬祭について)

贈り物と冠婚葬祭について

このQ&Aのポイント
  • 贈り物と冠婚葬祭についての要点をまとめました。
  • 贈り物の相手の好みや習慣に合わせることが大切です。
  • 冠婚葬祭では、鉢植えなどの生花や植物を贈ることは避ける方が無難です。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • teinen
  • ベストアンサー率38% (824/2140)
回答No.2

 香典返しの品は「消耗品が良い」と言うのは一般的です。しかしながら,その他の贈り物に消耗品は駄目ということはありません。    病気快気内祝に石鹸を頂いたこともありますし,イベントに協力したお礼にタオルを頂いたこともあります。    白タオルや石鹸は,決して縁起の悪い品物ではありません。ご心配には及びません。ご安心ください。

kokoro_2
質問者

お礼

安心しました。有難うございました。

その他の回答 (1)

  • yuhkoh
  • ベストアンサー率48% (350/723)
回答No.1

 記載のHPを見ましたが、まあ“こじつけにしてはうまく考えているなあ”と、ほほえましい感じです。ようするに、もらって使い道がないものよりも、普段の生活に役立つものを贈りましょうということでしょうね。  さて「香典返し」の本来の意義をご存じでしょうか? まず「香典」ですが正しくは「香奠」と書くように、本来は「香」を「奠(そな)える」という意味でした。そこから転じて、香を買う資金や代金、香に代わる物品も香奠というようになりました。葬儀や法事にかかる出費の一部を村落共同体で負担し、その余りで仏具を菩提寺に寄進したり、病人や貧しい人に施すことにより、遺族が故人に成り代わり「布施」の修行を行うという意味があります。  布施というと通俗的には“寺院へのお礼”という認識がありますが、これはインド語でda-na(ダーナ)といい、仏教以前からのインドにおける基本的道徳律・宗教観に基づくものです(da-naを漢字に音写したものが檀那<だんな>です)。そこで、この基本を知っていなければ布施を理解することが出来ない大前提があり、「持っている者が、持たない者に施すのは『当然の義務』」、「持たない者が持っている者から受け取るのは『当然の権利』」という考えです(普通の日本人からしたらなかなか理解できないでしょうが)。そして布施という善行を積むことにより、死後は安楽な世界に生まれ変わることが出来る。そして受け取る者は、その善行を積むという行為を助けることになる。このような考えです。仏教も布施を修行実践のひとつとして取り入れましたが、そこで意味に違いを持たせました。なにか見返りや、目的を持って布施することを戒め(つまり、徳を積もう、死後安楽な生活を求めようなど)、「ものに対する執着心を捨てるため」の修行としたのです。  鎌倉仏教の中心を担った奈良・西大寺の叡尊(えいそん)や鎌倉・極楽寺の忍性(にんしょう)は、貧窮者、特にハンセン病患者への救済を行いましたが、そこには“文殊菩薩は貧窮者の姿で人間の前に現れる”という信仰にも基づいていました。つまり“上から下に「めぐんでやる」”という傲慢な意識を捨て、互いが礼拝し合う世界こそが浄土・仏の国であり、それを築く実践の第一歩が布施であるという、「仏教徒としての布施」を実行されました。  他者に施す・物を与える時は、どうしても大小にかかわらず「傲慢な気持ち」、「他者の目を気にする虚栄心」、「見返りの期待」が起きます(かくいう私もそうです)。つまり「本当の布施はなかなかできない」ということです。そして、できないからこそ行うのです。なぜならば行わなければ「できない」ということにも気付かないし、それに気付けばそれらの心を反省して、次のステップにもつながるからです。  「香典返し」や「中元」(本来は旧暦7月15日(中元)に故人に成り代わり布施を行うという盆行事のひとつでしたが、いつのまにか贈り物のことを中元というようになりました)の持つ本来の意味を一度知っていただき、やもすると虚礼になりがちのこれらの行為に対して、現代の生活にその本義を生かすにはどうすればよいかを考えていただけたらと思い、お返事させて頂きました。  長文失礼致しました。

kokoro_2
質問者

お礼

ちょっと・・・難しすぎたかもしれません。 有難うございました。

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