- 締切済み
映画ダンスウィズウルヴスが作られた時代背景について
映画ダンスウィズウルヴスはどのような時代背景の中つくられたのですか? どのような時代がこの映画を作らせたのですか?
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
みんなの回答
この映画の時代背景を理解するためにはアメリカの歴史を知る必要があります。(特に西部開拓史) 1.アメリカ大陸には13千年前からアジア系の狩猟民が移住していた。白人がアメリカ大陸に現れた頃には一部狩猟採集民、一部は農耕民として各地に定着し、かなりの文化レベルに達していた。 2.初めて白人を見たインディアンは理由が分からないまま、種族が違うが同じ仲間と考え、食糧(トウモロコシ、豆類、かぼちゃなど)や種子を与え栽培方法まで教えた。初期の入植者はこうして飢えから救われた。(感謝祭は始めての収穫を神に感謝するパーティが起源。パーティにはインデイアンも招待された) 3.インデイアンは一種の共産社会で土地の私有という考えはなかった。白人へも 彼らが必要とするだけ使いなさいという考えで土地を与えた。 4.その後、続々と到着する白人入植者は決して満足を知らない土地亡者(インデイアンから見れば)で、各地で白人と紛争を起こすようになった。 5.1830年土地を大量に必用とした新生合衆国政府は「インデイアン強制移住法」を制定し、東部のインデイアンを全てミシシッピー川より西へ武力でもって移住させた。独自の憲法、学校、文字、教会などをもって白人世界に溶け込もうとしていたチェローキ族も白人から見ればたんなんるインディアンだった。チェロキーの移住は多大な犠牲者を出し(4千人以上)「涙の道」として語り継がれている。 6.一旦インディアンに与えた西部も、更に増え続ける土地需要のため、屁理屈をつけて(条約という形で)インディアンの狩猟地を取り上げ始めた。インディアンは約束違反だといって抵抗した。(西部劇の世界の始まり) 7.1845年、合衆国は神から太平洋の岸辺まで開拓する天命を受けているという考え方が普及した(マニフェスト・デステンイ、明白なる天命)。西へ向かう力は南西部(ニューメキシコ、テキサツ、アリゾナ、カリフォルニア、ネバダなどの地域)を合衆国より50年以上前から開拓入植していたメキシコとの戦争を引き起こし これらの地域を領有した。その後もハワイ併合、フィリッピン領有、太平洋戦争と続き、ベトナム戦争の敗退によってようやく西進の動きが止ったと云える。 ベトナム戦争中に、反対論者は政府の政策の誤りを批判して、西部劇映画を盛んに上映したといわれる。ハリウッド製西部劇では、インディアンは常に理由もなく突然白人を奇声を上げて襲う野蛮人として描かれていた。第二次大戦中の日本軍も 同じ手法で描かれ、日本軍は近代装備の軍隊ではなく、アメリカ軍の待ち構える 機関銃の前に旧式の銃をもって現れバタバタと殺されるのが普通だった。 ベトナム戦争で傷つき、自信を失ったアメリカに反戦ムードとともに、過去を反省する動きが現れ、その後の西部劇のインディアンや戦争映画の日本軍(兵)の描き方が変ってきた。ダンス・ウイズ・ウルブスは新しい西部劇の流れの頂点に作られた映画。(それまでに何本かの新しい西部劇がつくられている)インディアンが固有の文化を持ち、家族愛もある、即ち白人と同じ人間として描かれた。そのためにはインディアンが従来のように流暢に英語を話すことも改められ、「ダンス・・・」ではスー族の言葉が使われている。 が、狭い(日本人の感覚では広いが)不毛の居留地に住むインデイアンの生活条件は何も変ってはいないので ハリウッドの変化が、どれだけインディアンの生活条件の改善、向上に貢献したかには疑問が残る。
- pfm
- ベストアンサー率39% (292/737)
湾岸戦争の前後で愛国心が盛り上がったころ?作っていたころは違うかも。でも受けた理由にはなりそう。