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『天国と地獄』の時代背景
先日BSで『天国と地獄』を放送していましたね。私は中学生の娘と見ていましたが、やはりとても面白かったです。さすが黒澤だなって思いました。 ところで映画の後半に横浜黄金町のシーンが出てきましたが、「娘にすごい所だね、お母さんこんな場所の学校に?!」なんて言われてしまいました。私は、昭和40年代のなかばから12年ほど黄金町を最寄駅とする学校に通っていましたが、ああいう雰囲気の場所はなかったように思えるんですが・・・映画が製作されたのは昭和39年。それから4・5年の間に劇的に街が変わったのか、映画の時代背景が戦後すぐなのか、わからなくなってしまいました。どなたか、教えていただけませんか?よろしくお願いいたします。
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今晩は。 回答でいきなり笑い出したら怒られそうですが、今はまさしくそんな気分です。 それと言うのも、実はこれは既に1番で言われているようにセットで撮影したものなのです。ところが黒澤さんがあまりにもセット造りをやり過ぎて、地元の黄金町周辺の住民からは、「この辺はあんな暗黒街じゃない」と大顰蹙を買ってしまったというエピソードが有るからなのです。 このことは、ネットをちょっと検索して見た限り(40件ほどのうちの半分ほどは確認しました)では誰も言及していません。私は確か芸術祭の公式プログラム「黒澤明の全貌」の「天国と地獄」のページでこれを読んだと思います。 実際に少々怪しいところだったのは否定できないとしても、あそこまでひどくはなかったということでしょう。 ところで昭和60年くらいまでそちらに通われていたとのこと(あれ? 12年と言ったら該当する学校は数えるほどしかないじゃないですか。あ、余計な一言でした)。横浜大勝館も名前は知っていますよね。その後建て直してシネマジャックとベティになったはずです←実は場所をはっきりと覚えていないので特定できていない。あそこにはかなりお世話になりました。とにかくプログラムが並みじゃなかったですから。ついでに中(客)も並みじゃなかったですが (^^; 当然、落語家の桂歌丸さんの家があの辺の置き屋だったこともご存知かと思います。 とにかく、娘さんにはあれは映画の中のことだと話しておけば良いと思いますよ。 それと時代的には制作年とほぼ同じ頃の設定でしょうか。開業したばかりの新幹線も出てきますしね。あの新幹線は撮影のために貸し切りの臨時列車を走らせたのだとか。それでは、ごきげんよう。
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- gootara
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映画(テレビドラマ)では、しばしば行われることですが、 無関係な場所で撮影して、あたかもひとつの街のように見せてしまいます。 駅前の風景は本物だとしても、そのほかの通りはオープンセットだったりします。 なぜなら、作品のイメージに合わせた風景が必要だからです。 今村昌平監督の「豚と軍艦」という作品は横須賀(神奈川県)が舞台ですが、実際の街の様子とは全く違うところがありますよ。
お礼
早々にお答えいただいてありがとうございました。 セットでの撮影というなら納得できますね。重要なシーンで確かに地獄のイメージにピッタリ。 横須賀もなじみ深い土地なのでぜひ、ビデオを借りてきて見てみたいと思います。 どうも、ありがとうございました。
お礼
回答いただいてありがとうございます。 そうですか、そんなエピソードがあったんですね。 市大病院の中とか高台から見た横浜港とか自分の記憶とピタリとはまるシーンがあったかと思えば、酒匂川で牛~?とか黄金町とかあれーっと思ったりして混乱してしまいました。 映画で浜マイクを見た時は「なつかしい」と思ったのですが、「天国と地獄」ではなつかしいを通り越して、愕然です。こんな時代だったんだ・・・なんて。私、ずいぶん昔に生まれてたんだなーなんてあらためて実感しました。 でも、すばらしい映画であることは間違いないですよね。ほんと、スッキリしました。ありがとうございました。