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バッハを専門的に・・・
こんにちは。ピアノを弾いています。音大ピアノ科出て今はアルバイトですが、近々教室を開こうと考えてます。 前からなんとなく好きだったバッハ。先月、ムショウに バッハを勉強したくなりました。何というか・・・ 「私にはこれだ!!バッハだ!」と突然感動のようなものが体を走りました。・・・・が、 バッハ演奏トラウマ(暗譜バッチリでも本番で必ず失敗する等)の私。さらにプラスして極度のクラッシク教師恐怖症(今の師匠以外気持ちが受け入れられない)でして、 私自身としては、自分のペースで確実に勉強していくのが 一番合っていると思うのですが、やはり自分ひとりでは まかない切れない事や勝手な思い込み等あると思うのです。 こんな滅茶苦茶な事言っている私ですが、読んで下さった方、アドバイスがあればして頂きたいと思って書いてます。尚、批判などマイナス思考になるご回答はご遠慮ください。宜しくお願いします。
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はじめまして、pomoccです。 バッハの音楽は、私もとても好きです。余分なものが何1つなく、音1つひとつが宇宙の1部となって、大宇宙の全てがそこにあると思っています。 何事も、考え方によって、いい方向に変わっていくものです。私だったら、発表会で毎回バッハがうまく弾けなくても、気にしません。次こそ、うまく弾けるように、もっともっと練習しよう、バッハを極めよう、と思って、さらに自分のピアノに磨きをかける努力をします。そして、次にまた、発表会でバッハがうまく弾けなくても、それでも気にしません。「あーあ、弾けなかったな。でも、それでも、きっと何か大切なものが人に伝えられたかもしれない。それなら、それも素晴らしいこと。」と考えます。 内田光子が以前言っていました。 「人間は機械ではないので、完璧にはなれない。どんなに完璧を目指しても、それができないのが人間であり、またそれが人間の魅力でもある。もし、人間が機会のように、ミスが1つもない完璧な演奏ができあたら、それこそ魅力のないつまらない音楽。完璧を目指すことによって、人間の大切なものが失われてしまうから」ということを。 ようするに、完璧なんて必要ないんです。間違えても、伝わるものさえ伝われば、感動する人がいてくれれば、それでいいのではないでしょうか。shougayakiのピアノを聴いて、おそらく、何人もの人たちが、そこに何かを感じ取り、感動してくれると思います。私は、それでいいと思います。 人前でも演奏とは、聴衆のために演奏するのであって、自己満足のために演奏するのではないです。自己満足のための演奏なら、部屋で1人でいるときに、たっぷりと音楽にひたればいいものです。おそらく、shougayakiさんは、そのあたりのことを勘違いしているのではないかなと思いました。人に聴かせる演奏は、自分のための演奏ではなく、人に聴いてもらい感動を分かち合うための演奏です。ミスがあっても、人がそこで奏でられている音楽に何かを感じ取り、心を揺さぶるものがあればそれでいいんです。 ミスを気にしないというのは、難しいことかもしれませんが、開き直って、ミスを気にしない自分を少しずつ作っていくことも、素晴らしい演奏家になるために必要なことです。 あと「クラシック恐怖症」のことですが、何か辛い経験でもされたのでしょうね。詳しいことはよく分かりませんが、音楽をたくさん聴いて、自分を慰め、いつの日か素直な自分の心を取り戻してください。shougayakiさんがそうなれることを強く願っています。人の考え方は千差万別なので、先生と考え方が合わないのは仕方がない部分もあります。自分が正しいと思ったことだけを受けとめて、正しいと思えなかったら、その理由を模索し、それを糧に、新たな自分の考え方をもてばいいのではないでしょうか。 私は、ポーランド音楽(ショパン、シマノフスキ、ルトスワフスキ、ペンデレツキ)を研究している者ですが、他の人の考え方を批判することもしばしばありません。批判することで、今までになかったような新たな考え方が得られるからです。 先生というのは、1つのアドヴァイザーであり、「助言者」なので、あくまでもそれは「助言」であって、その助言をどう受けとめ、どのように持っていくかは、shougayakiさん自身です。いろいろな人の意見を参考にして、その中から、いつのひか、shougayaki独自の音楽を創っていってください。
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- v-woo-10
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JAZZ屋のベーシストです(エレキ)。場違いかもしれませんが、、、 バッハは大好きで、無伴奏チェロ組曲の練習は日課になっています。 クラシックは、「譜面に忠実に」というイメージがあったのですが、CASALSのチェロを聴き、決してそうではないと思うようになりました。 基本的には譜面通りなのでしょうが、自分なりに解釈し、音価を変えたりと、自分の感情の流れに身を任せているような感じもあり、JAZZに共通するものを感じました。 JAZZの世界では「間違い」というのは基本的にありません。確かに、短2度の不協和などのように、「間違ったかも」ということもありますが(笑)、そうした全てを楽しんでいます。むしろ「間違い」という観念が存在しないかもしれませんね。(「間違い」と「出鱈目」は違いますが(笑))。 クラシックに通用するのかどうか判りませんが、「出ちゃった音はしょうがない」ぐらいの気持ちで、音を楽しんでみてはどうかな?と思いました。 余り参考にはならないかもしれませんが、JAZZ屋の戯言ですみません。
お礼
どうもありがとうございました。 JAZZですか!素敵ですよね。普段はあまり聴かないですが 昔たまたま聴いたCDにとても吸い込まれいった記憶が あります。 JAZZの世界(観念)もクラシックにこだわらず音楽の演奏として心に留めておきたいと思いました。
- ademu2
- ベストアンサー率35% (87/242)
私はしがないビオラ弾きですが、年に2度の定期演奏会にOBとして今でも出させていただいております。演目が決まると何をするかというとただひたすら曲を聴きスコアで勉強するということを欠かしません。いろんな人のいろんな演奏を聴いて違いを捜し、どうしてそんな解釈をするのかを推理してみるのです・・なんて専門家ではないので単なる自己満足ですが。 要は人と同じことをしていては単なる模倣でしかないわけで音楽なんてそんなもんではなく100人いれば100通りの音楽があり、また、1人でも100回演奏すれば100通りの演奏があっても良いわけです(と自分では思います)。今は亡き園田高弘が自分の演奏に満足していては決していけない。「良い演奏ができた」なんてコメントするやつはバカものだなんてこともいっております。つまり、演奏に完璧なんてものはなく常に上を目指すものだということです。 てなわけで、向上こそ音楽の進歩に繋がると思います。 がんばってバッハ仙人にでもなって下さい。
お礼
どうもありがとうございました。 色んな人の演奏を聴き比べると違いが良くわかりますよね。練習の一回一回違うように、練習でも心をこめて取り組もうと思いました。そうすればきっと本番でも今までとは違う演奏が出来るかも知れないと思いました。
お礼
どうもありがとうございました。 多分私は「先生」など自分より上の立場に居る存在に 徹底的に弱いのかもしれません。萎縮しやすいです・・・。だから批判やキツイ言葉で全人格否定されたような感じがしてしまのです。 まずそこから見方を変えると結果的に自分の演奏観や レッスンの受け方など前向きになれるかな と、思いました。