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男と女に関するステレオタイプは偏見を生むか

男は男らしく,女だてらに,男のくせに,だから女は...という表現はステレオタイプのでしょうか?偏見でしょうか?そもそもステレオタイプと偏見の間に関係はあるのでしょうか? 男女共同参画社会に関する勉強会で,「紋切り型の発想が好き嫌いの感情や差別意識を生む」という話を聞いたのですが,その考え方そのものがステレオタイプではないかと思います。 逆に感情が先にあって固定観念を作り上げているとも考えられるのですが,皆様の考えをお聞かせください。 また,文献や研究論文などをご存知でしたら教えてください。

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  • nabayosh
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回答No.2

>男は男らしく,女だてらに,男のくせに,だから女は...という表現はステレオタイプのでしょうか?偏見でしょうか?そもそもステレオタイプと偏見の間に関係はあるのでしょうか? 戸籍(肉体)上の性別と、精神上の性別は、大部分において一致しますが、中にはそうではない人もいます。したがって「そうでなくてはいけない」という偏見に基づくステレオタイプだと言えます。しかしながら、この2つの性別の不一致の問題は、近年になって明るみに出るようになったものであり、それ以前は差別の対象であったことは確かです。歴史的に浅い意識改革であることから、従来あった上のような表現は今後どのような形で規制されていくか(悪く言えば言葉狩りです)ということになると思います。 >男女共同参画社会に関する勉強会で,「紋切り型の発想が好き嫌いの感情や差別意識を生む」という話を聞いたのですが,その考え方そのものがステレオタイプではないかと思います。 実に納得のいく説です。確かにそんな考えは自己破綻していますね。たとえばある人が毎日毎日朝食にりんごを食べる習慣を3年続けたとしましょう。ある日よそで朝食をいただくことになり、そこでバナナが出たとします。朝食にはりんごと決めていた人にとっては、バナナは違和感ではないでしょうか。まあ例えが悪いかもしれませんが、人間はそう簡単に環境には適応できないものではないかと思います。今までこれが当たり前だと思っていたものが幻想であったことに気付かされた時、そんな簡単に立ち直れる人はいないと思います。 「当たり前」という(言葉自体は猟師の分け前という意味)感情は、それと違う体験をしたことがないからであり、世の中には当たり前でないことの方がむしろ多いでしょう。しかし、それがなければ、人間は概念形成をする力を持たないのではないかと思います。当たり前にりんごだと思って食べているものが、梨だと気付いた時、りんごと梨の区別がつくようになるということです。あんまり比喩がよくないですが。 >逆に感情が先にあって固定観念を作り上げているとも考えられるのですが,皆様の考えをお聞かせください。 私の感じるところでは、憎悪とか愛情とか、そういう段階に入る前の、「違和感/未知であると感じること」が人間の固定観念を形成するのではないかと思います。 性の問題を超えたかなり一般的な論になりましたが、人間の脳の認知のシステムを考えない限り、好き嫌いがどうの差別がどうのというのも、どこかナンセンスだと思います。好き嫌いや差別も、ある意味でその人を形成する要素の一部分だと思うので、それを悪いと決めつけるのもどうかと思います。その人が過去にもっともな体験をしているせいということもありますし、第三者がその人を責める訳にはいかないからです。 私は最近何人かの女性に裏切られましたが、「もし」そのせいで女性を嫌いになったら、それでもその女性嫌いを偏見だと言えるでしょうか。そういうことを言うことが私の心の傷をさらに深めるでしょう。 >また,文献や研究論文などをご存知でしたら教えてください。 思い付くものが手許にないので申し訳ありません。

gongqi
質問者

お礼

早速のお答えありがとうございます。 「違和感/未知」が固定観念を形成するというお考えはなるほどと思います。「無知」もその中に入るのでしょうか。 テレビなどでは血液型や星座の占いや相性判断をよく見聞します。女はかくあるべし的な主張で,生活に思い悩む相談者を叱咤する相談員もいらっしゃいます。 人の弱みに付け込んでよく言うな,と私は感じますが,権威者,お金持ちあるいは成功者として評判は好いようです。 「救いを求める」ということも意識のどこかにあるのではないかと思います。

その他の回答 (4)

noname#33169
noname#33169
回答No.5

質問者さんの、「逆に感情が先にあって固定観念を作り上げているとも考えられるのですが」のご意見、なるほどと思いました。賛成ですね。 すみません、今ちょっと頭が働かなくて、あまり気の利いた意見をかけないのですが、たとえば男女共同参画社会への取り組みで、男の子に男の子らしい名前をつける、女の子に女の子らしい名前を、という習慣から差別意識が生まれるので、やめたほうがいい、という意見をまとめた自治体があったと思ったのですが、そういう純文化的なものと、本当に社会問題化している男女差別をごっちゃにしてしまうと、男女差別解消もうまくいかないんじゃないかと思ったことがあります。そこで、No.4さんのご意見は参考になりました男らしい・女らしいOK、男のくせに・女のくせにNGってとってもわかりやすいと思いました。もちろん、○○は男らしい・女らしいから、そうしろ、という強制になってしまってはいけないのだと思うのですが。 ひとつ、とってもおすすめの本があります。 『男女共同参画の時代』鹿嶋 敬著 岩波新書 データと共に、詳細な考察が述べてあり、とても参考になるのでは、と思います。去年の12月に出版されていますので、大抵の書店においてあると思います。ぜひ立ち読みでもしてみてください。下にURLを貼りました。

参考URL:
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0312/sin_k151.html
gongqi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ご紹介の文献を早速読んでみます。 男女共同参画は名前のつけ方まで問題とするのですか... そういえば,最近の小学校では,出席簿が男女混合になっているようですね。「男が先,女が後という考え方はダメ」ということかな。ただ,あいうえお順は変わっていない。 ローマ字読みでABC...Zの順番とかはどうでしょうか。 きっと名前の軽視と言われますね。(でも人名用漢字として意味のよくない漢字が沢山許可されるよりはまだましかな) ただし,女性の吉田さんや渡辺さんはどの方法でも後の方になってしまいますね。(それはそれで仕方ないということなんでしょうか?) 生年月日順や成績順や体格順だったら,そういう人にも名簿一番のチャンスがでてくるんですけれど... ただ,プライバシーに関するものや頻繁に変化するものは出席簿にはなじまないのでしょうね。 だとすると,男女の別がなく,誰にでも客観的に前後が判断でき,時間的にあまり変化せず,新規性をアピールする方法として混合名簿ができたのでしょうね。 少数者の不利益(?)には目を瞑って... ここにもある種の固定観念を感じるんですけれど。

  • ozisan
  • ベストアンサー率11% (154/1339)
回答No.4

>男女共同参画社会に関する勉強会で,「紋切り型の発想が好き嫌いの感情や差別意識を生む」と・・・の考え方そのものがステレオタイプではないかと思います。 =ステレオタイプなのかどうかは解りませんが、 そもそも「男女共同参画社会」自体が「逆差別」や「逆偏見」の事例を挙げて事業を進めようとしているのでは? と、思いながらも参加していた事を思い出しました。 「良いもの良い、悪きものは改める」なのですが、 私の個人的な意見は、「男らしく」「女らしく」です。 女性が外に働きに出ていれば、家事の手伝いは男でも当然です。 その中でも、男らしく・女らしくは必要であり、 男のくせに、女のくせには必要ありません。 これが私の「固定概念」だとしたら、そうでしょうね・・・ 役所の考える、「統一的見解」には、疑問を持つばかりです。

gongqi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 性別によるステレオタイプには,「男らしく」「女らしく」という中性あるいは肯定的なものと,「男のくせに」「女のくせに」という否定的なものがあるということですね。 それから,そういうステレオタイプを自分の中に取り込んで,個人的な経験や感情が絡まって,偏見となり,固定観念が形成されていく。 勉強会で言われた,(統一的見解かどうか分かりませんが) (1)固定観念+ステレオタイプ->感情->偏見 ではなくて, (2)ステレオタイプ+感情->偏見->固定観念 となるのですね。 私自身「固定観念が行動を規定する」と思っていましたので,(1)だと男女共同参画や差別の廃絶のために「行動」を起こすことができないことになります。(2)だとすると,話の筋道がはっきりします。

  • WOc
  • ベストアンサー率38% (33/86)
回答No.3

>感情が先にあって固定観念を作り上げている 真理だと思います。 と、いうか当たり前です。 完全に感情を排した理論のみの社会システムなんて存在しません。 誰かが必ず不平等なことになる。 その不平等さを「可能な限り」なくすというのが、今の、トレンドなだけです。 問題解決のためには、さまざまな闘争がほとんどのケースで存在します。 対立する両者(もっとあるかもしれませんが)のどちらに自分がいるかで、「差別だ」「逆差別だ」ということになる。 ステレオタイプとか、固定観念という物言いをする人は、 暗に指摘されている通り、新しいステレオタイプを作りあげようとしている。 議論の中での指針を、すでにその発言者の価値観で提示してますし。 そのやり方で、どこを平等のラインにするかとか、 議論をし始めたら永遠に決着はつかないかも(笑) 結局は、声の大きい者や力のある者(責任と義務は負うことになりますが)に有利な形にしかならないでしょうね。 出来上がった社会システムは、柔軟に変更できるようにしておく、くらいがせいぜいベストな解決だと思います。 ま、こう言うと、それでは社会が弱体化すると言い出す人もいるんですけどね。。

gongqi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「日本青少年研究所」などによる日米中韓の高校生の意識調査で、 「女は女らしくすべきだ」を是とするもの 日本約29%,米国約58%,中国約72%,韓国約48%。 「男は男らしくすべきだ」については 日本約43%,米国約64%,中国約81%,韓国約55%。 だったそうです。 この結果が弱体化を示していると言えるのかどうかは分かりませんがどちらでもない,はっきりさせない,というのがご指摘のトレンドなのかも知れませんね。 公平とか個性とか人権とかを個人やグループで手前味噌に解釈して,闘争を正当化しているのでしょうか。

  • W_Wine
  • ベストアンサー率22% (207/929)
回答No.1

私見ですが、相互理解に対する理解不足、つまり他人の意見に耳をかさない態度が問題なのだと思います。 自身の意見を偏見と認めつつも他人の意見を聞き、討論できる人はいます。そういう人は「偏見の持ち主」「ステレオタイプ」と言われることはないと思います。

gongqi
質問者

お礼

早速のお答えありがとうございます。 実は私もいろいろな意見を聞いたり,討論する機会もなく「ステレオタイプが偏見を生む」と教えられたことで今回の質問をさせていただくことにしました。 もともと行政組織がこのような勉強会を開くこと自体が「愚民観」なのではないかと思います。 差別の歴史を考えると,「職業と居住の制限」や「伝染病に対する隔離」は為政者の側の民に対する一方的な価値観の押し付けから生じたものとも考えられるからです。 それが,継続されることによって民の側に偏見が生まれた。だとすると「ステレオタイプが偏見を生む」を鵜呑みにすることは更なる偏見を生むのではないかと思います。

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