• 締切済み

適応障害(抑うつ症)

5年前に鬱病になり子会社へ3年前に出向しました。その後通院しながら平穏にすごせました。ところが昨年の秋に出向していた子会社が合併することになりました。親会社よりも子会社の合併が先行しました。規模も待遇も大きく違う会社同士でしたので実際は「吸収」でした。合併当初から安定剤を服用しながら後始末を約半年やっておりました。その仕事がひと段落した今年の春頃からイライラ、涙がでる、元気が出ない、等の症状が出てきました。過去の病気の経験からこれはいけない、まず信頼できる人に相談しなくては、と思ったのですが勤務先は圧倒的に相手先の人間ばかりで、(正社員では30人対1人くらい)で孤立感が深くなって、症状も緊張感に加え帰宅の途中人を殴りたくなるようなイライラ状態に襲われるようになりました。精神科にも再度通院したのですがよくなりません。(薬は、トレドミン、レキソタン、ホリゾン、ソラナックス)就寝前に安定剤はすべて飲んでいるせいか不眠はないのですが朝の目覚めはよくないです。会社には通院していることや過去の病歴は話してあります。無理はしないように、とは言ってくれています。対等合併なのに、すべてを相手にあわせなくてはいけないというジレンマ、周りに愚痴をこぼす相手がいない孤独感。「適応障害」を調べると、環境を修正するか、休息をとりながら現在の環境にあわせていくか、どちらかしか方法がないみたいです。薬だけの治療ではなくカウンセリングも受けることにしました。会社は、月に3~5回程度休んでしまっています。残業は7時までには終えるようにしています。それでも疲労感が激しく帰宅後や休日はほとんど寝ています。最近はどこの業界でも合併が多いですがそこで働く人たちはうまく適応しているのでしょうか?この程度の状態は我慢するべきなのでしょうか?

みんなの回答

  • usako178
  • ベストアンサー率25% (4/16)
回答No.2

適応障害ですか・・・。 大変ですね。 適応障害っていうのは、社会等いろいろな環境に対しての適応能力が弱い事から、自分に無理をさせすぎてしまい、結果的に抑うつ症状などが出てしまうようです。なので「うつ病」と間違えやすいのですが、違うんですね。 治療法はpomrmaruさんが書かれていたように、環境を変えるか、今の環境に少しずつ体を慣らしていくかですね。 でも今の状態を耐える必要なんてないし、耐えなければいけないこともないんです。 逆に、今の環境に無理してあわそうとするともっと悪化する可能性があります。 「環境にあわせなきゃ」とか「もっとがんばらなきゃ」とか自分を追い立てないでください。 精神科にも受診されているということですので、 お薬を飲んで、ゆっくり休んでください。 無理すると今度は本当に体が起きれなくなってしまいかねません。 もっと悪く言うと(脅すわけじゃないんですが)入院 なんて事にも・・・。 最終的には、自分自身の力で対応していけるように持って行かなければならないのですが、今現在出来る事は、無理してあわせたり、耐えたりする事ではなく、 ゆっくり休む事です。 でもきっとよくなります。 主人も4年間適応障害で苦しみましたが、今は立ち直って病気の原因になった仕事へ復帰して毎日頑張ってくれています。 あせらず、ゆっくり、ぼちぼちですよ・・・。

pomrmaru
質問者

お礼

ありがとうございます。 5年前の職場不適応(と一言で片付けられる内容でもなかったんですが)に比べると、今は周囲の理解もある程度あるし、休むほど悪いのか自分でも悩みます。日によっては、もう駄目と感じたり、耐えられるかなと思ったり、でも良くはなっていない感じがして休むのも選択肢かな、とも思います。主治医(変えたばかりです)やカウンセリングの先生とも相談してみたいと思います。 あせりが悪いことはよくわかってるつもりですが、やっぱりあせってしまいますね。

  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.1

鬱の時は、変化に対応できないのが普通です。 ですから上手に波に乗れなくて正解です。 適応障害で大正解なんです。 じゃあ、逆に「適応できている状態とは何か?」ですが、 セルフ・コントロールが出来ている状態です。 セルフ・コントロールとは、決して無批判に相手に迎合することでもありませんし、かと言って無意味に敵対することでもありません(感情の言いなりになることではありません) まず会社の力関係にこだわっている時点でアン・コントロール状態です。 「合併」の実体が「吸収」であったことにこだわっているのもアン・コントロールです。 社員の対比にこだわるのもアン・コントロールです(^^) (お気持ちはわかりますが) なんでアン・コントロールになるかというと「執着」です。 「執着心」が飛行機のバランスを崩すように、心の制御を不能にしてしまうんです。 人が執着しやすいものって「渇望(愛欲)」か「嫌悪」なんです。 つまり印象に残ったものに対して執着する性質があるんです。 逆に平穏な思い出に対しては、完全に無頓着ですから、思い出すのも一苦労なんです。 で、この感情の差は、わずかなものから~大きなものまで、なんであれ、身体感覚として現われますから、自分の体の感覚から「あ、俺は今怒っている・・・」とかを自覚して、コントロールできるんです。 自動車の運転と一緒です。 自分が何処を走っているかが見えれば、運転も上手になるんです。 ですから、一にも、二にも、執着を断ち切ることです。 これは生活全般、人生全般にいえることです。 執着しているということは、自動車の片方のタイヤが側溝に落ちたまま走っていると同じことなんです。いくら頑張ってハンドルを切っても、執着から抜けない限り、自由に走ることも出来ないんです。 だから、鬱になりやすい性格に「真面目」があげられるんです。 「諸行無常の世の中で、苦悩を産んでいるが執着だ」というのは、25世紀も前のお釈迦さま(仏教)の教えです。苦悩のメカニズムの真理は大昔から変わっていないんです。 で、お釈迦さま直伝の瞑想法をご紹介したいんですが、きっとまた管理側から嫌疑をかけられて削除されてしまうので、私の過去ログでもあたってみてください。

pomrmaru
質問者

お礼

ありがとうございます。 ただ、「執着する」ということがそんなにいけないことなのか、と思いました。認識の相違かもしれませんが、20年以上1つの会社で仕事をしていたことに「執着」することを辞めると、自分自身がなくなるような気がするのです。それだけが今の私を支えているようで、また、そのことが「不適応」を生んでいるようで、ジレンマです。

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