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タイムパフォーマンスを重視するのは必然か?
質問です。 ここ最近、社会が「タイムパフォーマンス」を重要視する風潮になってきているように思えます。 「簡略化」とか「効率化」、「本の飛ばし読み」、「番組の飛ばし見」「動画の倍速見」など。 世の中何でもかんでも便利になっていくのは様々な面でメリットが感じられますけど、その反面、誰も「生き急いでいる」感じが否めないというか。なんか、「結果」を早く求めたがる世の中になったなーというか。 「効率化を求める生き方に、ちゃんと心が付いてきているかどうか?」 ということです。 「本当に全部見た?」 「ちゃんとストーリー理解できた?」 「伏線に気付けた?」 「あのキャラクターの名台詞見逃してない?」 と聞きたくなります。 例えるなら、 「ピラミッドを見に行こう」と思い立って、チケット買って、ホテルとか色々準備していざ行って、何かしらのトラブルに遭ったりしながら、なんだかんだピラミッドを間近で見て、感動して一生の思い出を作って、日本に帰国する。その1か月ぐらいかかる工程を、たったの半日で成し遂げるということですよね? それって本当に楽しいですか? 色々あったけど、振り返ってみて「まあでも、行ってよかった」って言えた方が良いと思うんですけど、どうなんでしょうか? 勿論、「明日から電車を使わず、歩きで会社に行け」って言いたいわけではありません。テクノロジーを活用して色々なことが省略できるので、それはそれで他にできることがたくさんできて良いと思うんですけど、そうではなくて、時間をかけることや遠回りすることで味わえる、「深み」というか「感慨深さ」を堪能できないのは勿体ないのではないか? と思ってしまいます。 私も大学生の頃に長編小説を書いたことがあるんですけど、かなり時間を無駄にしながらなんとか一年かけて書き上げました。「まだ終わらないのか。いつまでやればいいんだ……」と、思いながらひたすら作品と向き合いました。あのくだらない時間をもっと省いて効率よくやっていたのなら、多分半年で完成させることが出来たのかもしれません。でも、今振り返ってみれば、あの無意味で下らないと思える時間もあったからこそ、自分の小説に深みが出たと思うと、あの時間もひっくるめて、やって良かったなと思いました。 長文失礼しました。
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