- ベストアンサー
女性の方にお聞きしたいです
自分が若い時は 忙しさもありましたが 嫌なこと等明くる日には忘れていて 今日こそは忘れない!腹がった!と 思っても 嫌悪感は殆ど薄れ 何だったかな?って感じ位でした。 だから 友達に話したくても感情がそこまでいきり立ってないので もう どうでもよくなる の繰り返し。 嫌な感情は昔より年がいった今のほうが深いです。 例えば 愚痴を言わない人だなと思ってる人でも 他の人とよく長電話していて 愚痴を話してるんだろうなと 感じる人がいるので やはり 人間 どこかでは ストレスを発散するために 聞いてほしいものなんだと思います。 愚痴を言わない人は 趣味があるとか 何が違うんだろ?とか ストレスは皆あるだろうけど 旦那さんが優しく シニア生活うまく行けるくらいの小ストレスなのでは?とか 謎です。 度量が小さいからストレスが溜まりやすいとか やはり 違いは各々なんだろうとか。 今の私は 溜まりに溜まりやすいです 数少ない友達と話しますが これっていけないことかな?。 趣味はありますし 自分で自分を慰めること 元気付ける事も若い時からの癖があり やってます。 しかし まず 愚痴はダメなのか? それ どうなんですか? 愚痴を言わない人は 全く口にしないのでしょうか? 変な質問ですが 宜しくお願いします。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
日本での仕事を辞めて移住してからは、そもそも愚痴のネタが「ほぼ」なくなったので言わなくなりました。連れ合いは愚痴をまったく言わないので当然聞くのは嫌いですし。 一概に「愚痴はだめ」とは思いません。但し、それは「互いに愚痴をこぼし合える」相手にだけでしょう。私もそうですが、愚痴を聞くのはあまり心地よいことではなく、一方的になると尚更です。私の場合、日本で働いていたときは、気のあう同僚と仕事終わりに食事に行ったりして、そこに「愚痴のこぼしあい」をすることがたまにありました。互いの愚痴の原因を知っており、共感することができたので、とてもいいストレス発散だったし、自分だけではない、という感情が湧き、その場にいる同僚達との連帯感も生まれました。だからその愚痴の元になることへの生産的な向き合い方も見つかった。もしあのとき、一切愚痴を言わず、抱え込んだらどこかで爆発したかもしれません、それも非生産的なやり方で。 その数少ない友達の愚痴も同程度に聞いてあげ、互いに共感できる間柄なら頻繁になりすぎなければいいんじゃないですか。 私は当時も家で母に愚痴をこぼすことはしなくなりました。母は母で、愚痴は中の良い姉としていて、私にはこぼさなかった。互いに相手の愚痴の原因を本当には理解できないことだったから。そういう気遣いは必要でしょう。どう反応していいかも判らない愚痴を延々とこぼされるのって、多分苦痛でしょうし。
お礼