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映画プライベート・ライアンのアパムについて
映画プライベート・ライアンで、中盤にアパムはドイツ兵を逃がしてあげたものの、終盤に前線に戻ってきたドイツ兵を射殺してしまいます。ただ投降しているにも関わらず射殺したのがなんとも後味が悪かったです。あのシーンは一体何を描いていたのでしょうか?余談ですが、オマハ・ビーチを占領後に投降した敵(ドイツ語を喋っていない)をアメリカ兵が容赦なく撃ち殺したシーンもすごく嫌なシーンでした。
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- eroero4649
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>あのシーンは一体何を描いていたのでしょうか? 戦争というのは人の心を失わせる後味の悪いものであるということですね。 アパムは良くいえば人の心を持った優しい青年であり、悪くいえば強い心を持った男ではありません。終盤で味方の兵士とドイツ兵がナイフを持って取っ組み合っている場面に出くわしますが、恐怖で体がすくんでアパムは何もできませんでした。そうしている間に味方の兵士が目の前で殺されてしまい、自分もドイツ兵によって殺されると覚悟しましたが、ドイツ兵は「こいつは使い物にならないやつだから、殺しても意味がない」とそのまま見逃されてしまいます。彼は自分が弱いゆえに戦友を助けることができず、見殺しにしてしまいました。 そしてラストシーンで、アパムに見覚えのある兵士がまた捕虜になり、彼は満面の笑みで「アパム!」と呼びかけます。彼の心理は「助かった!こいつは殺すことができないやつだから、俺は殺されないで済む!」というものであり、それゆえにあの卑屈な笑顔でアパムに媚びたのです。 「また俺は舐められた。弱いせいで俺は戦友も見殺しにしてしまったのだ」という思いがアパムの中に芽生え、彼はその男を感情的に撃ち殺し、まだ少しだけ残っている「弱いアパム」が他の兵士に「見逃してやるから、俺の前から姿を消して逃げろ」と促したのです。 あのドイツ兵を殺したことでアパムは「兵士」としてひとつ成長したことになりますが、反面「殺人マシーン」になったということでもあります。だから後味が悪いのです。強い兵士になれて良かったねという話ではないから。 >オマハ・ビーチを占領後に投降した敵(ドイツ語を喋っていない)をアメリカ兵が容赦なく撃ち殺したシーンもすごく嫌なシーンでした。 太平洋戦争に参加した元アメリカ兵の手記に「我々は、決して日本兵の捕虜をとらなかった」と書いてありました。その理由が、戦場で負傷兵が出たときに他の兵士がそれを助けに行こうとすると、日本兵はその救助の兵士を撃ってきたからです。 「わざと命に関わらないところに当てて負傷させ、救助に向かった兵士を狙い撃つ」というのはスナイパーの定番の戦術です。考えても見てください。目の前で仲間が負傷している。助けないと彼が死んでいくのをただ黙って見せつけられることになるけれど、助けようとすると撃たれてしまいミイラ取りがミイラになります。仲間が「助けてくれ」といっても「撃たれるからこっちにくるな」といっても残酷ですよね。 だからスナイパーって戦場で捕まると絶対捕虜にならないんです。ほぼ必ずなぶり殺しに遭います。チェチェンでは、反ロシアのスナイパーをロシア兵が捕まえたとき、そのスナイパーの手足にロープをつけてジープにつないで生きたまま「四つ割き」にしたそうです。そのくらい、スナイパーは憎しみの対象となります。 逆に日本兵の側で考えてみてください。自分たちは命令で捕虜になることを禁じられています。だから死ぬまで戦うしかない。もし助かるとしたら、目の前の敵兵を一人でも多く殺すか負傷させて戦場から排除するしかありません。 敵兵が負傷した。もしその負傷兵を回収させたら、そいつがケガが治ったらまた戦場に戻ってきます。だからその負傷兵を助けようとする兵士も撃ってできれば死なせてもいいし、また負傷兵が増えれば敵にとって多大なストレスになります。 戦場って、そういうところなのです。自分たちに向かって銃を撃って殺そうとしてきたやつが両手をあげてきたからといって、許してやろうとなりますか。さっきまで自分を殺そうとしてきたやつです。
- agehage
- ベストアンサー率22% (2752/12072)
序盤の上陸後、投降するドイツ兵を揶揄いながら射殺した米兵の描写(A) 隊に同行する際にタイプライターを携行しようとしたアパム(B) 中盤にあのドイツ兵を捕虜にした際、アパムは彼の処刑に反対でした(B) 大尉もその意を汲み、釈放しました しかし他の隊員は処刑すべきと意見してました(A) 終盤でアパムは恐怖から人事不省に落ち入り、ドイツ兵に兵士として扱われませんでした(殺されず放置された)(B) 最後、アパムは釈放したドイツ兵と再開、ドイツ兵は以前自分を救ってくれたアパムであることに気がつき、笑みをこぼした これは戦闘で敗北したが、アパムであればまた条約に沿った対応をしてくれる(殺されない)と思ったからでしょう(B) しかしその時のアパムは、他の隊員がそうであったように(A)、条約通りに振る舞ったところで、勝利は得られないと悟っていたのではないでしょうか すなわち彼もまた、他の兵士と同じように、敵は殺すものと考えを改めたのではないかと思います(A) (A)とつけている部分は、戦争になれた兵士の強さ (B)は戦争体験の少ない、アパムの弱さ 序盤から中盤に強い兵士を見せて、逆にアパムには弱いを印象つけたが、最後にアパムも強い兵士になった、ということかと思います AとBとどちらが正しいかを考えさせたり、普通の人がAのような兵士になってしまうことを考えさせる演出なのではないかと解釈しています
- zevdragnir
- ベストアンサー率28% (15/53)
射殺されたのは、スキンヘッドのドイツ兵ですか? もしそうなら、 ユダヤ人はナチズムを許さない という意味でしょう。 そのドイツ兵は親衛隊、つまりナチス党の兵士なので。
補足
回答ありがとうございます。ただ、アパムはユダヤ系ではなかったはずです。