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なぜ岩盤開削?

禅海和尚はなぜ多くの労力と時間のかかる岩盤開削を選んだのか。青の洞門の山国川対岸には平地が広がっている。利便性や人命救助を目的とするのなら、まず対岸へ橋を渡すことを考えると思われるが如何か。

みんなの回答

  • ohkawa3
  • ベストアンサー率59% (1508/2538)
回答No.3

青の洞門の上流約500mに位置する羅漢寺橋は1920年の竣工 https://nakatsuyaba.com/?introduce=rakanjibashi 青の洞門の下流約500mに位置する耶馬渓橋(オランダ橋) 橋は1923年の竣工 https://www.visit-oita.jp/spots/detail/4841 橋によって対岸を経由して道が確保されたのは、青の洞門の完成1763年から160年も後のことなのですね。 当時の経済事情や技術レベルについては全く存じませんが、橋を架けることが難しかったことを想像できると思います。

noname#262502
質問者

お礼

ありがとうございます

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11072/34514)
回答No.2

その橋が氾濫でしょっちゅう流されたり断崖にかけられていて危険だったから、安全ルートとしてトンネルを掘ったのです。 現代でも、台風が来るとコンクリートの橋が大損害を受けることがよくあります。そのくらい、日本の川って暴れまくりなのです。昔は橋は木でかけるしかないので、台風や集中豪雨が来るたびに流されるのです。 質問者さんのご近所を流れる川も、ちょっと大きな台風が来ると流れるルートが変わると思います。以前は流れていた場所に中洲ができて、ある場所に土砂や流木が溜まって流れが変わっている。そういうことが起きていると思います。 江戸(東京)の日本橋は、江戸時代だけで12回流されています。正確なかけ直された数が不明なのですが、現在の日本橋は「20代目」ということになってるそうです。

noname#262502
質問者

お礼

ありがとうございます

  • terepoisi
  • ベストアンサー率44% (4090/9254)
回答No.1

こんにちは耶馬渓の山国川は氾濫を繰り返してきた一級河川で、災害の多さはよく知られています。対岸へ渡ることよりまず優先されるのは川への転落事故を防ぐことが目的だったと伝えられています。また 当時の技術では架橋工事が難しかったのかもしれません。 ここに初めて橋がかけられたのは大正時代になってから、詳細は下のパンフにあります。 日本一長い石橋「耶馬溪橋」 https://www.jcca.or.jp/kaishi/254/254_toku7.pdf