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故人ですが、継母と幼い頃会話がなかった

昔、保育園に通って会話は継母とは怖くてできませんでした。 2歳ごろから育ててられました。 躾は厳しくて祖父がわたしの面倒を見てくれてました。 きょうだいでは話はしていました。 継母は教養にかけるところがありました。 小説など一切読まない人でした。 保育園から帰っても何も聞いてくれませんでした。 そしてわたしは親の前では話ができなくなりました。 一家団欒の食事の時はテレビが付いていました。 話はありませんでした。 機能不全家族でした。 無口になっておとなしい子供はどうだったでしょうか。

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  • qwe2010
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回答No.2

私は、男兄弟の3番目。 ほとんど親との会話はありませんでした。 友達とも遊んでいましたが、無口なほうで、ほとんど聞き役です。 親子の会話がないことで、いろんなことを、知ることができませんでした。 人生においてとても不利ですね。 無口からは、19歳のころ変わり、積極的に話すようになりました。 無口な理由は、知らないことが多いから、 話すことができないから、無口なのです。 無口はそれでいいのです。 みんなが集まれば、みんなが話したがりますので、聞き役が必要。 その役割をしていればよいだけ

76keeplo
質問者

お礼

幼い頃は言葉の使い方も学べませんでした。 言葉遊びもできませんでした。 実母が亡くなったのは大きかったようです。 言葉を大人になってから学んできました。 ご回答ありがとうございます。

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回答No.3

お父さんが新しいお母さんと新しい家庭を作った 貴方は前の母親との子供 その家庭ではいらない存在です お笑いのさんまも同じように祖父と兄と食卓を囲み 隣の部屋では父親と新しい奥さんと その子供が食事をしていたそうです。 見知らぬ女が父親と話をしている 前の奥さんと同じ性格似た顔の子供の扱い方はわかりません 何をしても気に入らないのは当然です 再婚した子供に良くあるストーリー 家族の仲間だと勘違いしていたから 知り合いは 行くところがないからと 新しい母親に気に入られようと いっぱいお手伝いして 新しく生まれてきた子供の世話をして 自分は役に立ついい子だ をアピールしてお姉ちゃんと慕われていました いつ気づくか どうしたら居場所を見つけるか 本人が考えるしかありません 機能不全家族ではありません 他人の家の邪魔者だったんです

76keeplo
質問者

補足

継母は、本来なら結婚できなかった人です。 わたしを育てるために嫁いできたのです。 記憶が抜け落ちてますが恐ろしい躾があってわたしは悪いことは出来なくなってました。

  • zabusakura
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回答No.1

小説を読まないから教養が無いとは思いませんが・・・ 小説は読まないけど論文は読むというような人も居ますから。 無口になっておとなしい子供はどうだったでしょうか。 どうと言われても・・・ お父さんには触れられて無いですが、お父さんが家庭的な人なら機能不全にはならなかったのでは?

76keeplo
質問者

お礼

実母は読書家だったようです。 わたしも幼い頃は本の虫でした。 小学生で成績優秀で学級委員長にも選ばれました。 だが欠落したものはありました。 どうもありがとうございます。

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76keeplo
質問者

補足

父は仕事が忙しくてそして母の尻に敷かれていました。 思春期にそれまで黙っていた反動で中身のない話ばかりするようになってました。 母のように愚かな人間になってました。 実母が亡くなった時点で機能不全家族でした。 父は教養があって言葉は秀逸だったと今では思います。