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「つまらないプライドがありますね!」と言われた。
ネットでやり取りしていた相手から、たった1日のやり取りしかしてないにも関わらず、「つまらないプライドがありますね!」とズバリ指摘されました。 今考えると、その指摘の通りなのかも!? 「つまらないプライド」はあった方がいいのでしょうか? 無い方がいいのでしょうか? どっちのほうが生きやすいですか?
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質問者が選んだベストアンサー
人の悩みは、「プライドが捨てられないこと」の1つに尽きるのかもしれません。 「過去を捨てられない」 「バカにされたくない」 「人を見返したい」 そういう思いが根底にあると、どうしても論理的におかしい行動をとるようになります。 それに対する質問への答えは、「プライドを捨ててください」と言うしかありません。 もっとラクに、今のままで生きるにはどうすればいいのかを考えたほうが得策です。
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- Brian12
- ベストアンサー率26% (206/788)
人それぞれです。 そもそも、何を以て、その様に言われたのでしょうか? つまらないもプライドも人によって違うでしょう。 あろうが無かろうが、人によって違うのだから、どっちでもいいのです。 気になるとすれば、ズバリ指摘されたと思ってしまったことですかね。
- toratora(@aasjetto)
- ベストアンサー率16% (224/1398)
つまらない物は無いほうが良いです 有識者や優勝者 秀でた人なら この事はだれにも負けないというプライドを持って当然ですが 凡人として生きてきた人にそんなものはありません 自己過信にすぎないから 他人に馬鹿にされるだけです
- izumi044
- ベストアンサー率36% (1333/3622)
少なくとも他人から指摘されて「その通りなのかも」と思うなら、いらないプライドじゃないんでしょうか。 いわゆるニートの ・働いたら負けだと思ってる ・まだ本気出してないだけ なんて、いらないプライドそのものだと思います。 こんなプライドがあっても、生きづらいだけだと思いますよ。 逆に、ビジネス書には、それぞれ自分なりのプライドがあるはずです。 ビジネス書の著者に向かって「いらないプライドがありますね」なんて言う人は、そう多くはないでしょう。 自分を下支えしている、他人から受け入れられる、評価されるプライドなら、持っていたほうがいいと思います。 ただし、ある種美学ともいえるプライドであっても、時代とともに古くなることがあります。時代に合わせて変化されられないならば、いずれつまらないプライドになり果てることにもなりかねません。 ※彼を知り己を知れば百戦殆からず ※精神を鍛えるために、体罰は必要。(時代遅れ) なにかに固執し、執着するようなプライドならいらないですし、むしろ生きづらくさせると思います。 逆に、自分にとっての哲学なり、美学なり、大事な場面で自分自身を支えてくれるようなプライドなら、持っていたほうが生きやすいと思います。
- zabusakura
- ベストアンサー率14% (2381/15945)
つまらないプライドなら無い方が生きやすいとおもいます。
- Sakura2568
- ベストアンサー率42% (2135/5050)
プライドないのかよ? って言われる人って 強いと思います。 でもそういう人、好きかしら? 仲良くはしたくないんじゃない。 ある程度のプライドはその人の魅力だし 信頼のよりどころでもあると思います。 「つまらないプライド」は その人からしたらつまらないかもしれないけど それを口にしたとたん 言った人がつまらない人間になるのよ。 生きやすいのは全くプライドの無い人です。 しかし人から愛されるのはつまらなくてもプライドを持った人であり 嫌われるのは人に「つまらないプライド」と言ってしまう性格でしょう。
- JP002086
- ベストアンサー率34% (1535/4403)
他人から見たら「つまらないプライド」かもしれませんが、成長期の一時期には必要かと思います。 ですが、学校を卒業し社会人になった時に「どんな事(知識等々)でも貪欲に吸収する」ためには、拘り(こだわり)ともいえる「プライド」は捨てた方が良いですよ。 そうしないと、これからの自分を成長させる事が出来ないからです。 ただ、ほんの数点だけ「これだけは外せない」と言う信念的なものは持っていても良いかと思います。
- HeyXey
- ベストアンサー率26% (134/498)
言葉に翻弄〔ほんろう〕されてますね。「それをどう呼ぶか」を飛び越えて、それを「プライド」と呼ぶことを是〔ぜ〕とし前提として考えるからこういう質問をするのです。 私たちには自分の存在を肯定したい欲求が常に存在します。学校や職場に行くと自分のことをよく理解してくれる友人・同僚がいる。すごく嬉しい、すごく楽しい。すれ違う時に交わす何気ない会話、昼食での雑談。ふだんの当たり前のような交流の中で私たちはお互いにこの自己重要感に対する欲求を満たしているのです。それが満たされない場からは人は去っていきます。 ・自分は正しい人間である ・自分は人に好かれる人間である ・自分は重要な人間である ね。自分のことをこのように思いたい欲求、あなたにもあるでしょ。これが「自己重要感に対する欲求」です。 これを『プライド』と呼ぶこともできます。でも、他にも呼び方があってもおかしくありません。たとえば『自分の人生には意味があって欲しいという願い』と呼べば健気〔けなげ〕で、あっても構わない衝動・欲求に感じられるのではないでしょうか。 ようは、それをずるい方法で手に入れるか、まっとうに人の役に立って手に入れるかの違いでしょう。プライドがあるかないかって、あるに決まってるでしょう。
- Granpa1969
- ベストアンサー率22% (619/2744)
>「つまらないプライド」はあった方がいいのでしょうか? >無い方がいいのでしょうか? 無いほうがいいのは誰もが思うところです。 ただ、誰にでも他人から見たら「しょうもない拘り」の一つや二つは有ります。 まぁ、「少ない」に越したことは有りません。 >どっちのほうが生きやすいですか? そりゃ無いほうがラクです。
お礼
- mimazoku_2
- ベストアンサー率20% (1905/9108)
様々な知識や経験を積むことで、プライドの地位は高くなります。 なので、経験値を上げましょう。
- AlexJenifer
- ベストアンサー率44% (684/1533)
「プライド」は必要でしょうが「つまらないプライド」はいらないでしょう。 今なんの役にもたってない、18歳のときに合格しただけの大学の名前や定年まで勤めた会社の名前と役職とかに「プライドを持っている」なんて人もいますけど、ほんとつまらないと思います。
お礼