>死ぬ瞬間に意識はあるのか?
⇒ヒトが死ぬ時、最後まで働く大脳の部位は回転部にある「シルビウス裂」という器官らしいです。それはどんなメカニズムによって作動するのでしょうか。推測ですが、おそらく「コンセントに差し込んだ非常灯」のように、周囲の活動が停止したときにはじめて作動するような仕組みになっているのに違いありません。すなわち、シルビウス裂は、一番最後に死ぬか、自家発電か蓄電機能を備えているかのどちらかということになります。
ところで、一般に言われることですが、うっとりするような恍惚境がある一方で、断末魔の苦しみがあるということはどう説明されるのでしょうか。これも推測ですが、断末魔の苦しみは肉体の苦痛であり、肉体の苦痛はそれを感じる主体すなわち脳が活動を継続していてはじめて苦痛として感知されます。要するにその段階では脳は生きています。したがって脳に死因のある場合を除いて、通常は断末魔が先で、それに恍惚境が続くと考えられます。つまり生と死の接合部は二つのスペースに分かれており、生に近い側に断末魔が、死に近い側に恍惚境がある、ということになるようです。
では断末魔の存在理由は何か。生の崩壊が始まったばかりの段階では、いろいろな程度に蘇生の可能性がありわけで、その生体は、肉体的苦痛という形で当人に回復・蘇生を促している、と理解することができよう。肉体がさいなまれるとき、人は「神」(いるとして)の心知らずで、この上なく神を憎むが、一方神は当人の闘争心を鼓舞すべく、心を鬼にして「戻れ、戻れ、戻れ」と叫ぶのです! 神が「もはやこれまで。蘇生の可能性なし」と見たときは彼を速やかに恍惚境へといざなう、のです。 例えば凍死の過程を見ると、始めは激しい肉体的苦痛に襲われるが、それを過ぎると今度は一転睡魔がやってくる。脳死の始まりである。くだんの恍惚境の体験はここでなされるわけです。そして、ここまでが意識の限界ということになるでしょう。(ということで、死ぬときは痛くないらしいけど、それでも私は、死ぬのが怖い…。)