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外国人の態度について
街や電車内、海外旅行中に外国人を見る度に、 いつも外国人の独特の雰囲気、目つきに魅力を感じています。 私だけが感じる見解かもしれませんが、外国人達の自分に集中していて、 周りの目を気にしない自分の意思を強く持った雰囲気は、なぜ外国人 には備わっているのでしょうか? 先週も白人親子(母と娘)が電車で前の席に座った時、5歳くらいなのに日本人では ありえない落ち着きと自信に溢れた態度の大きさに関心致しました。 こっちが観察する目でじろじろ見ていても全く動じる様子はなく、日本人の子供 ではありえないと感じました。 私は20代後半の大人ですが、あの人の目を気にしない自分の自信に溢れた態度を 備えたいと思っています。 ここでいう自信に溢れた態度とはいばっている態度とは違います。 どうやったら得れるのかと考えた時、もう子供の時から持つ遺伝子や環境が影響して いるのではないかと思いました。 帰国子女にも態度がでかいというか、自分の意思表現に自信をもった人は見受けられます。 では外国のどういった環境がああいった人間に育てるのでしょうか? 外国には何があって、日本には何が無い為といった具体例や、自論で構いません。 外国に住んでいた方や、外国人と深い関わりを持っていた方で判る方教えてください。 宜しくお願いします。
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個人差のある問題です。日本では当然ながら外国人は少数派です。我々が見かける外国人が世界の外国人を代表しています。同じように我々が外国へ行けば日本人を代表します。外国語が堪能な日本人を3~4人知っている人は、友達に日本人は外国語がうまい人種だと話すでしょう。勿論、服装、態度、表情も日本人の代表(見本)として観察されます。 上記の個人差のある問題ということを念頭において、敢えて比較上単純化して、私なりに説明いたします。 一般にアングロサクソン系の人々は子供はまだ人間として未完成(動物に近い)という前提で、子供を厳しく仕込みます。親に絶対服従です。日本人やラテン系、アフリカ系は子供は未だ聞きわけがない(理性がない)ので厳しく躾けるよりもやさしく、おおらかに育てようとします。また大人の世界と子供の世界を厳しく分けません。夜間、子供をつれてレストランに行く、パーティに子供連れで行く、一緒に寝るなどが日本人の習慣です。 日本は恥の文化、西洋は罪の文化といわれるように、日本では子供に、世間に恥ずかしいことをするな、親に恥をかかせることをするなと教えます。行動基準は自分でもなければ親でもなく、世間さまなのです。日本では子供は子供としてどこでも受け入れられるので、子供に他人との接し方、話し方を厳しく教えません。西欧では子供はそのままでは社会で受け入れられない(動物に近い生き物)ので、外の世界との付き合い方を小さいときから躾けます。 こうして育つ子供たちは、世間を気にした行動はしません。自分が正しいと思うことを、社会人を真似て、話し行動します。世間もそれを期待し、出来なければ親は軽蔑され、子供も叱責されます。 エスペラント(語)で小さな子供を指す代名詞は人に使う代名詞ではなく、動物や物に使う代名詞です。ここに西欧人の小さな子供に対する考え方が現れていると思います。
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- gunto
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No9です。ご免なさい・・勝手にレディーにしちゃって。言い直します。ステキな男性になるでしょう(笑)
- gunto
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その違いは教育と文化です。それ以外で決定的に違うのは容姿です。あの独特の雰囲気と目つきは東洋人の顔つきと全く異質です。自己主張をきちんとしないと何も考えてないと思われるのは、当然の事ながら日本も同じです。欧米人は自分は自分とはっきりしていて、自分の考えている事を明確に表現する事が非常に上手です。発音から考えても表情豊かです。日本人は無表情でその上喋らなかったら「何考えてるかわからない」と思われます。でもそれが又東洋の神秘と感じる欧米人もいるのです。結局は普段何を考えているかが表情に出るのです。そういうしっかりした表情をしている日本人もたくさん私は知っていますし、自己主張ばかりしてバカに見える外国人も当然居ます。話が極端になりますが、アメリカの囚人がテレビに顔を出して、インタビューに答えるシーンは日本では考えられないですね。ともかく常に自分の考えをきちんと持って、それをうまく表現してたら、しっかりした強くしなやかな独特のムードが作られていくと思います。日本人の「精神」は凄くて偉大なんですから~ このような質問をするあなたはきっとステキなレディになる事でしょう。 ガンバレ
お礼
回答ありがとうございます。 容姿の観点からの説明、大変理解できました。 私は自分は自分との考えを強く持っているのですが、自己主張はしないで 自分で片付けようとしてしまいます。 発言を伴った自己主張を心掛けます。 ちなみに私は男です笑。
- hakkoichiu
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No.5で回答した者です。 別に嫌な気分にはなりません。 疑問があればどんどん質問して下さい。 あなたが疑問を持たれ、ここで質問されそれに答えることが出来て少しでもお役に立てば幸と思っています。 私自身修業中の身で偉そうなことを言ってごめんなさい。 さて本題ですが、世界中の人、それぞれ個性があります。 No.1の方が仰っていましたが、偶には礼儀をわきまえない外国人の旅行者にも会ったことがあります。 また、具体的に言えば具合悪いのですが、日本に在住のある国の軍人が行儀の悪いことをしているのを見たことがあります。 日本に住んでいる、また日本に立ち寄る外国人すべて立派な人ばかりとは言えません。 こんな小さなことでもご参考になれば、大げさに言ってやり甲斐、生き甲斐を感じます。 回答できる質問をして戴いて有難う。
お礼
回答ありがとうございます。
- connie212D
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こんにちは。アメリカに住んでから10年になります。アメリカ人というのは、日本人と違って集団意識というものが少ないです。小さい頃から、ひとりひとり、自分は自分という感じで育てられる環境です。ただ、それが原因で日本人と異なり人を尊敬するという態度をもつことが少なく、勝手気ままにわがままになってしまうというのも落ち目ですので、もちろんこういう教育の仕方にもいい点と悪い点はあります。 日本人は、とにかく学校でもそうですが、先生の授業を聞いたら聞くだけで、反論するようなことはあまりないですけど、アメリカでは反論するような意見や質問はどんどんだされるように教育されますし、自分の意見をとにかくいえるように教育させますので、日本のように受身ではありません。とにかく、言って言っていいまくって相手に自分のいいたいことを分かってもらうって感じです。ヨーロッパからくるひとは、アメリカ人よりもその傾向が強いので、その態度にアメリカ人でも引いてしまうことはたまにあります。 日本や中国、韓国などは、自分の意志を押し殺して、相手のいうことを尊重するという感じの文化ですので(まあ、現在は少しずつ変わってきているようですが。。。)、そのせいもあって人の目をきにせずには生きていけない社会ですから、根本的に教えられていることが違っています。
お礼
回答ありがとうございます。 やはり教育なんですね。 しかしヨーロッパ人がアメリカ人より意思表示が強いのは とても意外です。 みなさんのおかげで疑問もだいぶ解消されてきました。 しかしまだ外国人の目つき、態度、意思表示の考察について知りたいです。 理由としては私が将来的に、外国人と交渉ができる人間になりたいと 思っているからです。
私の知り合いが尊敬している女性がいました。 香港の方でしたが、その方がいうには、”私の故郷、香港は長くイギリス領だったが、中国に返還された。ずっと変わらないのは、この「私」、何があっても私は私。”「私」(個)の意識を強く持っているのではないでしょうか? 陸続きの土地では昔から、国境を巡る戦争も多かったでしょうし、今でもなくなっていく国、新しくできる国などもありますからね。日本にいると考えられないことが世界では起こっていたわけですから、自分というものを強く持っているのかも知れませんね。 あと、欧米の子どもは、(とくに女の子かな) 母親などから「あなたの目の色はこうだから、こういう洋服の色があう」とか「あなたはこうだから、これが似合う」 と 個人個人に何があうのかをアドバイスされることが多いそうです。だからか、人が何を着ていようが、何を持っていようが、まったく気にならず(目線さえも?) 「まわりの人はどう思っているか」よりも「私は」という考え方があるのではないでしょうか? ヨーロッパのある国では子どもは、小さいころから、”どうやって人の意見を打ち負かすか”という教育をするというのを聞いたこともありますし。 そこが島国の日本、群れていたい国民性と違うのかも知れませんね~。 でも純日本人でも堂々としてる人はいますよね。
お礼
回答ありがとうございます。 日本では成長環境がぬるいので、なかなか上記のような個人的な精神が育たないですよね。 私が全くそうです笑。 環境のせいにはする気は全くないので、これから鍛えたいと思います。
- hakkoichiu
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乏しい経験からの話を聞いて下さい。 外国から来た私の友人達は街中で外人と言われること、特別な人間と見られることを好みません。 また、やたらに話しかけられるのを嫌がることがあります。 想像ですがヨーロッパ諸国ではこう言う経験は少ないと思います。 あなたはどうしてそう言うことを気にかけるのか理解出来ません。 他人は他人、自分は自分、人それぞれでしょう。 強いて言えば次のようなことでしょうか。 自信を持っているように見える、自分は自信がない。 こう言うことは個人個人の考え方によるのではないでしょうか。 あなたも自信を持てば活き活きと自身にあふれた表情に見えるのではないかと感じます。 人それぞれ長所があるものです。 あなたはご自分の長所を見つけてそれを延ばす方向に向かれたらい如何でしょうか。 どんな分野でも一芸に達した人は自信にあふれて見えます。 結論はキリスト教文化、仏教文化の違い、大陸文化、日本文化の違いでしょうか。 見当違いの回答に感じられたらごめんなさい。
お礼
回答ありがとうございます。 質問が嫌な気分にさせたならすいません。 ただ私は自分自身の向上の為に、魅力を感じた外国人の態度についての 考えをめぐらせ、疑問に思った事の質問をしただけです。
- POKIE
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ま、ガイジンさんじろじろ見るはおいといて… 私は海外16年目になりましたが、欧米とアジアではやはり文化が違うと思います。 #2さんのおっしゃるのが正解で、子供のしつけ方が違います。少し付け足しますと、欧米では子供の頃は厳しく、大きくなるにつれて規制がゆるくなり、自由度が増してきます。逆にアジアは子供の頃は緩やかで大人になるにつれて”世間の常識”をわきまえるようになり、”大人に”なるわけです。 私はもともと日本にいるときから自己主張が強く自分勝手と言われてきたところがあり、海外にいると比較的そういうことを言われずに気がらくだというような一面もあり、海外に長くいる理由の1つになっています。 欧米の場合は自分の意見をはっきり述べる訓練(?)を受けてきているのか、それぞれの自己主張が激しいです。が、それが受け入れられている背景には”人それぞれには意見があり、意見が違うのは当たり前”という考え方があるのではないかと思っています。 日本の場合は”合意するのが当たり前”で、誰かが自己主張が激しいと、全体としてその意見に引きずられがちになり、またその場合、周りの人が本心は同意していないと”あの人は自分勝手”となり、もともと周囲の人が合意しそうな意見を述べることを望まれているように感じます。また、相手の意見に反対意見を述べるとそれを”相手の意見に対する反対”ではなく”相手に対する敵意”と感じる傾向にあり、(俺の意見に反対、ではなく、俺に反対)はっきり意見を述べるのには注意が必要です(経験上) 自身があるから自分の意見を堂々と述べる、というよりも自分の意見をはっきり述べることを習慣にしているから、質問者さんのおっしゃる自身があるような態度が身につく、といった側面もあると思います。 ただ、これは文化の優劣の問題ではなく、違いの問題で、どちらが優れているということではありません。日本でいたずらに自己主張を激しくしてもトラブルの種になるだけです。 むやみに自分の意見を押し通すかどうかは別として、こんな方法はどうでしょうか。自分の意見を述べるということはもちろん述べるだけでなく、周りの人を説得(同意を得る)しなければ意味がないわけで、そのためには自分の考えを順序だてて、解りやすく、論理の矛盾なく、公平に、”私の気持ち”というような感情面を極力出さないように表現していく必要があります。また、相手の言い分を聞く必要もあります。相手を説得できる=自分の意見と、自分の思考回路に自身がつくというサイクルがあるはずで、意見を述べるときには上記のような要素を満たせるように話が出来るような努力をされてはいかがでしょうか。普段から、いろいろな問題(例:年金問題)について自分の意見を説明できるようにしておく、そのプロセス自体が自信をつけると言う効果があるように思いますが。
お礼
回答ありがとうございます。 文化における自己主張の違いについて大変理解できました。 私はあの自信が欲しいので自己主張をしていく事を心がけます。 >背景には”人それぞれには意見があり、意見が違うのは当たり前”という考え方がある この言葉は自己主張を心がけるにあたって大変心強いです。
- poppolina
- ベストアンサー率30% (3/10)
今外国に住んでいます。もうだいぶ経ちますが、こちらの子供に対する教育や、日本と西洋文化の違いにまだ慣れていません。 私なりに思うことは、日本は長い間鎖国をしていましたよね。その間に、”外国から来る人は珍しい”という偏見が染み付いてしまったのだと思います。その後も、日本人同士で結婚を繰り返し、未だに”外国人”を見ると、「あ、ガイジンだ」と同じ人間なのに、自分達とは違う”何か”(外見、態度など)を探してしまう訳です。”外国人”から見れば、”日本人”だって相当違うので、面白いのですよ。 もう一つ、日本では体裁がものすごく大事ですが、西洋ではいくら小さくても子供の「こうしたい」「ああしたい」という”意思”を尊重する傾向にあるということです。良いところを延ばす文化です。日本では、いつまでも親や周りの言うことを聞いていれば安心のような感じがありますが、(それは、日本人特有の、大勢の中にいれば安心、という感覚かもしれません)こちらではよほど常軌を逸していない限り、親は子供のしたいようにさせ、体裁より何がしたいか、ということに重きを置いているのではないでしょうか。 欧米ではいろんな色の皮膚の人がいるのが当然ですから、それが小さな子でも分かっていて、自信となっているのでしょう。また、日本にいる”外人”はじろじろ見られ慣れていると思います。みんな見ますからね。 あなたも”ガイジン”さんをじろじろ見るのはやめて、自分のしたいことに自信を持って取り組むのはいかがでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 特に外国人をじろじろ見たり、偏見は持っておりません。 ただ自分の向上の為に外国人の観察をしてしまうのです。 これがじろじろですね笑。
- hijyousyudan
- ベストアンサー率12% (342/2653)
気のせいです。 外国人でも電車の中で騒がしい人もいるし、 自信が溢れているという訳ではありません。 まぁ、欧米の方は躾が厳しい事が多いので、 公共機関の中で大人しくしている子供を見て、 そう思うのかもしれませんが・・・
お礼
回答ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございます。 人種と文化の違いからの説明は大変納得できました。 罪の文化も大変興味が持てました。調べてみます。 それを踏まえると私もまだまだ子供のようです笑。 確かに成長過程において個人としての成長を望まれるような教育は受けて 来ていませんでした。 自身で教育してみます。 子供ができたら罪の文化で育てたいと思います。