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基礎学力について
人間の脳は一人一人異なります。 子供達の能力の差を知って驚いたことがありました。 ペーパーテストか全てではありません。 教養を高めるには大抵の努力だけでは足りません。 基礎学力を満たすにはどのような学びをしてきましたか。
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小学生のうちに少年少女世界文学全集全 50 巻余を (主に便所で(笑)) ほぼ読破しました。 おかげで学生時代は国語 (現代文) の勉強をした事がなく、試験は問題文に用いられた小説の作者が表現する事よりも問題作成者が求めてきている解答を見抜いて回答し、現代文だけは常に満点を取れる自信がありました。 でも、今にして思うと、文学全集の中に記されていた、振り仮名がなければ読めないような単語の意味なんて小学生が知っている筈もないのですが、前後の文脈から全体の流れを掴んで小学生なりに Story を再構築して理解するといったような事をしていたのだろうと思います。 予備校講師時代、国語系の講師が共通一次試験の模範解答作りで試験を受けに行く講師達の中で現代文部分は満点を取れる講師達を集めて対策会議を開いた事があるのですが、数学担当や物理担当といった理科系講師達も含めて満点講師達に共通していたのは「小学生のうちに少年少女世界文学全集全 50 巻余をほぼ読破していた」という事だけでした。 私の場合、文学少年というわけではなく、中学時代は SF 小説を読み耽り、高校時代は Bluebucks や科学誌ばかり読んでおり、国語の教科書なんて学校の Locker に入れっ放しにして、授業中も開いているだけで見ちゃあいませんでした(^^;)。 国語を真面目に勉強した事なんかないので、何段活用とか変格活用なんて文法は「何それ(^^;)?」となってしまうのですが(笑)、幼い頃に興味ある本を大量に読んでいるうちに国語力が付いてしまったみたいですね。 ただ、本の読み方は 1 行ずつ読むのではなく、中学生頃には同時に 3〜5 行に目を通して必要な単語のみを拾って行く方式を用いるようになっており、このため 1 Page を十数秒ほどで読んでしまいます。 それでも拾い上げた単語で内容を再構築できますので、再構築に不要な単語は目に入れずに読み飛ばします。 こうして読み飛ばした小説は再構築の際に「あれ? あの場面はこれで良いのかな?」と疑問に思ったところを再読する際に読み込みます。 日本語は「誰が」という主語を省略できますので「あれ? あの台詞はこいつが言ったんだったけか?」というのを再読で確認する事が多いですね。 この再構築力というのは「理解」に非常に重要なものでして、理解していないことには再構築なんてできません。 でも世の中には凄い人がいるもので、昔、女医さんに「銀河英雄伝説」という小説を紹介してもらったのですが、彼女は私が車で彼女を送って行く 1 時間余の間に主要登場者十数人の Episode を含む全十数巻のあらすじをほぼ解説し切ってしまい、その後に本を買って読んだら「なんて凄い女医さんなんだ(^^;)」と舌を巻きましたね。 因みに大人になってから学問として国語を学習してもダメみたいです。 共通一次試験の現代文部分を満点取れない国語系講師が試験対策会議で「オマエら、何で小説作者ではなく、問題作成者が意図する解答が判るんだよぉっ!?」と悔しがっていましたから(^^;)。 多分、他の教科もそんなものがあるのだろうと思います。 高校時代、数学が得意だった友人は 5 巻ぐらいの数学辞典を持っていて、それ以外の参考書は持っていませんでしたね。 解法の式を組み立てる前から大体の図が頭に浮かんでいて、計算する前から答えの近似値を予測できているような奴でしたが、後に予備校の講師もそんな人ばかりでしたので、多分「教える事ができる人ならではの考え方」で理解しているのだろうと思います。 私は彼以外の友人達と同様、矢野健太郎氏の「解放の〜Series」でヒィヒィ言っていましたが、繰り返し問題を解いて Pattern を覚える私なんかと違って彼は言葉にならない Level の根本原理とか他に置き換えた Image を理解していたのでしょうね。 基礎学力って「理解する力を身に付ける事」なのだろうと思います。 覚えるのは理解ではありません。 理解していれば公式を忘れても他の解法から公式を導き出せるものです。 国語力、言葉もそうですね。 辞書に記されている意味を知らなくても他の似たような言葉の用法から目的の言葉が意味する範囲を導き出せるものですが、それは我々が辞書なんて覚えなくても、幼い頃から日本語を使いこなして理解する力を養ってきたからです。 日本人である私達は日本語を扱う事を「勉学」とは思わず、大量の日本語に埋もれて暮らしている中でいろんな新しい言葉に触れ、それを覚える事に苦労を感じないのですが、勉学で何かを身に付けようとすると途端に「苦労」を感じてしまうものです。 まぁ「苦労」をものともせずに学に勤しむ人ならば「努力」を重ねる事によって Paper Test も良い点を取って偏差値の高い学校に進学するのでしょうが、そうでない人は「苦労を感じない、努力しているとは感じていない」分野で大量の情報を吸収することで、それを武器に応用範囲を広げ、知識の裾野を広げて行くのでしょうね。 学生時代には判らなかった事が大人になったらちょっとした事から理解できてしまったなんて事が結構あるものですが、今まで利用できるとは気が付かなかった「ちょっとした事」が実は重要な基礎学力だったりするんですよね。 でも、その「ちょっとした事」に沢山気付いて、多くの事に利用できる人って、多分、知能指数の高い人なんじゃないかなとも思います。 昔やった事がある IQ Testって、なんか「気付いた奴の勝ちだろ!」みたいな思い出がありますから(^^;)。 そんなわけで「教養を高める、基礎学力を身に付ける」というのは「努力」や「苦労」ではなく、「興味があるから、面白いから」大量の情報を吸収しても努力や苦労を感じない分野で身に付けた知識を使って如何に多くの分野に応用できるかという力なのだろうと思います。 難しい言葉を使わなくても平易な言葉で説明できるように、他の分野で理解している事を使って理解する力が基礎学力なのではないかと……(^^;)。……まだまだ沢山話せそうですが、つらつら Type してたら指が疲れてしまいました(笑)……誤字脱字御勘弁願います(^^;)。
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- staratras
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人生(ほぼ)七十年、わかったのは「基礎学力」は「好きこそものの上手なれ」ということわざ通り、いくら勉強してもその人が好むもの以外は大きくは伸ばせない、ということでした。「学校の成績」はこれとはやや違い、ある程度までは学習の量と正の相関関係にありました。「苦手」でも初めから棄てるのは得策ではないということであり、またある程度までできるようになったら、むしろ「得意」を伸ばしたほうが賢明であるということでもあります。 「基礎学力」を伸ばすには昔も今も「本を読む」ことが最も重要だろうと考えます。古今東西の優れた著者の考えたことを自分で追体験できる機会が得られるからです。もちろんメデイアは紙に限るわけではなく、古典がデータベース化され、容易にネットで閲覧できるようになっているアーカイブスや公式の証明や法則の検証が容易に動画で見られる環境などは大いに活用すれば良いと思いますが、紙の本を読むことがおっくうになっては困ります。 ネット社会になって回答者は本を読む量が減ってしまいましたので、偉そうなことは言えませんが…。それでも興味を持ったものは読むので、無理に頑張ることはない考えています。 年を取ると例えば自分がこのサイトに10年前に書いた数学の回答の思考をたどることもすぐにはできなくなり、勉強になります。「昔の自分から学ぶ」というのも変ですが、考えようによっては「高齢者ならではの勉強法かもしれない」と負け惜しみに考えています。
お礼
補足
悪いのですがお礼は後から書きます。 https://youtu.be/oR_e9y-bka0?feature=shared