※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:記事のタイトルにしている日本語の適切な英語訳をお願)
新発見ビデオゲームPONの真実
2023/09/08 21:40
このQ&Aのポイント
50年以上経過したビデオゲームPONの新資料を日本で発見。この資料は、アメリカの研究を背景に持つ貴重なものである。
著者は長年にわたるおもちゃ業界の歴史を背景に、PONの電子部品についての知見と、それがビジネスモデルにどのように影響したかを探る。
PONは日本で低コストの業務用ゲーム機として再生され、多くの技術者によって利用されていた可能性が高い。
記事のタイトルにしている日本語の適切な英語訳をお願
今回ご質問差し上げるのは「50年以上経過して日本で発見されたビデオゲームPONの新資料その1」という日本語タイトルをわかりやすく英語に翻訳してくださいという内容です。
PONの研究はUSAなどで熱心に行われていて、日本ではビデオゲームが注目される以前の話題だから研究されたり私の資料を喜ぶ日本人はほぼいません。
したがって、記事のタイトルだけ明快な英文にして、残りはツイッターの自動翻訳に任せるつもりで、情報を放り投げることを考えています。
これも私なりの研究なので、学問的な人の方が面白がるかと思いました。
50年以上経過して日本で発見されたビデオゲームPONの新資料その1
初めに私の自己紹介から、私の一族は創業から100年を迎える古い日本のおもちゃ屋だ。
東京の浅草で先祖が操業して、第二次世界大戦終結直前に地方に転居した。
日本のおもちゃ業界は、所得が低い時代は駄菓子業界と同一で、経済的な発展と足並みをそろえて徐々におもちゃ業界として形成される。
東京の浅草はTOMYやバンダイの創業の地でもあり、今も日本のおもちゃ業界の中枢だ。私の一族は地方に転居してからも、おもちゃ業界が確立する前から事業を継続し、今はおもちゃ屋として事業を集約している。
日本には駄菓子屋という業種が過去にあり、自宅のガレージなどをお店に改装してお菓子と簡単なおもちゃを売る店だ。
私の子供時代の1970年代というのは、年金生活する老婆が人生の楽しみとして、子供と接触することを社会とのつながりにしつつ、推定で一日の売り上げ1000円以下ほどの商売で駄菓子屋をしていた。
日本でゲームセンターが業態として成立する前は、ピンボールを大幅に簡略したような低コストの遊戯機器を10円で遊ばせて、そうしたお婆ちゃんの駄菓子屋の所得を助けることが歓迎されていたので、私の先祖の事業では、そうした駄菓子屋に浅草でのコネを利用して商品を確保して、10円のゲームをレンタルする事業もしていた。
このようないきさつで事業する私に、すでに廃業している同業者から残存資産の整理が持ち掛けられて、発掘したのが今回新たに発見したPONだ。
ビンテージのレストアに使える古い専門工具や予備パーツと一緒に買い取った。
前置きとしてもう一つ忠告すると、この年代の商品を業務で実際に扱った人物たちは、すでに仕事を引退していて、証言を探し出すことができない。
このPONは、電子パーツをまとめた工作用の教材として、当時は世界の工場だった日本で電子部品の商社がパッケージして販売した模様だ。
制作すると1970年代初頭の家庭用のPONが完成する。
このPONの真の使い道は、USA訴訟が起きているPONの訴訟が日本に飛び火することを不可能にするために、電子部品のセットとして販売して、日本に当時は人材が豊富な各種技術者に委託して完成品を家庭用ではなく、簡易型の業務用ゲーム機に仕上げて営業する目的だ。
資本力のない事業所が20台ほどの規模で制作して小規模に営業すれば、USAから上陸する法務担当者には追跡できない。
だからこそ、当時の事業所にパーツのストックとして残っていた。
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お礼
ありがとうございます。 先着一名様限定にしたかったので、ここで締め切ります。 他に面白がって閲覧する人を満足させるために関連する2と3を捕捉に掲載して終わりにします。 研究分野が違っても、親切は同じですよね。
補足
50年を以上経過して日本で発見されたPONの新資料その2 私が何故、当事者でもないのに、このパーツセットの価値が理解できたかというと、創業100年の家系だから、今ではおもちゃ業界の歴史の生き証人になっているという事実以外にも理由がある。 私の従妹に裕福な家庭で英才教育を受けて、成人してから日本の通信インフラをデジタル化するためのプロジェクトで、どこかのパートで設計チームのチーフを務めた優秀な人物がいる。 その人物が、中学生の時に親から教材として与えられたPONその物だという事とだ、彼がそのPONのプログラミングが動作している低コスト業務用筐体を、地元の駄菓子屋で見かけたこと、そして、その人物と同年代の別の従妹が遠方で、同じプログラムだが、全く別の箱に詰められた業務用筐体を目撃している事だ。 親戚が集まる場で、そうした年上の従妹たちから、当時はファミリーコンピュータを私は売っていたし、家系がそれも古くから仕事をしていたから、日本の業界で埋もれた話として成人してから聞いていたのだ。 なぜこの話の真実は、もはやだれにも探求できないかというと、公の場であまり言いたくないが、その優秀な従妹もすでに、この世を去っているからだ。 だから、当事者から証言を聞いて確認する手段は私にすらない。 日本の場合は、PONは世の中で話題になったのが、任天堂がかなり遅れて家庭用に発売した時期以降の集約された資料だけで、それよりも古いこの日本製のPONに関しては、既存の資料が全く出てこなかった。 そもそも当時は素性が割り出せないように売り出された品で、このパーツが輸出もされていたならば、研究が盛んな外国で発見された既存のPONの基幹部品になっているかもしれない。 したがってこの資料は日本では誰も関心をもたないので、BINGに依頼した多角的な既存情報の調査の後に、仕上げとして英語圏に向けて研究公開しています。 BINGの調査能力は感嘆すべきでした。 各種キーワードから、日本語以外にも該当資料がないことを指摘したけども、ツイッターでの研究発表を予定して手伝ってもらったので、他社にBINGの翻訳文が掲載されて性能を比較して評価される事か、または、私の売名行為と判断したであろうという不明の規制で、BINGは英訳を作成することを辞退しました。 ------------------- 50年以上を経過して日本で発見されたPONの新資料その3 私の一族は、日本でゲームセンターと言われる業態が確立した初期まで、ゲーム機を駄菓子屋にレンタルする事業をしていたから、一族で年が若かった私は初期型のビデオゲームのメンテナンスを本職の技術者ではないが、自分で行うことはできた。 しかしこのPONは現役のゲーム屋の技術者では組み立て出来ないだろう。 経年劣化まで起こしている古い品のレストアは、現役の技術者にもできるが、専門分野に特化して技術を習得しているから、より古い年代の品は得意分野ではない。 この位の年代だと、日本の場合だとビンテージオーディオのレストア業者の方が、もしも組み立てを依頼するならば適している。 でも私自身は、この資料として発見されたパーツセットの希少性を知っているから、パッキングしてあるビニール袋すらまだ開封していなくて、設計図はあるが、パーツがそろっているかを確認することも躊躇している。 それから私の仕事はかなり以前にも英語圏にメッセージを送っていて「HATA GANGU TEN」という体裁で、トイザラスが日本に店舗を出店する時に、日本の玩具業界の中枢やマスコミなどからの委託で、日本の交渉相手として両国の政府も介入した政治交渉に参加していた。 当時は野党的な立場の交渉者で、わざと私が交渉に敗北するように演出して、日本はトイザラスを受け入れた。 日本のおもちゃ業界では、今も名誉的に影響力がある助言者なのだ。