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高校生です。人生相談に乗ってほしいです。
高校生です。人生相談に乗ってもらいたいです。長文ごめんなさい。 目のことで悩んでいます。僕は生まれつきの視覚障がいの弱視なのですが、目の焦点が合いません。視力自体も0.1未満でメガネで補填もできませんし、改善も諦めてます。視力の数値は大体右が0.05付近(たまに0.1手前)、左目は0.01〜0.02くらいです。はっきり言って左目はほとんど見えてないと言っていいです。文字は左目じゃ全く読めません。両目で見るとすごい疲れるのでいつも片目は瞑って生活してます。 1番厄介なのは視力ではなく、この合わない焦点で、大抵目が白目を向いています。(特に左目)この見た目のおかげで小さい頃は嫌な思いをよくしました。高校生になって、幸いなことに周りの人に恵まれてそのようなことをする人達はだいぶいなくなりました。普通の高校に通って普通の人達と混ざっているのもあり、人よりも我慢や嫌なことの数は少しばかり多いとは思います。場違いだとも思いますし、盲学校などに行けばいい、行くべきであることは分かっているのですが、兄弟達が友達と遊んでいるのに昔から憧れていて、中学から普通校へ通いました。 僕の場合、孤立すると本当に何も手につかないので、悪い言い方をすればどうにか自分を好いてもらえるようにして、大勢の人に助けられながらなんとか暮らしてきました。別に自分を作り固めてるわけではないです。ただ、本当に「できないできない助けて助けて」だけだと相手がどんなに良い人でも絶対に嫌になるはずです。自分が助ける側ならそう絶対思うなと中学一年生の頃からそれはずっと思ってます。助けてもらえはしても、やっぱり近寄りがたいというか、少し壁はできてしまうと思うんです。僕はできるだけ仲良くなりたいんです。 今の高校に耳の聞こえにくい子がいるのですが、どちらかと言うとその子はいつもその「助けて」と全面に発信していくタイプの方で、僕もそれは悪いことだとは思いませんし、理に適ってることだと思います。けれど自分がしなさ過ぎているだけなのだとは思いますが、その「助けて」を過度に要求されるとやっぱり相手側は困る時もあるし疲れるんです。その子は僕と同じように、僕とは違うベクトルの悩みや困り、考えを持って苦しんでいるのだろうと本当に思うんですけど、周りからやっぱりあんまりよく思われてないんです。そして僕もその方が正直少し苦手なのです。普通のクラスメイトの場合は対面で喧嘩になるくらいはできるのでしょうが、その子の場合は耳のことと本当に悪気がないというのでみんなが気を遣ってしまい、それが、本音を中々言えなかったり、その子に対する陰口を誘発させてしまってるんだと思います。それはそれで優しさでもあると僕は思ってます。でも本当に人の汚い部分なのだと思います。けど仕方のないことなのだと思いますし、それと同時になんだか悲しいなと思います。たまに「その子だって大変なのだから〜」と言われる方もおられますが、別に対面で悪意のあるようなことを言ったりとかならちょっと問題ですが、人の気持ちまで制限することはないと思います。そんなものは配慮でもなんでもないと思いますし、僕はできたら嫌なことは嫌だと言ってもらいたいです。相手が僕に対して良い人でいてくれてるように、僕も相手に対して良い人でありたいです。 僕が今自分のことで手一杯のように、普通の人だって自分で手一杯なはずなのですから。みんなが僕を気遣ってくれてるのと同じように、僕もせめて最大限の気遣いをしないといけないと思ってます。文書にすると当たなり前のことに見えるのですが、障がいのある方もそうですけど、障がいの有無関わらずこの事をできてる方が思ったより少ないように思います。もちろん高校生の出会ってきた人数なんてたかが知れていますので、当然できてる方も大勢いらっしゃるはずです。 その自分のクラスメイトの場合、自分のことで本当に手一杯で周りのことを考える余裕なんてないのだと思います。けどその事情を全体の人が理解してくれるのは難しいのだと思うのです。 なのでというのもおかしな話になりますが、これまでの経験から、出来る範疇のことを見つけて、助けてもらった時はせめてお礼だけでもと「ありがとう」だけは言うようにしてます。今の所、周りの人と自分双方が一番気持ちよくいられるのはこのやり方しかないと思ってます。とにかく「周りと仲良くしてたい」というスタンスです。自分の現状、社会に出ていく上でも我慢しなくてはいけないことが多くなってしまうのは当たり前なのだと思うのです。職場となれば利益や効率を求められるはずなので、尚更なはずです。それが嫌で嫌でたまりはしませんが、少しタイプが違うだけでそれは普通の健常者の方と同じはずです。自分の性格上の問題なのでしょうが、こういうデリケートな内容って人にすごく言いづらくて、友人にも親にも中々言えません。嫌なのもありますがまず言語化できるかも怪しい。全面的に助けてと発信し続けるのが1番楽で効率的なのだろうとは思います。多分それが僕に今1番といっていいほど必要とされていることで、大人達から「もっと我慢せず助けてと言ってほしい」と言われてきましたし、今も言われます。でもここまできてしまうと、割と我慢するのが当たり前になってしまっていて、大層困ってはいるんですけど、どう相談を切り出して、どう相談して良いのかわからなくなってしまいました。人の相談とか話を対面で聞いたりするのは結構好きで得意なのですが、(僕には話聞くことくらいしかできないので)自分となるといつも言葉に詰まります。先生と相談しても、「今でもこんなに助けてもらってるのに、これ以上言ったら迷惑にならないかな」とか考えてしまいます。目のことでいじめられたこともあります。けどそれを先生に告発してクラスで問題にされたら、人間関係拗れてしまうんじゃないかなと思ってしまいます、何故か相談するのが怖いが率直な気持ちです。 いらない捨てるべき考えなのかなとは思います。端的に言うと助けの求め方が分からなくなってしまいました。もっと助けを求めてれば成績も上がってた面もあっただろうなとか思います。割と少し後悔するくらいに強く。でも中1の頃から「出来るだけみんなと仲良く過ごしてたい」という気持ちから続けてきた今の自分のスタンスが、今までの恵まれてる人間関係を作ってくれたんだとも思っています。 でもやっぱり助けられてばかりで恩返しすらなかなかできず、「いつもごめん。ありがとう」というしかできない時がとても内心悔しくて悲しいです。もちろん誰も悪くないので中々言える相手もおらず、中学生の時はこの感情自体言語化すらも出来ずに、なぜか分からないけど何かにこころの中でいつも怒っているという状態でした。自分がこんなに足引っ張っているのに、なんでみんなは何も言わずに僕を助けてくれるのかなと思ってましたし、一時期助けられるのも嫌でした。一番思うのは誰かに感謝されてみたかったという気持ち、そして多分自分に怒ってたんだと思います。今は「できないことはしょーがない」とだいぶ物事にも諦めはついてやっと落ち着いてきましたが、去年あたりまでは、家族のことでうまくいってなかったり、友達からいじめまがいのことを受けたり、自分のできることの少なさに嫌気がさして授業中ボロボロと涙が出たりしてました。その時は食べ物もあんまり美味しく感じなくて、だいぶ体重も落ちました。 病気の話にはなりますが、僕の目は水晶体が脱臼しているらしく、それを手術しようにも眼球自体の形成不全と小眼球という病気が重なってしまい、手術自体不可能と言っていいみたいです。水晶体の脱臼自体は手術法があるらしいのですが、僕の眼球ではできないということみたいです。 目の焦点が合わないというのがすごく厄介で気になっていて、そのためにわざわざ前髪をある程度伸ばしたりなどして誤魔化していますが、本当は暑いし短い髪にしたいです。白目をむいていることを親に聞いたところ、気にならないと割と強めに言われたのですが、「なんでそんな適当なこと言うんだ」というのが正直なところです。気にならないわけがないです。改善策がなかったとしても、一緒に悩んでくれたら良いのにと思ってしまいます。気にならないなら、なぜ小さい頃これでいじめられたのでしょうか。親にまで気を遣われてるのかと悲しかったです。 眼科で義眼のことを聞いた時は、まず普通に危険、眼球自体が小さいので作るのが色々と面倒になるかもということと、義眼をつけるとやはり視界は遮られるみたいで、せっかく視力が少しあるのに遮るのは勿体無いと言われました。 見え方は最近多少諦めがつきましたが、見た目をどうにかしたいです。現状右目が僕の今の生活の生命線なので左目だけに義眼か眼帯などをしたいです。 眼帯が一番いいでしょうか?どこを探してもコスプレ用とか医療用の明らかに「病人」って感じのしか見つけられませんでした。何か自然なものはないでしょうか。(眼帯自体自然じゃないのでしょうが。) 開き直ってコスプレ用の眼帯でもつけた方がいいでしょうか。やっぱり義眼でしょうか。義眼に関しては診察してもらった病院によって義眼の装着の可否が違ってて、つけること自体可能なのか正直今も定かじゃないです。危ないこと自体は確かなのでしょうが。 できるだけ普通な見た目にしたいです。それと、偉そうなこと言った割に、恥ずかしながら今悩み事が積もりに積もって割と心が辛いというか苦しくて物事に手がついてない状態で、何かいい相談の仕方ともっといい立ち回り方というか、生き方はないでしょうか。よろしくお願いします。
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- yaasan
- ベストアンサー率22% (2724/12278)
まず、改善を諦めたらダメです。簡単にはできないだろうし、方法も見つからない状態だと思うけど、常にアンテナを張って、できそうな事には挑戦する気持ちがないと、どんどん「あれも、これもできない」って負の連鎖にはまっていきます。できないできないと思って生活していると、実はできることもできなくなっていき、結局は自分を苦しめることになります。それは避けないとダメだと思います。 お医者さんも今の主治医が信頼できているならいいですが、信頼がイマイチできないとかなら、どんどん変えていくべきだと思います。納得する人の元で治療を受けるのと何となく言われているからと、やりたくない事もやるのでは、良くなるものも良くならないと思いますので。 その基礎を乗り越えた上で、どうするべきかを考えましょう。見た目は重要ではありますが、統一感が必要なのは学生までです。社会に出れば、いろんな人がいろんな格好をして自身を主張しています。人にどう思われるか、という面はありますが、それは気にしなければいいし、自分のテリトリーに悪く言うような人を近づけなければいいのです。学生時代はテリトリーにいる人が固定されて、近づけたり遠ざけたりするのが難しかったのが、大人になると割とっ自由に選択できるようになります。眼帯をしていても気にしない、友達や知り合いで周りを固めれば、眼帯を気にしなくていいようにもなってくるでしょう。 今は高校生だから、容姿にも一段と気にかかる年ごろかと思います。主治医とよくよく相談して、どうするのが最善かを探り、良くなることを夢見て、そういう方面も探してみてください。
- karawane
- ベストアンサー率18% (263/1393)
東京大学で教えていた全盲の男性が おります……早まらずに、 医学の進歩に期待しつづけてくださいませんか。 としか書けないのが残念なのですが……アナタ様は 絶望しておられないのが本当に 素晴らしいです。
- sashakiss
- ベストアンサー率48% (665/1362)
心中お察しいたします・・・ 目のこと、お辛いですね・・・ でも、眼帯をしたり、義眼にしてしまう、というのは ちょっと待ってみられてはいかがでしょう? 眼帯などしてしまうと、 せっかく視力が少しはあるのに、 それがさらに弱まってしまうと思います。 できれば気にしないで、 表情豊かに話し、いつも笑顔でいられるよう、 心を明るく持っていると 周りもあなたの目に気づきにくくなると思います。 不思議なもので、 自分がとても気にしている部分、悩んでいる部分があると 他人はそこにすぐに気づいてしまうのです。 だから、なるべく気にせず、 自分自身の思いや心の在り方に注目するようにして、 目のことは忘れてしまうようにしてみませんか? なかなかに難しいかもしれませんが、 いつかもしかしたら、手術が可能になるときが やってくるかもしれませんし、 それまで今の視力を保つように、 目を大切にして、 心の中には、明るい光を持つようにしてみてください。 あなたが朗らかで、明るくいらしていれば、 そして、困ったことがあれば素直に助けを求めてみる、 そういう姿勢を持っていれば、 周りからよく思われない、などということは ない、って思います。 自分を卑下するのじゃなく、下出に出るのでもなく ただ、困ったときは、素直に助けを求めて 明るくお礼を言う、そういう素直で、さっぱりとした心を 持つことができれば、 周りはあなたに対して、普通に気さくに 接してきてくれると思います。 人に迷惑をかけるのが嫌で、ただ、我慢ばかりしている・・・ 我慢するという心は、自分の心に壁を作ることです。 相手のことを思うばかりに、言いたいことを言えず、 我慢してしまうのは、 あなたの気持ちにもっと寄り添いたい、と 思ってくれている友達に、心の壁を立ててしまうことです。 そうなると、 友達も、あなたのことをどこまで助けてあげていいのかが わからなくなるのです。 こんなこと助けてあげたら、いやかな、 傷つけちゃうかな、って、おせっかいかな、って そんなふうに思っているお友達もいるのじゃないでしょうか・・・ みんなと仲良く過ごしたい、と言うお気持ちが強いのなら ご自分の心をもっと開放されるといいと思います。 あなた自身、みんなの足を引っ張っている、と そんなふうに思っている部分がもしあるのなら そんなことはないですし、 あなた自身、これほどの文章が書け、人の気持ちを組める力があるのですから、お友達の悩み相談などもできると思いますよ。 見た目が気になるのは誰しも同じです。 でもそれをカバーするためには、 やはり心の在り方を変えていくしかないと思います 心にいつも光があり、明るく穏やかで、 そして寛大である、そして、なにより、いつも前向きである、 そういう心を持っていれば、 表情に豊かさをもたらします。 その豊かさは、自分自身を美男美女に見せてくれるものなのです。 お化粧したり、なにかで着飾ったとしても この、心からあふれ出す豊かな光には、到底勝てないのです。 我慢することが増えれば増えるほど 豊かな心からは、どんどん遠のきます。 ですから、ご自分自身のことを 人に迷惑をかける人間である、というような そのような思いや考えは、なくしてしまってください。 誰も皆、人に迷惑をかけて生きています。 そうでないと、生きていけません。 それが「人」、ですから。 ですから、あなただけが迷惑をかけているのじゃないのです。 悩みがあるのなら、話すべきです。 心に壁を作らないで、 相手への思いやりと温かさを持って話せば その悩みは、相手の心にきちんと届くはずです。 素直に、素敵に、生きていってくださいね。
お礼
ありがとうございます。実はそのようなことを何度か友人にも言ってもらったことがあります。それほど皆気にしていないというのは、心の隅で僕もきっとそうなんだろうな、とは自分でも思ってはいます。でもいざ学校や外に出て人と関わると、そう上手くいかない、という感じです...。我慢ばかり得意に見えて、結構僕はメンタルが弱いのだと思います。 眼帯と義眼のこともありがとうございます。視力も大切にしないといけませんよね。 ありがとうございました。
- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
- ベストアンサー率20% (192/930)
a) 思春期は、見た目が気になるのでしょうが、外見を重視するのは善くありませんね。医師のかたが言うように、視力がわずかでも残っている左目も大事にすべきでしょう。 b) 盲学校へ戻る選択もあると思います。 c) 外見より内面で勝負すべきです。男が外見ばかり気にして、どうするんですか? 本当の魅力とは、外見ではなく、内面や魂からにじみ出てくるものです。
お礼
そうですね。残っている視力も大切にすべきですよね... 。内面をよくしようとは心がけているのですが、昔のことを思い出してしまい、中々人の顔を見て話すのがまだまだ苦手です..。 盲学校のことも時折考える時があります。勉強面で言えば確実にそちらの方が良いとは思います。今一度少し考えてみます。ありがとうございました。
- tootattatato
- ベストアンサー率34% (109/318)
よく考えているな、と感心しながらも、最終的には外見的な悩みに収束してるのが悲しくもあります。 それでも、眼帯一つ付けるだけで『何かが変わる』のであれば、自作とかでも良いからお気に入りのものつくってみるのも良いのでは無いかとも思います。 無責任な立場からの勝手な意見ですが、自分が納得出来るならやりたいことやれよ、と。その代わり、自分で選んだことの結果を誰かのせいにはするなよ、ということだけです。 そこに、障がいの有無は関係ないと常々思ってますから、私は。 逆に、そこにまで(選択と責任)障がいの有無を前提に考えねばならないのなら、障がい者の自立なんてのは永遠に実現しないと考えてますからね。 やりたいようにやりましょう。 最後に、親御さんがあなたの目の状態を『気にしていない』のではなく『気にしてもしようが無い』とお考えだと思いますよ。 子どもの不憫を嘆かない親は少ないでしょう。出来ることなら自分が変わってやりたいと思ってるかもしれませんし、八方手を尽くしてでもどうにかしたいと思っているでしょう。しかし、あなたがおっしゃったように、現状では手術が困難といのであれば、今は諦めて、気にしないフリをしているのかもしれません。それを、慮ってあげる気持ちが、少なくとも文面から感じられなかったのが、いろいろ書かれている割には、肝心なところは自分本位だな、と思えて残念ではあります。 が、あなたはまだまだ若いから、仕方ないでしょうね。 人生まだまだこれからやで。めげるなよ。 では、ごきげんよう。
お礼
ありがとうございます。自分のやりたい事を責任を持ってやることが大切ですよね。親のことはしっかり考え直してみようと思います。本当にありがとうございます。これからも頑張ってみます。
補足
言葉足らずで申し訳ありません。親が自分のことを大切に思っていてくれているのは自分なりに分かってはいます。 父が単身赴任で、ほぼ母1人で育ててくれたのもあり、自分なりにかなり我慢もしていたつもりです。もっと家族で遊びたいなとか小さなことから、母も大変だから自分の事くらい自分でどうにかしようと色々試行錯誤しながらの毎日でした。そこは兄弟全員同じなのだったと思います。中学校に入ってからは環境はやはり厳しくなり、嫌な事や嫌な思いをしても1人で泣いて泣いての繰り返しでした。 父が単身赴任で両親の仲もあまりよくなくて、たまに起こる喧嘩の怒鳴り声とか本当に怖かったし、そんなにうちの家は深刻だったのかと目を疑ってしまったこともあります。なおさら自分のちっぽけな悩み事なんて言ってられないと思いました。それに自分の悩みといえばほとんど、どうにかならないものばかりで暗いものばかりですから。ただでさえ苦しい母の首を絞めるだけだと思っていました。 高校に入ってから、1回相談とかしてみようかなと母親に話してみたところ、何も言ってもらえませんでした。なんて言っていいのか分からないのだとは思うのですが、1番悲しいなと思っていた反応が出てきてしまって悲しかったです。どうにかしてくれようという思いが強いからだと思うのですが、何も言ってもらえないとやっぱり僕としては悲しいのです。話しても、よくて考えるとだけ言って有耶無耶になるのがいつもです。 高校に入ってから、父が一時期帰ってきていたのもあり、母がとても不安定でなるべく負担にならないようにと自分なりに凄く堪えていたつもりです。 この外見にこだわるのは、やはり小さい頃にこの外見を元に受けていたいじめが1番大きいのかなと思ってます。自分でも今はよくわかりません。今はもう反射的に気にしてしまいます。幼稚園児〜小学校低学年くらいまで、一定層の子から「変な顔」と砂をかけられたり殴られたりしていました。ちゃんと友達もいたし、そんな人達はどうにか気にしないでいればよかったのですが、当時の僕には砂をかけられるとか、そういう事をされること自体すごい嫌だったし悲しかったから我慢しようにもできませんでした。どうにかその連中と顔を合わせずスルーするので精一杯でした。そんなことがあったと親に言ったら親は悲しむかなとか、幼稚園児ながらに親に言うのは嫌で、そんなことがあった事を伝えたのも小学校高学年になってからです。 今もたまに顔を合わせた時に驚かれる時があります。「白目むいてなかった?」とか言われると、今でもドキッとしてしまいます。だから出来るだけ左目は瞑って人と話すようになりました。人の顔を見るのが怖いのも少しあります。 過去に質問していたものも、お時間がありましたら読んでみてほしいです。 https://okwave.jp/qa/q10040402.html 高校に入ってからの親のことといじめの件 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11245006601 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14268135999 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14274298909
お礼
ありがとうございます。実は、これまでに何度も「もうダメだ」と心が折れそうになったことはありました。でも生きてれば僕なんかにも嬉しいことや、楽しいことが来てくれて、なんとか家族、友達や先生に支えてもらいながら切り抜けてきました。色んな人の助けがなければ、今こうして普通科の高校へも通えていなかったと思います。現に「中学から普通校へ行きたい」と言った時は「そんなところで頑張らなくていい」と反対する方も結構多かったです。けれど家族や当時の小学校の担任の先生、入学先の中学の先生方のおかげで入学させてもらいました。 入学してからは出来るだけ前向きに、と考えていても出来ないことはやはり人よりは多いわけで、心が不安定になった時も多かったです。特に体育などは本当にしんどかったです、きっと見えていたら運動が嫌いなタイプではないと思うのですが、バレーボールなどの球技なんかは本当に距離感がわからなくてキツかったです。人より少しは良いと信じている耳と感でなんとなく凌いでいました。体育自体、水晶体の関係で顔にボールが当たったりなどすると最悪失明するかもと言われたこともあり、「体育はするな」と親からは言われていたのですが、自分だって出来ると無機になってしまい、中1から普通に参加していました。親が意地悪とかじゃなく自分を心配してくれて言ってくれているのも、体育を僕がしてること自体本来あまり良くないのはわかります。けどやっぱり皆と同じことがしてみたいと思ってしまうんですよね。自分が割と普通に振る舞っているせいで、目が悪いことをふと忘れられてしまい、周りの友達からは「ただ運動がド下手なやつ」と認識されて普通に高校の球技大会なんかにエントリーを誘われたりしました。ここは別にいじめとかではないです。本当はあまりよろしくないことなのだとは思うのですが、どこかとても嬉しいのです。でもこの前、サッカーの授業で大丈夫かなと思いながらキーパーをしていたところ、不幸なことにボールが顔面を直撃してしまい、みんな大慌てでした、少し口が切れたのと鼻血が出た程度で済みましたが、流石に周りに迷惑がかかるので次からもう少し考えるようにしようと思いました。自分が怪我した時、相手側のことを考えたら僕だけの問題では済まないなと思ったからです。 今も真剣に現状を考えれば考えるほど、確かに絶望のようなものは感じます。去年の自分は今よりもっと考え込んで酷い状態でした。 出来ることはして、できるだけ前向きに生きようと今は頑張ろうと思っています。 「いつか手術法が確立されるかも」というのは考えてもみませんでした。ずっと治らないものだと思っていましたので...。治らないと思った方が賢明なのでしょうが、希望は捨てずに頑張っていこうと思います。ありがとうございました!