お辛いですね。
そんな中、生きていていただいてありがとうございます。
私も、世界中が敵にまわっていると思い込んでしまい、死ぬことを考えていた一人です。
今は何とか立ち直って、生きています。
気づいたのは、フォーカスしているものに自分の意識が増強されるということです。
今は、自分に色々とよくないことを言っている人に意識を向けていると思うのですが、思い出してほしいのです。
あなたのことをそのまま受け入れてくれていた人、あなたに対して、少しでも思いやりの心や言葉を向けてくれた人の存在。
今のあなたはそんな人いなかった、過去にもいなかったというかも知れません。
あなたがまだよちよち歩きの赤ん坊の時に、完全介護状態で無償の愛を向けてくれた人がいませんでしたか?
小く、無力な赤ん坊の時、色々な人々に助けていただいて、あなたや私はここに存在することができています。
今、水道、電気を使えたり、インターネットを使えたりするのは、誰かが働いてくれて、それを支えてくれているからではないでしょうか。彼らは確かにあなたや私たちのここを意識しているわけではないけれど、彼らの行為はあなたや私たちのためになっているのでしょう。
これに感謝しても良いかも知れません。
さて、もう一つの見方です。
私たち人間は、進化の過程で牙を持って毒を持って獲物をとらえた時があるのだそうです。その痕跡が残っているようで、怒りの感情を持っている時に吐いた息は、ガラスの瓶に閉じ込めた昆虫を瞬時に殺傷する能力すら持っているそうです。
その毒はタンパク質を破壊するようなので、気をつけなければならないのは、怒りの感情によって発生したその毒は、自分の体ですら痛めつけることがあるということ。
考えてみてください。そのいじめをしている誰かに対して怒ることで、その誰かは何とも思っていないのに、自分だけ怒りの毒で痛めつけられるのは、それこそ、利がないですよね。
そもそも、人間は自分も含めて大した生き物ではないのです。ウィルスや昆虫の方がよほど合理的で、生存戦略に長けています。実際数としては人間をはるかに上まっていますし、ウィルスや昆虫の前では人間は無力に近い時がある。
だから、そんな大したことはない人間の誰かにいじめを受けても気にする必要はないし、彼が死にたいと考えようが何をしようが関係ないと思うのです。
大切なのは、あなたが今ここに生きていて、誰にでも平等に与えられた大地に立ち、空気を吸い、人と触れ合うことができる環境にいるという事実だけだと思います。
私は、いじめをうけ、体が悪くなり、死にたくても死ねない自分の境遇を恨み、世界を呪い、両親さえも罵倒して、最後は、神経の免疫間でも効かなくなり、車椅子に乗ってくらしていました。
医師から、人間の体が、強い免疫システムをもち、排他的に体に入ってくるものを撃退するのと同時に、細胞一つ一つが協力して、自分の体を生かすことを教えてもらい、自分が生きていることが奇跡に近いことを認識することができました。
いますぐ、いじめた人を忘れ、今生きていることが奇跡で、それに感謝しろなどというつもりはありません。
ゆっくりといいので、いじめてる誰かから視線をはなし、あなたを気にしていないニュートラルな人、あなたを何らかの形で助けている人、家族の皆さんに意識をむけ、ありがとうの思いを持ち、できれば感謝を伝えてみてください。
きっとあなたの生に変化が起こると思います。
生きていてくれてありがとうございます。
感謝しています。