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ディベート、はい論破

なんでディベートとか論破とか意味のない事を言う人がいるんですか? あれはただ自分が有利になるようにどういう風に論理を展開するか? っていうだけのことであって 人間にとって幸せになるよう正しい事の追及でないと思います ひろ何とかという人がTVでなーでもないこーでもないと 屁理屈いってイエーィってやってるだけの人のイメージしかありません。 論破って必要なんですか?

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回答No.8

論破して人を攻撃して傷つけて自分が優位になりたいからのような気がします 攻撃は良くないですよね

その他の回答 (9)

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6877/20338)
回答No.10

「私は口下手だから」などと言って議論を避ける人たちも多いですね。 自分の主義主張意見などを正しく他者に伝える技術を磨くために行われるのがディベートです。 だから競技として 自分の立場とは逆の立場に立って議論することもあります。 ディベートとは議論のテクニックです。 自分の意見をほかの人に正しく伝えることは人生において不要なことでしょうか? これはほかの人が屁理屈を用いて 間違ったことを正しいことであるかのように装うことを見抜くテクニックでもあるのです。 例えば弁護士は正義の味方ではないし 法の番人でもありません。 お金を支払う依頼者の見方であり 屁理屈の達人なのです。 そんな相手に立ち向かうにはディベートで培われたテクニックがひつようになるのです。 ここのようなサイトで「はい論破」と書いているような人は 自己採点にすぎないのです。でも不必要に絡んでくるような悪質な人に対してはそんなセリフが有効なこともあります。

  • NOMED
  • ベストアンサー率30% (522/1725)
回答No.9

正しい?ディベートは、審判がいて、第三者の判定に勝ち負けを委ねます  ※「あるテーマに関して、対抗する2組が論理的にオーディエンス(観客)を説得するために議論すること」 つまりは、論破したと勝手に思いこんでいるのは、馬鹿です 逆に、相手から人としてどうなんだ?という思考を言葉として引き出して、負けたふりをすることは、日常で使えます 相手は論破したと鼻息荒く喜んでいますが、実は周りからドン引きされていることに気づくこともできませんから、周りに第三者がいた場合は、負けてあげたほうが勝ちです ですので >論破って必要なんですか? そのおバカちゃんを孤立させる意味では、利用できますね

  • Brian12
  • ベストアンサー率26% (206/788)
回答No.7

私はどちらも必要ありません。 好きでもありません。 ただ、世の中にはいろいろな人がいて、そのようなことに価値を見出す人がいるのですね。 私は無駄なことだと思います。

noname#255227
noname#255227
回答No.6

>なんでディベートとか論破とか意味のない事を言う人がいるんですか? 論破すると勝ったような気になれるからだと思います。 >論破って必要なんですか? 勝ったような気になりたい人にとっては必要不可欠なものだと思います。

  • jrn700
  • ベストアンサー率18% (251/1372)
回答No.5

お邪魔します 私もあなたと全く同じ事を思っていました。 「論破」とか言っていますが、要は屁理屈こねて、相手が言い間違いや返答出来なくなる事に喜びを感じているだけだと思います。 ただ単に屁理屈が上手いだけでしょ? とても会話にもならないし、必要ないのに、○○なマスコミが視聴率稼ぎで出演させるから増長するだけでしょう。 「論破」は全く必要ないでしょう。

sundegasuki
質問者

お礼

あんな人間が増えたら世の中 嫌なやつばかりになりますね

回答No.4

屁理屈で納得するよりかは、 出しい理屈で納得する方が幸せでしょ。 その手段が論破です。

sundegasuki
質問者

お礼

ちょっと何言ってるのかわからない

  • head1192
  • ベストアンサー率20% (161/785)
回答No.3

ちょっと誤解がある。 ディベートとは意見を戦わせながらお互いがより高みを目指す行為である。 自分の意見に満足しているだけでは決して到達できない。 相手からの批判、それに対する予想、準備、反論、また相手への批判に対する逆批判、修正案。 それらを重ねてゆくうちに今まで見えなかったことが見え、及びもしなかった思考法が身に付いてゆくのである。 キリストとイスラムもただいがみ合い戦っていただけではない。 相克の中で軍事、外交、文化、科学技術が延びていった。 日本人にはまず理解できない。 今でも日本は彼らに追い付いていない。 日本ではまだ「お上の威光」にもとづく「沈黙はカネ」「和をもって尊し」がいびつに絶対視され、成長よりもなあなあが選ばれる。

sundegasuki
質問者

お礼

「ディベートとは意見を戦わせながらお互いがより高みを目指す行為である。」 西洋文化のこういったテクニックは日本に合いません あなたの言う通り「ハイ論破」だけで人を見下す 行為で終わってしまいます

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.2

sundegasukiさん、こんばんは。 西洋では、議会や会社の会議で弁論をして論理に基づいて説明して、支持を得ようとする考えがあり、弁論術はかなり重要だと思われています。だから、「屁理屈いってイエーィってやってるだけの人のイメージ」というのはただのソフィスト(詭弁家)でしかありません。ディベートについては、下記のURLを参照してください。 ディベート https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88

sundegasuki
質問者

お礼

日本の文化には合いませんね

回答No.1

面接の時にそれをやったら、社長からもう帰っていいよと面接を打ち切られたことがあります

sundegasuki
質問者

お礼

でしょうな