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卑屈にならない考え方を学びたい

私は最近思い通りに行かないことが多く、イライラを募らせています。 苦しいと過去を思い出したり、他人を羨んだりして卑屈になります。 卑屈にならずせめて性格だけでも良くなって幸せになりたいです。 卑屈にならない考え方を学びたいです。 どうすれば良いですか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • nekonico
  • ベストアンサー率54% (106/193)
回答No.5

こんにちは。 思い通りにならないから卑屈になるのか、卑屈だから思い通りにならないのか、いま、悪循環の中にいるかもしれません。 モヤモヤしてしまいますよね。 いずれにせよ、ご質問者さまがお気づきのように、卑屈になってしまうのは他人と自分を比べてしまうことにあります。 比べていいのは、それによって「よし自分もがんばるぞ」と良いモチベーションになる時です。 それ以外は、他人と自分を比べることに何の意味もありません。 だって人それぞれ環境も状況も違うのですから。 違って当たり前だし、違っていていいのです。 ご質問者さまも苦しい過去があったり、辛い思いをたくさんしてきたように、ほかの人、例えば何もないように笑っている人でも内情はいろいろなものを抱えています。 他人のことは何でもよく見えてしまうのですよね。 できるだけ卑屈にならないためには、他人と比べるのをやめて、 まずは、自分で自分を閉じ込めてしまったその場所から出ることです。 そして自信を持つことが一番です。 どのように自信を持つかというと、意外と身近にありまして、 ひとつひとつ自分の決めたことをやっていく、その積み重ねが自信をつけていきます。 例えば、お皿を洗う。ウォーキングする。今日はあの棚を断捨離する。など、ごく小さなことでいいです。 決めたこと、やろうとしていてやっていなかったこと、それをひとつひとつやっていきます。 そうすると、自分との約束を守ることになりますから、どうせダメな自分、は薄れていき、自分が好きになっていき、自信もついていきます。自然と他人のことを気にしないようになっていきます。 その中でうまくできないことがあったっていいのです。 ご質問者さまなり、でじゅうぶんです。 そうそう、掃除をするのもいいです。 自分の中に余裕がなくなっているので、掃除をすることで気持ちもスッキリし自分の中に余裕ができるんですね。 周りをどんなに羨んだところで、周りは自分の思うようにはなりませんし、変わりません。 過去も変えられません。 過去は文字どおり「過ぎ去ったもの」です。執着する必要はありません。 いまを変えたい、と思ったら自分が動くことです。 ご質問者さまのどうにかしたい、自分を変えたいというお気持ち、とても素敵なことだと思いました。 自分がそこから動くことは少し力がいるかもしれませんが、ご質問者さまならきっとできます。 今はいろいろ辛いけど「あんな時もあったな」と言っている自分にきっとなれます。 もう12月。 寒くなりますので、お身体もお大事に、あたたかくして年末をお過ごしくださいませ。 ご質問者さまの日々が笑顔多きものとなりますように...。 お読みくださってありがとうございました。

その他の回答 (6)

  • head1192
  • ベストアンサー率20% (161/785)
回答No.7

「そういう辛い思いは他の誰もが味わっている」 自分のことしか見ていないとそれが分からない。 相手のことも自分を見るのと同じように見ることができる。 「客観視」という。 それができるように訓練すること。 人気のある人、幸せそうな人は必ず自分以上に他人を見ている。

  • kuramae
  • ベストアンサー率13% (28/214)
回答No.6

他人と比べると、卑屈になりますね。 昨日の自分と比べましょう。 一歩一歩成長できれば、素晴らしいですね。 自分をほめましょう。

回答No.4

そのような心のスキや葛藤にエセ宗教が入り込んで来るのですが。 近くの神社に行って、卑屈にならずに幸せになるぞと本気で誓ったり祈ればいいです。 その神社の本当の神様があなたを守って幸せにしてくれます。 本当ですよ。

回答No.3

> 私は最近思い通りに行かないことが多く 例えばどういうことですか?

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.2

自分が気楽にできることを丁寧にやっていくことかなと思います。

  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20252/40150)
回答No.1

学びたいというあなたの意志が既にノット卑屈。もしあなたが熟成された本物の卑屈持ちなら、学ぶというスタンスも取れない。自分が下側に回るような事に変に神経質になって学べない。あなたは学びたいと自分の言葉で書いている。しかもあなたは、自分の卑屈のメカニズムを理解し始めている。どういう時に卑屈が発動するのかを何となく分かり始めている。それって既に脱卑屈のあなたの片鱗。厳密に言えば、あなたは卑屈じゃない。自分の停滞に安い言い訳を与えてしまう(そして今の満たされない自分を正当化しようとする)そしてその作業に思いっ切りエネルギーを使って、勝手に疲れている。疲れてイライラしたあなたから見ると、生き生きと日々を丁寧に過ごしている周りの人たちはみんな遠く見える。その景色が眩しいから後ろを向いて、現実の直視を避けて過去をほじくる。過去をほじくると大抵見つかるのは悪い事。昔の悪い、辛い事をわざわざほじくって、そのツーンとした匂いをクンクンして、その「臭気持ち」良い感覚に酔ってしまっている。自分の思った通りにいかないのは、こいつら過去のせいだ!何かにその理由を押し付けて楽になろうとするあなた。見る人が見たら、あなたの姿は卑屈とより必死。必死にもがいている姿とも言える。こうして書き出してみる事で客観的に自分を見つめてみる事はとても大事。ゆっくりと深呼吸を。思ったようにならない時って、過去の思ったようにならなかった出来事(経験)と簡単にリンクさせやすい。そしてそのストレスを、自分でミルフィーユのように層にして抱えてしまう。今思ったようにいかない状態と、過去の辛い経験は別案件。キーワードは比べないなのかもしれない。過去とも比べない。人とも比べない。あなたにはこうしてもがける偉大なエネルギーがある。素直に自分を知りたい、学びたいという前向きな気持ちもある。そんなあなたは全然卑屈じゃない。少し単純で、都合の良い小さな世界で悪循環を生み出しているだけ。そんな自分を外から見ている時点で、もうあなたはその循環の渦からは脱している。こうして悩んでいる事もある種の学び。不器用で、不安定で、不完全な自分という器をどうやって支え、管理していくか?今の学びたい意思を大切に、自分自身との付き合い方をゆっくりと見つけていけば良いんだと思うからね☆

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