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人を心の拠り所にすることの利用とは?
- 人を心の拠り所にすることは、好きな人が自分を必要としてくれることや辛い現実からの逃避を提供することを意味します。
- しかし、一方向に愛情を注ぎ続けることは苦しくなる場合もあります。
- 信じられるには相手の行動や態度を見極める必要があります。
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拠り所にする=一つの評価。求める側も評価し、求められる側も評価されていると感じている。その最低限の「↔」が存在している事が大前提。ただ、相手が求めている拠りたいサイズと、求められた自分が提供出来るサイズは必ずしもイコールとは限らない。その時その時の自分たちによって与え合えるサイズ感は変わる。変わっても良いんだと思える柔軟性が無いと、その関係は破綻する。どうしても拠り所にする側は同じサイズを求めたがる。文字通り自分が拠れたと感じられるサイズは欲しいと思う。それに対して、拠られる側は常に同じ温度やサイズを提供出来るとは限らない。本人の余裕問題もある。自分自身という軸があってこそ、拠られてもその人自身が崩れない。言い換えれば自分という軸がブレない範囲「内」で応じる=拠り所の提供。一度親しくなってしまうとその範囲が曖昧になりやすい。身近に拠る(寄る)のはいとも容易いけれど、一旦寄せたものを遠ざけたり、一旦大きく頼ったものを軽くしたり。その柔軟性を選べない残念な人もいる。関係が変わっているにも関わらず、拠り所としての手応えは同じものを欲しがってしまう。寄られた側は、関係が変わっている事で、以前ほど相手を支え切れないと感じてしまう。以前ほどは親身に相手を受け止められないと感じてしまう。それを素直に言える人もいれば、言えない人もいる。必死に拠り所にしてくる苦しそうな相手を目にするとなんとなく拒めず、自分に無理をして、心の借金をして、相手に拠り所を提供してしてしまう、そして自分自身がすり減ってしまう。関係性として機能不全に陥ってしまう場合もある。その時その時の適量であり適温を選んでいこうとする目線は、頼る側にも頼られる側にも必要になる。時には相手を退ける事も大事。拒否では無く、そこは拠り所の範囲では無い。そこは自分自身で何とかする領域だ。出来る範囲の拠り所は提供しつつ、適量を超えてくる部分には毅然とNOを伝える。頼れるなと感じられる、力になってあげたいなと感じる心の「成分」は変わっていないけれど、提供出来る「量」は変わってくる。長く与え合っていける、拠り所して共存していける関係は、その時その時の適温であり適量を選ぶ事が出来ている関係とも言える。お互いに適温であり適量を選ぶ目線があってこそ成り立つ。どうしても拠りたい側は変化を怖がる。以前と同じように頼れる事で安心感を欲しようとする。拠り所として存在してあげる事は出来るけれど、実際に提供出来る量や範囲は変わってくる。お互いの関係性や余裕の有無に応じて変わってくる。変化も受け入れながら見い出して行ける拠り所であってこそ。頼る側も、頼られる側も、その目線を持ってこそ成り立つ関係性なんだと思うからね☆
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- sakura-333
- ベストアンサー率10% (952/8906)
求めている人が既婚者ってことですか? 結婚生活が破綻しているから消去法で来るんじゃないでしょうかね。 双方で頻繁に連絡が取り合えるから求めることも出来るのでしょうが、一体どこへ向かっていて何を信じようとしているのか… どのような状況であれ相手がいることなので、利用といえば利用になるとは思いますが。
お礼
そうですよね、何をしたいのかわからなくなっています。。複雑な事情で長文になりそうだったので抽象的な質問になってしまいわかりにくく申し訳ありません。ありがとうございました。
補足
補足失礼します。 バツイチの独身の方です。ご回答ありがとうございました。
- sutorama
- ベストアンサー率35% (1689/4748)
妥協しだしたら、家族化しているか、その先の未来はない、いずれ別れると察しているかでしょう 家族化している場合は、結婚を視野にしても良いでしょうし、良い意味での諦めもあるやもしれません 家族化すると、もう許す(妥協)範囲が広がりますから、それを愛として許容していることもあるかと思います しかし、一旦嫌いになり出すと、その許容していた部分が一気に許せなくなるのも、人かと思いますし、離婚に至るケースです それが、ある一線を超えて、それは許容できないとなるのか、表面上は許容していたが、実のは許容しきれていなくて、ストレスを溜め込んでいることもあるでしょう ですので、一方が心が離れだしたら、人は環境を守ろうとしますから、入れ替わるとはあるかと思います しかし、人は歳をとり、家族が増えるなど、環境が変化していくので、その環境の変化を二人で話し合い乗り越えるのか、もしくは、見ないふりしてあきらめて、仮面夫婦のようになっていくのか、も、それぞれだと思います なので、何を・・は、「人としてどうなんだ」という言動や行動・習慣までも許容してはダメで、それを注意やお願いをしたときのあいての成長を見るべきかとは思います
お礼
人としてどうなのか、相手の成長。参考になります。相手を見ていたつもりですが改めて言われて良かったです。ありがとうございました。
- BleethYou
- ベストアンサー率24% (159/654)
いわゆるTAKERとの関係はいずれ破綻します。 「愛とは与えること」ではありますが、GIVERもどこからか愛をもらわなければいずれ枯渇します。 なので、TAKERが恋人だった場合、GIVERは恋人以外から愛をもらう形になってしまいます。もしくは自分で自分を必死に愛するしかありません。 いずれ、愛を与えたくても貯蓄がなくなるため、TAKERの恋人とは距離を置くことになるはずです。
お礼
恋人ではないですが与えるばかりで消耗しています。自分の愛し方もわからないです。 距離感を考えます。参考になりました。ありがとうございました。
- pirates_redhair
- ベストアンサー率25% (2/8)
相手の甘えだと思います。 恋人でもないのなら距離をとることを参考に。
お礼
目が覚めました。 距離感を適切に戻したいと思いました。 参考になりました。ありがとうございました。
- izumi044
- ベストアンサー率36% (1333/3623)
依存心や執着心が言わせてるんじゃないでしょうか。 とはいえ、本人が自覚しているかどうかは別問題です。 本気で愛してると言ってる可能性もあると思います。 ただ、「愛してる」が傍から見て真実かといったら、これもまた別の話になってきます。 本人は、溺れる者は藁をも掴むという心境なのだと思います。 だから、言葉を信じるかどうかより、相手の状態を見て判断するしかないんじゃないんでしょうか。 ほとんどの人は心理学的なアプローチなんて出来ませんから、助ける力なんて持っていないですし、本人が自覚してなんとかしようとしない限り、改善しないことも多いですから。 相手にとっては厳しくても「無理だ」と伝えることも必要になると思います。
お礼
私も依存や執着心からの愛してるに感じる時がありましたが忘れたフリしていました。 改めて言われて胸が痛くなりました。 とても参考になりました。ありがとうございました。
お礼
サイズ感や適量ですか。柔軟性もありません。 だから私は消耗するのですね。白黒思考しがちです。色も濃度も成分も移りゆくのですね。何度も読み返したくなりました。ありがとうございました。