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愛されているという実感について 男性女性たくさんの人の意見が聞きたいです お願します
愛されているという実感って頼りにならないものなのですか? 私は女性ですが、愛されている実感が持てません。本当の“愛されてるっていう実感”って、愛をささやいてくれるとかいたわりの言葉をかけてくれるとかいう言葉での伝達が一切なくても、相手の言動や反応やその他‥言葉で説明できないことで感じるものではありませんか?愛されているか愛されていないかっていう自分の判断って現実に目をそむけなければ信頼できるものではありませんか? でも、例えば、これは物語なのですが・・ある騙された女性が「実は、今までで一番愛した人なの。いままでの人生で一番“愛されている実感”をさせた。嘘だったのにね。嘘にそんなこと出来るものなんだなあ。」と話すシーンがあります。 これは物語なのですが、現実でもそうなのでしょうか?愛されてる実感なんてそんな嘘っぽい騙しで感じてしまうものなのですか?感受性ってそんなに頼りにならないものなのでしょうか?
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- Rion4443
- ベストアンサー率16% (87/532)
愛されてる実感って難しいですね。 実際愛されてる時ってなかなか実感できないことの方が多いような気がします。 離れてみたり、失ったり、自分の中で一呼吸置いてはじめて、 「あの日くれた言葉、嬉しかったな。」 「あの時すごく優しくしてくれた。」 と振り返って感じるものなのではないでしょうか? これは恋愛だけじゃなくて家族愛、兄弟愛でも言えると思います。 「実は、今までで一番愛した人なの。いままでの人生で一番“愛されている実感”をさせた。嘘だったのにね。嘘にそんなこと出来るものなんだなあ。」 という物語は、 その時のシチュエーションによると思います。 彼女のためについた「優しい嘘」だったのかもしれないですし、 結果的に騙されるカタチにはなったけれど、全部が全部嘘ではなかったのかもしれないですし・・・。 あるいは騙されても本当に相手のことがスキだったら、そういう台詞で今までのことを美化させたい気持ちがあるのかもしれません。 感受性が頼りになるかならないかは、 kaedehさんがこれから色々経験して判断していくものだと思いますし、 十人十色感じ方も様々だと思います。 うまく回答になっていませんが、参考までに。
- aalext
- ベストアンサー率30% (198/641)
感じかた、って、あくまで主観的なものですよ。 直感を信じるかどうか、っていうのが、おっしゃる事のポイントのような気がしました。 言動の意図をはっきりと確認しあえる言葉の積み重ねって、人間関係にはとても大切だと思います。言わなくてもわかるようになるのは、そういった努力や年月により信頼関係が築けた上の事だと思います。 考え方、感じ方は人それぞれです。自分はこう感じたのに、という事があっても不思議ではないと思います。大事な事はなんでもきちんと、確認しないと。 気持ちの表現が下手な男性って多いと思います。 例えば、kaedehさんの彼があっさり冷たい態度をよくとる人だとします。でも彼自身の中ではkaedehさんをすごく大事に思っている。でもまったく伝わらない。 いくら事実として愛されていても、自分が感じられないのなら意味がないのでは?その逆もありだと思います。 結局は相手がどうであろうと、自分自身が愛されてると感じ幸せに思えなければ、その人とは何かが不一致なんであって、間違った相手なのだと私は思います。
- matthew929
- ベストアンサー率17% (8/46)
「実は、今までで一番愛した人なの。いままでの人生で一番“愛されている実感”をさせた。嘘だったのにね。嘘にそんなこと出来るものなんだなあ。」 これは、単に皮肉では?今までの愛の言葉や表現方法に対する。 「そんなこと言われたりされたりすれば誰だって愛しちゃうし、信じちゃうわよ!!よく平気で言えるわね!!この詐欺師!!!スケコマシ!!!」 っていうのをやんわり、美しく表現した感じ・・・ 現実にも、愛の伝え方の手段として『言葉』のウエイトは大きいと思います。もちろんそれだけではないですけど。 『愛されているか愛されていないかっていう自分の判断って現実に目をそむけなければ信頼できるものではありませんか?』 自分で判断するしかないんじゃないでしょうか。総合的に考えて。信頼できようができまいが、愛されてないと感じるんだから、現状では満足できない、納得いかないということをどうするかがいちばん問題なのでは?彼氏がいる場合。
私の知り合いに誰に対してもすごく優しい人がいます。その人はそんなつもりではないのですが、それ程親しくない人でもとてもまめに優しくしてしまうので、多くの人が「愛されている」と思い込み、誤解(?)されて、結果「だまされた」と言われてしまいます。 自分が愛している人にだけする事を相手にされたら「自分は愛されている」と思いやすいと思います。でも意識してもしなくても、そういう事(愛されてると思わせるような事)ができる人っているし、こっちが勝手に「愛されてる」と思い込んで都合よく解釈することもあると思います。
- seven_52
- ベストアンサー率15% (203/1324)
疑っていても愛していればその疑いに蓋をするのです。 感受性ってその時の気分で変わってしまうものでは? あとあと冷静になって考えると。。。な~んて。 こればかりは経験しかないかもね。 後、運もあるよ運。ボーッとしてそうな子なのに、たまたまそういう騙す人に合わなかったダケとか。 プロは確かにいますよ。ホントにうまいんだ。 見分けって難しい。
- kei__s
- ベストアンサー率13% (3/23)
感受性は頼りにならないですよー。だって恋愛は映画や音楽や絵画じゃないから。感じたってどうにもならない。セックスだけならいいかもしれないけど。 恋愛って恋じゃなくて「人間関係」だからね。 そういう自分も若いうちはそのことに気づかなかったけど。 私の女友達なんか「こんな奴絶対お断り!」って言ってたくせにそいつと結婚したしね(笑)。ここのどこに感受性がありますか?
私の見解なんですけど kaedehさんは、 自分がそれだけ(相手が愛されていると言う実感が出来るほど)愛したことがないのかもしれないですね。(まだお若い感じがします) 愛されているという実感っていうものは、例えば恋人に、例えば親に、例えば友人に、感じるものだと思うんです。 私は、とても愛していた人を失ったことがあるのですが、 いなくなってはじめて、彼の一言一言の思いがわかった時に、愛されていたんだなぁ、と思いました。 人の、愛し方の表現は、千差万別です。 そして、 愛されているという実感も千差万別だと思います。 kaedehさんにも、愛してくれている人の思いが伝わりますように。
- swtt
- ベストアンサー率8% (17/193)
感受性って専門家ではないので分かりませんが,自分の感情を相手に投影するものじゃないかなぁ。映画ってそうじゃないですか。主人公に同情して泣くとか。感受性で恋愛してたら,盲愛していれば,相手も愛してくれていると感じるんじゃないですか?でも,愛されてる実感は感受性で感じるというより,日々の積み重ねの信頼と尊敬からだと思います。