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過度な異性愛者は、お洒落や物語鑑賞時、どうしてる?

過度な異性愛者っていますよね。 同性への魅力、特に見た目に対する魅力を絶対に認めない人。 また、過度に異性に執着する人。 また、同性に魅力や好感を感じると思う人を絶対に理解しない人。 特に男性に多いと感じますが、こういう人ってこんな時どうしているのか凄く疑問です。 特に思うのが次の二点です。 映画やゲーム、アニメといったストーリーを楽しむ時はどうやって世界観や物語を楽しむのかという点。 もう一つが、お洒落をしたい時にはなにを参考にし、どういうものを好ましいと判断するのかという点です。 僕は前者の場合、とても主人公に自己投影や感情移入をする方です。 そうすることで、物語の世界観やストーリーをより深く楽しみます。 この主人公の性別ですが、できたら自分と同じ性別の方が好ましいです。 そっちの方が自分と近しい存在として自己投影をしやすいためです。 こうすることで、僕にとってストーリーがより面白くなります。 もう一つがお洒落についてです。 普段から異性装をする人であれば問題ないですが、そうでない人の場合は性別に合った服を着ると思います。 この時って何を基準に、どうやって自分に合うか判断します? どういうアイテムを見た時に、着てみたいと強く感じますか? 僕の場合、結構人の着ている姿を見て、それに惹かれて自分も着たいと思うことが多々あります。 僕は男性ですが、男性が意外と可愛く着こなしているファッションがあったら、それを着ると男性(自分)でも可愛くなれるだろうと判断して、同じ物を手に入れてきます。 現在、ミニスカ男子ですが、これも男の人が女装やオカマとしてではなく、凛々しい男性服としてミニスカを穿いているのを見たので、こういう感じなら自分でも着られる、いけると判断して今に至っています。 こういう同性の魅力をきちんと理解していかないと、自分のオシャレにそれをつなげることすらままなりません。 だから、同性の見た目への魅力、場合によっては部分的には性的魅力も入れた範疇で、魅力を理解することでそれを自己にフィードバックして、お洒落につなげています。 だから、僕から完全にそういうものを取り上げてしまうと、物語を深く楽しんだり、お洒落を楽しんだりすることができなくなってしまうと思います。 そんな中、過度な異性愛者はこういうジャンルをどうしているのでしょうか? 異性から自分にフィードバックできることは、凄く少ないと思いますよ。

みんなの回答

  • moritaroh
  • ベストアンサー率56% (658/1173)
回答No.4

没入ではなく、俯瞰して、批評的に考えるのでしょうね。 たとえば、映画の主人公(男性)を見る場合、その主人公に自己投影するのではなく、主人公の一挙手一投足を『もしも自分だったらこういう風にするのにな』と比較・批評的に見る…という感じでしょう。 ゲームでもそうでしょう。 キャラクターやアバターが男性であった場合、それを見る男性は、そのキャラクターやアバターに自己投影するのではなく、あくまでも『自分だったらこうする』と俯瞰した位置から見つめているのだと思います。 言い換えれば、物語を、物語の登場人物の視点で考える没入型指向ではなく、作者やストリーテラーとしての視点、いうならば「神の視点」から捉える俯瞰型指向の違いです。 「神の視点」で捉えたとき、主人公(男性)がどうにも自分の思い通りに動かないのだとした時、もはやそれをただ俯瞰するのであれば、主人公を女性に変えてしまった方がいい…と無意識に考え、アバターなどの性別を変更できるのであれば異性にしてしまう、ということもあるでしょう。 三人称視点(TPS)から見る場合のゲームでは、上記のように、没入型の指向性が強ければアバターはできるだけ同性で、俯瞰型であれば異性にするこもあり得る、となりますが、 一人称視点(FPS)のアクションゲーム等では、そもそもが「没入型」のゲームなので、主人公は同性である方が良い、または性別は特に気にしない(ゲーム等の特性上、アバターが登場するシーンが限られるから)、ということになるでしょう。 TPSのゲームにおいては、アバターの性別や容姿が、ユーザーやファンの没入型か俯瞰型かの指向性の違いでしばしば議論されることもあるでしょう。 しかしFPSのゲームでは、そういった議論がされることはほとんどありません。 GreenLinkさんは、たぶん没入型の指向性が強いのでしょう。 これは性的嗜好とは関係なく、そういった気質である、ということで、舞台役者や映画俳優などは、このような没入型の指向性が強い(所謂、役作りと呼ばれる)とも言われ、出演作品の脚本を読んでいくうちに、その人物になりきってしまい口調も、趣味指向も、はたまた性的嗜好や性自認まで変わってしまう(とはいえ出演作品の撮影や上演が終了したら元に戻る)人もいると聞きます。 最後に、簡潔にまとめると、異性愛者の男性で、他の男性や物語の登場人物に自己投影、ないしは没入しないタイプの方は、俯瞰した視点から物語等を見ている、ということです。 物語を「内側から見るのか、外側から見るのか」という違いです。 そして、没入型と俯瞰型は相容れないところがあるので、こういった議論は平行線になりがちですね。

GreenLink
質問者

お礼

ありがとうございます。 傍観型で異性愛主義な人は、理解が困難ですかねえ…。

  • SI299792
  • ベストアンサー率47% (788/1647)
回答No.3

 今までの質問を見ていると、【好き=自己投影】と思い込んでいるのではないかと思います。  性愛者にとって、【好き≠自己投影】です。  異性愛者であっても、自己投影するのは同性キャラです。しかし、自己投影した結果好きになるのは、そのキャラでなくその恋人的位置にいるキャラです。  具体例を上げれば、天空の城ラピュタで、バズーに感情移入します。そうするとバズーでなく、シータを好きになります。シータに感情移入しているわけではありません。  感情移入していないからこそ好きになるのが性愛者です(自分を恋人にできないので)。  着たいファッションであれば、同性のファッションに興味があります。私の場合、人が着てかっこいいから自分もカッコよくなると限らない。先入観無しで選ぶ為、モデル無しの方がいいし、立体感を見る為モデルが着ているのを見る場合も、顔無しの方がいいです。  それとは別に、好きな異性のファッションを見たいという気持ちがあります。だから男が女性のファッションショーを見たり、女性のファッションデザインをすることかあります(逆もあります)。ファッションそのものでなく、そのファッションを着ている女性が好きなのです。この場合、モデル、特に顔は必要不可欠。良いファッション(高いとは限らない)をしていればもてるのも、この為です。  そもそも、ファッションにこだわるのは、自分をよく見せたい、もてたいからです。それが無ければ安物で十分です。(最近私はそうなっています)

GreenLink
質問者

お礼

ありがとうございます。 でもね、過度な異性愛者って、同性に対する自己投影も、理想のファッションモデルとしての同性の美へのリスペクトであっても、絶対理解したがらないのですよね。 一体あの頑なさはどこにあるのでしょうね。

  • tuyosik
  • ベストアンサー率4% (130/2735)
回答No.2

きづく、ありのまま知る、妄想、ふさわしく、欲、欲ばらない、混乱、集中。執着、無執着。好き嫌い。決めつけ、決めつけない、見解。過度、ちょうどよく。

GreenLink
質問者

補足

  • SPIKE-NLOS
  • ベストアンサー率33% (523/1547)
回答No.1

>過度な異性愛者はこういうジャンルをどうしているのでしょうか? 異性が好きな人は大勢いると思いますよ。特に深く考えていないと思います。同性愛者の方に対する偏見はございます。だからと言って、異性を愛する人を批判することとは違うと思いますよ。同性愛者なら、好きなようにしたら宜しいが?世間はそこまで深く考えていません。

GreenLink
質問者

お礼

ありがとうございます。 でも批判したいわけじゃなくて、彼らの主張通りにしてしまうと、本当になんにもできなくなっちゃう気がするのですよね。 だからどうするんだろうと普通に気になります。 まじめに普通にいっぱい矛盾を感じるので。

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