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古今亭志ん朝と立川談志の違いについて
- 昭和を代表する名人、古今亭志ん朝と立川談志の違いを探ります。
- 志ん朝は好き嫌いも少なく、当たり外れも少ない一方、談志は好きな人は好きだが嫌いな人は嫌いで、当たり外れが大きいとされています。
- また、志ん朝は出木杉、談志はジャイアンに例えられます。さらに、桑田真澄は志ん朝、清原和博は談志と形容されることもあります。志ん朝は落語に専念し、他を支配したいという気持ちはないようですが、談志は落語以外の芸能にも造詣が深く、時に機嫌を損ねることもあります。また、談志は真打制度を脱退し、立川流を立ち上げ、多くの人気者を輩出しましたが、一部では「落語ではなく談志教」と評されることもあります。
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>落語ではなく談志教 そんな感じだと思います。私は談志師匠の落語を生で聞いたことはないですが、CDやテレビの深夜放送での一席などを何度か聞きました。しかし一度も「いいな」と思ったことがありませんでした。まあどれも「ハズレ」だったんですね。特にテレビの深夜放送で見たやつはひどい出来でした。 落語マニアの父にその話をしたら「談志が上手かったのは小ゑんのときだけ。談志になってからはヘタになった」といってました。 ただ、カリスマではあったと思います。スター的な華があった。その場にいると何もしていなくても人の目を惹きつける。モー娘。のオーディション会場に後藤真希さんが来たときに、もうその時点で誰もが「この子で決まりだ」と思ったという伝説がありますが、そういう持って生まれたカリスマ性を持っていたと思います。これはもう天賦の才能ですね。 志の輔師匠も志らく師匠も談春師匠も、悪いエピソードだけ談志師匠ゆずりという感じですね。談春師匠の元お弟子さんの友人からちょっと話を聞きましたが、今の時代に弟子に暴力はよろしくないです。弟子は師匠の理不尽な扱いに耐えるのも修行のうちという時代ではないですね。 一方の志ん朝師匠ですが、これはもう正統派です。素人が聞いても面白い。玄人が聞いても上手いと感じる。噺家としてまさに「名人」と呼んで相応しい人だと思います。 噺家に入門した若者に「とりあえず志ん朝は必ず聞いておけ」という感じでしょうかね。 例えるなら桑田さんですか?うーん。彼は理論派ではあったけど名人ではなかったですからね。どちらかというと松井秀喜さんに近いような。ただ、志ん朝師匠が松井さんほどの人格者だったかどうかは存じません。
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- toratora(@aasjetto)
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三代目古今亭志ん朝さんですね 七代目立川談志とともに四天王と呼ばれた方たち ぶつぶつと語る5代目とは違い若くてはつらつとした落語 晩年は落語の正当をきっちりと受け継ぎ伝承する人。若い季節や鬼平犯科帳では江戸っ子弁が気持ちよかった。 特に江戸っ子の気風の良さで畳みかける芸風としっとりと色気のにじむ濡れ場は好きでした。 立川談志が出た時は破天荒なひねくれもので天才肌 落語を全部知っていて自分の物にして談志落語として聞かせるくさやのような人。暴言を吐いた後の落ち込みは滑稽にも思えて可哀想だなぁと感じた人です。一人で門を立ち上げたのに何も教えない無責任のような気がします。私は枝雀押しでしたから落語の歓喜とかは談志と比べることがありよく聞いていました。
お礼
御回答有難うございました。 >三代目古今亭志ん朝さんですね 七代目立川談志とともに四天王と呼ばれた方たち ぶつぶつと語る5代目とは違い若くてはつらつとした落語 晩年は落語の正当をきっちりと受け継ぎ伝承する人。若い季節や鬼平犯科帳では江戸っ子弁が気持ちよかった。 特に江戸っ子の気風の良さで畳みかける芸風としっとりと色気のにじむ濡れ場は好きでした。 正統派で熱演型志ん朝師匠が入門5年(父が志ん生 兄が馬生と云うのもあるが)で真打、入門が先だった 柳朝、談志、圓楽 圓蔵等は抜かれたそうで、 特に談志師匠は「辞退しろ」と迫ったそうです。 努力もあるが、「噺家一家で育ったのが大きく、素質がある」と亡くなられた先代圓楽師匠も云っていたと思います。 >立川談志が出た時は破天荒なひねくれもので天才肌 落語を全部知っていて自分の物にして談志落語として聞かせるくさやのような人。暴言を吐いた後の落ち込みは滑稽にも思えて可哀想だなぁと感じた人です。一人で門を立ち上げたのに何も教えない無責任のような気がします。私は枝雀押しでしたから落語の歓喜とかは談志と比べることがありよく聞いていました。 「伝統を現代に」と云うスローガンは良かったが、変な方向に行ってしまった事を弟弟子の鈴々舎馬風師匠も指摘していたと思います。「才能は有り、認めるが、暴言で離れ、悩んでいるが云えない」「本当は気弱で気が小さい人」とも云って居りました。それが又談志師匠の魅力だと思いますが、晩年の弟子の扱いは酷かったそうですが、芸は認められても上納金を払うのが嫌で前座のままの人も居たそうです。
お礼
詳しい御回答有難う御座いました。 >落語ではなく談志教 そんな感じだと思います。私は談志師匠の落語を生で聞いたことはないですが、CDやテレビの深夜放送での一席などを何度か聞きました。しかし一度も「いいな」と思ったことがありませんでした。まあどれも「ハズレ」だったんですね。特にテレビの深夜放送で見たやつはひどい出来でした。 落語マニアの父にその話をしたら「談志が上手かったのは小ゑんのときだけ。談志になってからはヘタになった」といってました。 確かに、若い時(二つ目の小ゑん 30代40代の時の談志)は上手く、「伝統を現代に」と云う思いが一寸変な方向に行ったのではないかと思います。 話を中断して降りたり、その様な事もあったそうです。 弟子の一人談之助さんが「志ん朝師が亡くなり、目標が無くなったので、変な方向に行った」と云われておりましたがそうだと思います。 >ただ、カリスマではあったと思います。スター的な華があった。その場にいると何もしていなくても人の目を惹きつける。モー娘。のオーディション会場に後藤真希さんが来たときに、もうその時点で誰もが「この子で決まりだ」と思ったという伝説がありますが、そういう持って生まれたカリスマ性を持っていたと思います。これはもう天賦の才能ですね。 志の輔師匠も志らく師匠も談春師匠も、悪いエピソードだけ談志師匠ゆずりという感じですね。談春師匠の元お弟子さんの友人からちょっと話を聞きましたが、今の時代に弟子に暴力はよろしくないです。弟子は師匠の理不尽な扱いに耐えるのも修行のうちという時代ではないですね。 >談志さんが理不尽に耐えるのも修行と云っているので、 そこからスターに成った弟子の方はそれを受け継いでいる様です。 唯談志さんは「弟子に暴力は振るわない(ふざけて叩く位はやるそうだが)」「妻や子の用事はしなくてもよい」「プライベート(談志の私的な部分)はしなくても良い」これは徹底し、落語の稽古は熱心で、それに応えたのが、立川流家元の創立時に来たその御三方だったのですが、多分その御三方は「自分はスターに成った」 「だから生き残れないといけない」と云う意味があるのかとも思えますが、 協会時代からの弟子、談四楼師匠や談之介師匠は距離を置き批判的に見ている節もあります。(それが家元制度上納金廃止に成ったのだと思えます。) >一方の志ん朝師匠ですが、これはもう正統派です。素人が聞いても面白い。玄人が聞いても上手いと感じる。噺家としてまさに「名人」と呼んで相応しい人だと思います。 噺家に入門した若者に「とりあえず志ん朝は必ず聞いておけ」という感じでしょうかね。 例えるなら桑田さんですか?うーん。彼は理論派ではあったけど名人ではなかったですからね。どちらかというと松井秀喜さんに近いような。ただ、志ん朝師匠が松井さんほどの人格者だったかどうかは存じません。 そう云われば松井さんに似ていると思います。 後輩の育成にも理論的に教えてくれるそうですが、 唯談志師匠とは違い、政治的な行動は苦手で、 「落語で勝負」「何時の時代も落語を上手くやっていれば認めてくれる」と云う思いがあったのだと思いますが、寄席では枕から一席の新作落語的なものが評判に成ったりして、それを良く高座にかけていたと云われております。 談志師匠も晩年の志ん朝師匠の枕やその新作落語を 「嫌味の無い良い芸」と褒めておりました。 若い時は正統派の熱演型で、これからと云うときに亡くなられたので残念です。