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立川談志師と古今亭志ん朝師について
立川談志師と古今亭志ん朝師について 両氏とも昭和を代表する江戸落語の名人とされておりますが、 談志師は ネタやその時のコンディションで出来不出来が激しい (野球選手で云えば特大ホームランを打つ時もあるが、 エラー(三振)も多い) 現代と伝統の融合を考えている 個性が強いのでファンも多いが批判も多い という感じなのでしょうか? 志ん朝師は 登場人物の描写より、観客に心地よく聞かせるかを重視 兎に角上手くやっていれば、良い ファンも多く、批判する人は少ないという事なのでしょうか? この両者の違いに知っておられる方ご回答お願いいたします。
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志ん朝は、多くの人が将来の名人と期待していたように思います。 若死にしておしいことでした。どんな名人になっていたかと残念です。 談志は、若い時にたいへんに権威ある批評家がべた褒めしました。それは正当な評価だったと思います。正当な評価であったけれども、それで天狗になってしまい、師匠の小さんが「『年の割に』というのをつけ忘れちゃ困るじゃないか」と言いました。 あるとき弟弟子の小三治に、談志が「おまえは小さん師匠そのまんまじゃないか」と言ったのを小三治が小さんに「こう言われました」とぼやいたら、小さんは「おれの通りにやれるものならやってみろと言え」と答えたそうです。 志ん朝は残念ながらテレビでしか聞いたことがありませんが、談志は紀伊国屋ホールでの口演を何度か聞きました。 話の途中で客席をきょろきょろ見回すことがあります。《いまのところ、俺は上手かったんだぞ》という腹です。「今日の客はだめだなあ」なんてことも平気で言い、その毒舌がまた人気のもとでした。 晩年の高評価、特に名演とされた「芝浜」など、耳の肥えた人たちの評価は高いのですが、そのころの談志は聞いていません。よくなっていたんでしょう。 談志は後輩に悪い影響を残した点があります。 落語家は話の途中で「エー」というつなぎを入れることがあります。自分の間が微妙に外れたときに、「エー」と言って間を取り直すのです。 この呼吸が絶妙に上手かったのが円生です。 談志は、この「エー」を必要ないのに差し挟んで自分で間を壊していました。しかも口をひんまげて「ィエー」と言うんです。 これを真似して、「ニィエー」とことさらオーバーに口をひん曲げる若手が出てきました。 晩年の高評価は、聞いてないのでわかりません。 蛇足ですが、間のつくり、「エー」と言って立て直すのが絶妙に上手かった円生でしたが、名人にも瑕瑾はありました。その弟子の円楽(楽太郎円楽の師匠)は名人師匠のいいところを何一つ受け継がず、名人にしてもある瑕瑾を拡大して、大瑕にして受け継いだバカ者です。 出演すると地方公演などのギャラが跳ね上がるという笑点は、落語界に功績もありますがわずかには害毒もあります。
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- tarohkaja
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No2ですが書き忘れました。 登場人物の描写より、観客に心地よく聞かせるかを重視 兎に角上手くやっていれば、良い 登場人物の描写がなければ落語になりません。 兎に角上手くという上手くは、登場人物の描写がきっちりしていることです。それがなくて兎に角上手いことはあり得ません。
- eroero4649
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談志師匠は生で聞いたことはありませんが、テレビ放送を含めて噺を聞いたことはあり、正直私が見たものはどれも「不出来の日」でした・笑。うち一回は明らかにテンションが低いというかやる気がないもので、当時は「こういう人か」と思って聞きましたが、今は「プロだったら自分のコンディションが悪くてもある一定以上のクオリティのものを出すのは義務」だと思っています。 落語ファンの私の父は「小ゑんの頃はいい噺家だと思っていたけれど、談志になってからいいと思ったことは一度もない」といっています。 志ん朝師匠は、もうプロというか職人というか、どんなときでもキッチリ仕事をするというイメージですね。噺の練習をするなら、志ん朝の音源を聞けばいいんじゃないかって思うほどですね。 落語というか落語ファンというのは面倒くさいところがあって、客を笑わせられる=上手い噺家、ではないんですよね。たいして客は笑わなくても「いい噺だったねえ」というのが起きるのが落語です。 立川流のファンの人たちって、ちょっと独特な感じがします。皮肉っぽい言い方をすると意識高い系な感じはしますね。
お礼
ご回答有難うございました。 談志師匠は生で聞いたことはありませんが、テレビ放送を含めて噺を聞いたことはあり、正直私が見たものはどれも「不出来の日」でした・笑。うち一回は明らかにテンションが低いというかやる気がないもので、当時は「こういう人か」と思って聞きましたが、今は「プロだったら自分のコンディションが悪くてもある一定以上のクオリティのものを出すのは義務」だと思っています。 やる気が無いと話を途中で切る、2席のつもりが1席で降りる(弟子が代演する)その様な事もあった様です。 やはり、プロとしては一定以上のクオリティのものを出すのは義務と云う処からは、評価は低く成ると思います。 落語ファンの私の父は「小ゑんの頃はいい噺家だと思っていたけれど、談志になってからいいと思ったことは一度もない」といっています。 多分、「伝統を現代に」という形で取り組まれたのは良かったが、晩年は前述の様な行為が目立ち、酷い時が目立ったと弟子の方も(談之助師の著書)云っておられます。 志ん朝師匠は、もうプロというか職人というか、どんなときでもキッチリ仕事をするというイメージですね。噺の練習をするなら、志ん朝の音源を聞けばいいんじゃないかって思うほどですね。 多分噺の完成度は高いと思いますし、談志師もその実力は認めつつ(「金を払って聞けるのは志ん朝のみ」と云っておられたと思いますが)、自分よりも噺は上手いが、感情移入が無いと批判していたと思います。 落語というか落語ファンというのは面倒くさいところがあって、客を笑わせられる=上手い噺家、ではないんですよね。たいして客は笑わなくても「いい噺だったねえ」というのが起きるのが落語です。 立川流のファンの人たちって、ちょっと独特な感じがします。皮肉っぽい言い方をすると意識高い系な感じはしますね。 どちらかと云うと「落語」より「談志教」という感じかもしれません
お礼
ご回答有難うございました。 志ん朝は、多くの人が将来の名人と期待していたように思います。 若死にしておしいことでした。どんな名人になっていたかと残念です。 多分これからと云うときに亡くなられ残念かと思いますが、 談志師は志ん朝師の実力を認めつつ、感情移入が無いと 批判し、全力投球で綺麗な形で演じる、年取るとあれが続くかとも云われていたように思います。 晩年の口座、それも枕で「年取るとものにすがる、便所でも「よいしょ」っていう」という事を嫌味の無い、良いものに仕上がっていたと誉めていたと思います。 談志は、若い時にたいへんに権威ある批評家がべた褒めしました。それは正当な評価だったと思います。正当な評価であったけれども、それで天狗になってしまい、師匠の小さんが「『年の割に』というのをつけ忘れちゃ困るじゃないか」と言いました。 あるとき弟弟子の小三治に、談志が「おまえは小さん師匠そのまんまじゃないか」と言ったのを小三治が小さんに「こう言われました」とぼやいたら、小さんは「おれの通りにやれるものならやってみろと言え」と答えたそうです。 多分談志師も入門当時から上手かったが、師匠小さんの言葉は、天狗になり慢心してはいけないので戒めの意味もあったと思います。 師匠の噺の構成や間は自分には叶わないと認めているので、で独自の方向に行かれたと思いますが。 志ん朝は残念ながらテレビでしか聞いたことがありませんが、談志は紀伊国屋ホールでの口演を何度か聞きました。 話の途中で客席をきょろきょろ見回すことがあります。《いまのところ、俺は上手かったんだぞ》という腹です。「今日の客はだめだなあ」なんてことも平気で言い、その毒舌がまた人気のもとでした。 それが、談志ふぁんにはたまらなかったのかと思います。 晩年の高評価、特に名演とされた「芝浜」など、耳の肥えた人たちの評価は高いのですが、そのころの談志は聞いていません。よくなっていたんでしょう。 談志は後輩に悪い影響を残した点があります。 落語家は話の途中で「エー」というつなぎを入れることがあります。自分の間が微妙に外れたときに、「エー」と言って間を取り直すのです。 多分これが、談志を批判する人の聞きにくさかと思います。 この呼吸が絶妙に上手かったのが円生です。 談志は、この「エー」を必要ないのに差し挟んで自分で間を壊していました。しかも口をひんまげて「ィエー」と言うんです。 これを真似して、「ニィエー」とことさらオーバーに口をひん曲げる若手が出てきました。 晩年の高評価は、聞いてないのでわかりません。 多分、感情移入されたり、独自の談志落語を創ったうえでは談志ファン委には良かったのかもしれませんが、 飽きたのか、わざと話を中断したり、間を悪くさせるという事で「だれて居ると」いう批判はあったのかなとも思えます。 蛇足ですが、間のつくり、「エー」と言って立て直すのが絶妙に上手かった円生でしたが、名人にも瑕瑾はありました。その弟子の円楽(楽太郎円楽の師匠)は名人師匠のいいところを何一つ受け継がず、名人にしてもある瑕瑾を拡大して、大瑕にして受け継いだバカ者です。 円楽師は地方で寄席をという活動をされ、定着されたという評価は大きいものがありますが、落語も骨太の力のある話術がある反面、粗さが見られ、実力では円生師には及ばなかった処があったという意見もあったと思います。 出演すると地方公演などのギャラが跳ね上がるという笑点は、落語界に功績もありますがわずかには害毒もあります。ですが書き忘れました。 やはり、知名度は上がり、落語をマスコミに貢献は出来ましたが頷ける話です。