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ムスリムの増加を止めるにはどうしたら
- 日本におけるムスリムの増加に対する対策について考えます。現在の政府や行政が対応をしている中、国民の理解が重要です。将来的にイスラム教を統治する団体が出現する可能性もあるため、予防策が必要です。
- ムスリムの増加による社会の変化について懸念があります。特にアザーンというアラビア語の音が一日数回流れることに対する嫌悪感があります。さらに、中国がウイグルを弾圧しながらもムスリムと手を組んでいることから、日本はこの問題に関心を持つ必要があります。
- ムスリムの増加を阻止する方法として、以下の2つの案が考えられます。1つ目は政治家に対してムスリムの増加について声を上げ、人口政策の改善を求めることです。2つ目は新たな宗教や教義を創造し、現代に合わせて布教することです。ただし、これらの案にはそれぞれ課題や限界があります。
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質問者が選んだベストアンサー
イスラムがどうこうではなく、自国では暮らしていけないから稼げる日本にきているだけです。 つまり日本を世界に名だたる貧乏国に転落させればいいのですよ。 若者から職を奪い、一部の金持ちだけ優遇し、インフラ整備などは後回し。教育も福祉も科学研究などは最低限にする。 差別もバンバン行う。 10年どころか5年で没落します。 いい見本がすぐ隣の半島にあります。
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- citizen_S
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イスラム教徒が多くて軋轢もある社会にいますが、数十年も解決策が見出されていない、むずかしい問題ですね。 キリスト教圏や植民地下の敵対の歴史は日本とは無関係ですから、わざわざその確執を日本に持ち込む必要はないでしょう。 とはいえ、すっかり忘れ去られたらしいダッカの件で明らかになったように、日本育ちであろうと日本で過激化されうるという事実は軽視されるべきではないと思っています。そこをもっと追求すべきではなかったのでしょうか。 失敗した西欧の例を見てひとつ思うのは、リスペクトと寛容度のバランスが肝心ということです。潜在的に根強い敵愾心のカモフラージュや贖罪的な意味合いで過剰な寛容さを示した結果が現在のにっちもさっちも収拾のつかない状態です。 基本的に相手が尊重するものを尊重、シャルリー・エブドもどきに不必要に挑発しないかわりに、相手の文化が外国人や異教徒に応じる以上に相手に譲ることをせず境界線をはっきりさせることかと。 西洋のような隙がない日本社会は閉鎖的と批判されますが、この際はそれが有利に働いていると思います。そういう意味ではこの先もずさんさを寛容さと誤解せず、綻びを見せることなく有無を言わせず閉ざしていたほうがいいのかもしれません。
- Don-Ryu
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ムスリム自体が悪 ではないと思います。 ただ、イスラム教そのものに、「神への絶対的な忠誠、それに異を唱える者は殺されても仕方ない」という教えがあり(これは過激派でなくとも です)、問題なのはこの思想に歯止めとなるものが存在しないため、為政者やテロリストが貧しい人たちを焚きつけるのに都合よく利用されてしまう、という点です。 ロシア正教なんかもそうですし、そのままオウム真理教にも通じる「危なさ」だと思います。 当然、「多様性」とはかけ離れたものになりますよね。 ムスリム自体を止めることより、この「偏って聞く耳を持とうとしない宗教性」を止めることの方が大事ですので、であれば、 1. とにかく日本は多様性社会であること、多様性を否定する宗教や価値観について人が興味を抱かないような環境を維持する 2. 景気経済をしっかり良好に維持し、貧乏人を減らすこと (過激な宗教に走るのはいつでも「報われない」人たちです 3. やたらと外国人永住への門戸を拡げないこと だと思います。 まあ、どれも今の日本では難しいですかね・・・
- DAMSAREX
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増加を止めるよりムスリムに改宗した方が人口が増えてwinwinと考えそうです。 国家は、宗教を利用して(宗教の戒律に手を加えてと言った方が分かりやすいかも)人口を維持していたりしますので、人口を確実に増やせるとあらば、崖っぷちな国家は新たな神の支配下に喜んでおさまるのではないでしょうか。 私達のアイデンティティの大半は、先祖のサンクコストを受け継いだものですし、そのせいで崖っぷちに追い込まれているのなら、そんなものいつ捨てたって構わない(しかし配慮は必要で、アイデンティティを捨てる儀式は大掛かりに行わなければならない)と考えるのが国家だと思います。
- eroero4649
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イスラム教の価値観というのは日本人には理解しがたいところが多いので、イスラム教は日本人には広まらないと思います。 私もコーランを少しかじったことがありますが、よく理解できないまま終わりました。イスラム教が広まっているのは中東地域が中心です。あの地域はいくつもの民族が殺したり殺されたりの征服をくり返す、根っからの狩猟民族なんですよね。 イスラム教の教えって、日本人にとっては「別にそんなのいちいちいわれなくてもやってます」みたいなことが多いんですよ。 20年くらい前だったかな、中東で日本ブームが起きたことがあったそうです。きっかけが、中東のテレビ局が作った日本を紹介するシリーズだったそうです。 そのあるときの回が「日本の小学校では、児童たちが自ら掃除をしています」というものでした。学校で子供たちが自らほうきがけをしている映像を放送しました。我々にとってはすごく「当たり前」の光景ですが、それを見た中東のどこかの王様がいたく感動したそうで「これを我が国でも導入せよ!」となったそうです。彼の地では「支配する者」「される者」の身分が決まっていて「みんなで作業する」という習慣がないのです。 さらに彼の地で衝撃を与えたのが「東京の正直」という回だったそうで、東京の公園(日比谷公園だったみたいです)のベンチに財布を置いておいたらどうなるだろうかというもので、それを拾ったベビーカーを押した若い家族連れは躊躇することなくその財布を交番に届け、その一部始終は隠し撮りされていました。 これを放送したところ「こんなのヤラセに決まっている」と大炎上したそうですよ。その取材をしたリポーターが番組で「この光景は日本では決して珍しくないことだ」と弁明するほどでした。そして日本に留学したり来日経験がある人が「本当に日本ではそういう光景は珍しくない」というに従って「どうやら日本人は落ちた財布をネコババせずに元の持ち主に返そうとすることは当たり前のことらしい」というのが広まったのです。 そして彼らは「彼らはコーランの教えをきちんと守っている人たちじゃないか!」って感動したらしいです。つまり中東の人たちは宗教でそうしろと命じられてもそれが守れない人たちでもあるのです。 だから我々にとっては別にいわれんでもやれてることな上に、それに加えて「豚肉を食うな」に「酒は飲むな」とか「女は肌を見せるな」っていわれてもただ面倒が増えるだけじゃないですか。見返りがないですよね。豚肉とお酒と水着グラビアを諦めてまで天国に行きたいとは思ってないですから。 根底の価値観というか、哲学が違うので我々には理解できないんですよ。ちなみにキリスト教が日本人に広まらない理由もそれだと思います。根本的に多神教である我々は、一神教の価値観は受け入れられないんですよね。原罪っていうのですけれど「我々は生まれながらにして罪を背負っている」っていわれても、信じないでしょ?
お礼
皆様回答くださりありがとうございました。 色々な回答がありすごく学べました。 この質問から、もうちょっと調べたり留学生ムスリムに聞いたりしていました。余談になるのですが、ウズベキスタンでは国民のほとんどがムスリムでもどうやら半分以上は神は信じていても優先順序にお祈りをするとか神様がきめたことは日常生活で守れそうなことは守るだけの人が増えているようです。これはバングラデシュでも同じようです。この話を聞いてから宗教を強く信仰していた国では、現代社会?テクノロジー?科学の発展?どう説明したらいいかわかんないのですが、そんな国でも信仰が中和されているようです。ですから日本にイスラムが広まったとしてもそんな強くはならない気がしました。