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ムスリム男性とクリスチャン女性の結婚
- クリスチャン女性、もしくは元クリスチャン女性とムスリム男性の結婚について質問です。結婚時の改宗や結婚後の宗教に関する体験談、宗教と文化の違いなどについて教えていただけますか?
- 私(日本のクリスチャン家庭出身、日本在住)は西アフリカ出身のムスリム男性とおつき合いをしています。彼との結婚について迷っています。彼は日本に長く滞在しており、キリスト教のことをもっと知ってほしいと言っています。私はムスリムになるつもりはありませんが、結婚についてアドバイスをいただけませんか?
- キリスト教徒、仏教徒、無宗教の方の結婚相手がムスリムの場合、どのような問題や違いに直面する可能性があるのでしょうか?結婚についてのご意見やアドバイスを教えてください。
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私は親(仏教徒)から禁じられていたので洗礼を受けていませんが、小学校の頃から成人して主人に質問をぶつけるまで「心はクリスチャン」でした。「なんちゃってクリスチャン」だと言われるでしょうが、本気で信じていました。 済みません、ちょっとアツくなってしまい、かなりの長文になってしまいました。お許しください。 ◎結婚の際には納得の上でムスリマ(女性信者)になりました。 「心はクリスチャン」と書きつつも、キリスト教に疑問というか矛盾点を感じていました。 一つはイエス様やマリア様の像や絵が当たり前のように教会にあること。 聖書の中に(大意) 「お前達(人間)は木で像を彫り『神様、私達を助けて下さい』とすがるが、その彫った木くずに火をつけ『あぁ温かい』と暖をとる」と非難している箇所がありますよね。 ならばイエス様やマリア様の「お姿を崇拝対象」にするのは偶像崇拝であり、禁止されているのではないか?と。 幼児洗礼を受けた友人に質問したら「それを言ったらあなたは異端者だ」「キリスト教像は偶像ではない。他宗教の像が偶像」と説明されました。 しかし、イスラームでは崇拝対象は唯一なる神だけで(ムハンマドsawsは崇拝対象ではない)、その像を作り出すことは厳禁。 あぁ、聖書の言葉に合致する!!と感動しました。 もう一つは「三位一体」。 これはニケーアの公会議で「イエス様も使徒達も不在の席」で、後世の信者達が「多数決」で決めた事。聖書でも「神は唯一」と書いてある筈。 それにイエス様がいらした時代、人々(ユダヤ人)達は、神に対して愛情をこめて「父ちゃん(お父さん)」と呼びかけていた事は史実で有名。 だからこそ私達(←当時の私も含めて、と言う意味で)は「天にまします我らが父よ」と呼びかけるのですよね。「父なる神」という言い方も。 それなのに、何故「イエス様」が神を「お父さん」と呼んだからと言って「イエス様は神の子」にならなければならないのだろう、と(時系列は逆かもしれませんが)。 それなら私達(同上)も全て神の子で、イエス様と私達の差は「民を導く者(イエス様)と導かれる者(信者)」しかないだろう、と悶々としていました。 更に、洗礼を受けたイエス様を、天から神が「これは我が子(神の子の意であれ信徒の意であれ)」と宣言しておきながら、「イエス様と神(そして聖霊)は三位一体で同じもの」だなんて矛盾じゃないか、と。 あと「聖母懐妊」の際、聖書では「マリア様に聖霊がお臨みになり」とあります。 神と聖霊が同じならまぁ納得できるのですが(「臨む」とは「そういう行為」の意)、イエス様と神と聖霊が同じ、となると、「イエス様の誕生」のためにマリア様に「臨む」のがイエス様ご本人も含まれてしまって、訳が分からないことを「そのまま呑み込め」と強要されているようで苦しかったです。 それを前述のように現在の主人(当時は知人の1人)にぶつけたら、「あなたの考えは正しい。ヒトや動植物は、自分自身が滅びるからこそ自分の遺伝子を継ぐ子孫を残す能力を持つ。滅びる事も衰える事もない神に子などないし、子を持つ必要もない」と言われて、その通りだ!!と思いました。 クルアーン第112章「イフラース(純正)章」に書かれています。 「詠め(←言え、の意)、『彼はアッラー、唯一なるお方。アッラーは自存する(誰の助けも要らず、自分だけで自己完結している)。生みもしないし、(誰かから)生まれたのでもない。彼に比べられるものは何もない(=アッラーと同位に立てるものは何も存在しない)』 ムハンマドsawsが「宣教」を始めた時代のアラブ人達は、アッラーを信じつつ先祖が作りあげた別の神を同時に信じていました。「アッラーには3人の娘(女神)がいる」とまで言っていました。 その考えを砕くために、アッラーは「神(アッラー)は唯一であり、子の必要が無い。何故そのような愚かな事を言うのか」とクルアーンの中で何度も非難しています。 ちなみにクルアーンでは、マリア様の懐妊の際、 マリア様が「どうして私に子ができるでしょう?私に男性が近づいたこと(=性交渉)がないのに」と言うと、懐妊の知らせを伝えに来た天使が「アッラーが『そうなりなさい』とお望みになれば何でもそうなるのです」と答えました。 ◎良かった事。 (1) イスラームは人間の「結果」だけを評価するのではなく、「過程の努力や行動を起こす時の意図(ニイ ヤ)」を高く評価します。 有名なハディース(ムハンマドsawsの伝承)で「行いはニイヤ(意図)による」というのがあります。礼拝をする時に「信仰深い人と思われたい」と礼拝した人より「アッラーの善いしもべとなりたい」と礼拝した人を「アッラー」は褒めて下さいます。 「礼拝」を「施し」「善行」等に置き換えてもいいでしょう。 当時てんかんの発作で服がべろべろに肌蹴てしまう女性が「私はてんかんの苦しみは耐えますが、どうか私が肌蹴てしまうことがないようにして下さい」と祈ったことをムハンマドsawsがとても褒め称えています。 そして、必死に努力したのに結果がダメでも、その努力をしたことを評価して下さいます。 その一つが「インシャーアッラー(もしアッラーがお望みになるなら)」という言葉にあると思います。 私はどんなに努力しても、何かしら障害が出て「待ち合わせに遅れる」「結果が出ない」ということがよくあり、よく他人に非難されていました。 でもどんなに必死に頑張ってもうまくいきませんでした。 しかし、「どんなことでも『もしアッラーがそうお望みになるなら(インシャーアッラー)と言いなさい』という言葉に、「充分努力しても望んだ通りにならないのは、アッラーがそう望まれたからであり、悪い事ではないのです」という意味を理解した時、今までの苦しみが全て拭い取られたかのような感謝の気持ちで一杯になりました。 …元々「インシャーアッラー」は、「将来の事に関して、(あなたがどんなに頑張っても)成就できなかった時に嘘つきとならないために」という、アッラーの御心からなのですが。 (2) 本当は「男性より女性に優しい」こと。 例えばよくイスラーム非難の例として、クルアーンに「妻が言う事をきかなかったら叩いていい」という句がある、と言われますが、実は違います。 あれは「不行跡の心配のある妻には、まず彼女を口で諭し、それでもダメなら寝室に閉じ込め、それでもダメなら叩いて諭せ」という節のことで、ここのタフスィール(注釈)にはムハンマドsawsがわざわざ「叩いた跡が残るほど強く叩いてはいけない」と言った、とあり、DV夫なんてもってのほか!!なのです。 他にも「男性は女性より一段上」という句もあるのですが、クルアーンの別の個所(上記の句と同じ箇所:クルアーン4章34節)に「それは、男性が家計を支えるために(働くために体力的に)女性より強く作られたのだ」と書いてあり、男尊女卑の意味は全くありません。 他にも「男性の財産は家族のもの(家計のため)、女性の財産は女性本人のもの」という決まりも。 もちろん「宗教で言っている事=信徒の言動」ではないので、どうしようもないダメダメな信徒、決まりを守らない信徒がいる事は否定しませんが。 (3) 入信前の「過去の私」を受け入れてくれる。 ハディースで「あなた方(入信した者達)は、過去の善行のためにアッラーに導かれたのです」と、アッラーは異教徒時代の善行ですら評価してくれるのです。 私はダメダメな人間だし、大した凄い事もした記憶が無いのに、過去のほんの些細な事をアッラーは、私を「無道(ジャーヒリーヤ)」から救い出すに値する善行だと認めて下さった事に感涙してしまいました…未だに思い出すだけで目頭が熱くなります。 ◎私は日本人で仏教徒の両親の子です。前述のように「心はクリスチャン」でした。現在も日本在住です。 ◎主人はアジア圏内の某国出身です…同国人はネット等ですんごくいろいろと(笑)非難されていますが、主人を含め親族や知人に良いムスリムが沢山いるので、「日本人が全員善人で無いのと同様にムスリムも全員が悪党ではない」と思っています。 モスクによっては、日本人(あるいは日本語ができる)女性信者の講師が開いているレクチャーがあります。 それにもうすぐラマダーンで、多くのモスクでムスリムでない方を対象(大歓迎で!!!)に断食解除(イフタール)のパーティーを開きます、インシャーアッラー。 そういう場にご参加頂いて、分からない事や知りたい事を沢山ぶつけてみてはいかがでしょうか? 皆さん質問は歓迎して下さいますよ。いんしゃーあっらー
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- teaspoon711
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No.3です。少々言葉が足りなかったようなので。 日本では婚姻の手続きと宗教は全く関係ないので、役所で婚姻の手続きをしただけです。 結婚式は日本では食事会というか、パーティーを。 夫の国では宗教に基づいた結婚式を正式に挙げました。 それをもって改宗した、考えています。書類やそのた法的・宗教的な手続きは 全て夫とその家族がしてくれたので、これ以上細かいことは残念ながら私自身も 明確には分かっていないです。 国や宗教の習慣、というより、「結婚するなら改宗するでしょ?」 な感じでした。 彼が過去に日本人と婚姻しいたということですから永住許可を得ているのは本当かもしれません。 宗教の事に重点をおいて彼との関係を考えているようですが、それ以外の事で 苦労されることも多い、偏見ではなく、特にアフリカの方々とは、という意味で書きました。 これ以上は書けませんし、成人であるトピ主さんが決められることです。
お礼
再びご回答くださり、感謝いたします。 旦那様の国で宗教に基づいた式を挙げられた際に、改宗されたのですね。 参考になります、ありがとうございます。 宗教以外のことで苦労することも多い…ということですね。 ご丁寧にお伝えくださり、ありがとうございます。 仰る通りです。他者と信頼関係を築き上げていくこと、その上で共に生活を営んでいくということは、簡単なことではないと思います。 その相手が、日本から行くには1日以上かかる遠い異国(開発途上)の地で生まれ育った異性だというのだから、なおさら理解に苦しむ場面は多いかもしれないですよね。 (加えて、彼の母国であるアフリカについて知るための努力も、おおざっぱな私ですから) ただ、私にとっては自らの宗教(信仰)が人格形成の土台となっており、最大の価値を置いているものなので、重要なところなのです…。 彼がもしも、私の宗教(信仰)を認めてくれないとすると、それは私の人格が認められないというのと同じことだと感じてしまいます。 そうなると関係を続けることは難しいので、「認められない」とはっきり言われてしまったら、お別れを選ぶことになると思っています。 私のつたない話におつき合いいただき、ありがとうございました。
- teaspoon711
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◎結婚する際に改宗されましたか?またはしますか? 婚姻の手続きをすることで自動的に改宗だったのかもしれません。 でも神社仏閣には参拝します。実家や親戚の法事にも参加します。 夫は食肉と飲酒と、過度に肌を露出する以外は全く厳しくない人です。 ◎改宗された方は、そのことで困った体験 飲食では困りましたね。夫は厳しくはないのですが、それでも食べれない肉があるし 飲酒も基本的にはダメと言われます。 改宗した自覚があまりないせいもあり、改宗してよかったと思ったこともないです。 ◎彼の母国はどこですか? 南アジアのある国です。イスラム教徒といってもいろいろです。 女性は肌こそ見せないものの、多くの方が普通に顔を出して暮らしている国です。 ◎あなたの母国はどこですか?宗教は?現在はどちらにお住まいですか? 日本です。実家のお墓はお寺にありますので、仏教徒だっということになります。 永住権ではなく、永住許可ですね。 差別でもなんでもなく、アフリカ出身の方で日本に合法的に就労で来る方は 非常に少ないです。日本に住んで数年で永住許可がおりたとしたら、 彼は日本人の配偶者(だった)でしょうね。 就労で日本に住む場合、永住許可の申請まで10年くらいは住まないと。 在留資格は確認しておくべきです。 正直、想像している以上に苦労されると思いますが、どうするかは成人である トピ主さんの自己責任だと思います。少しでも参考になれば。
お礼
貴重なお時間を割いてご回答くださり、誠にありがとうございます。 婚姻届を出したことで自動的に改宗だったのかも…ということですけれど、 それは旦那様がお生まれになった南アジアのある国、特有の慣習なのでしょうか? あるいは日本国内のモスクで挙式をした時のご体験なのでしょうか? (気になってしまいました…汗) 永住権ではなく、永住許可というのですね。ありがとうございます。 なるほど、やはりアフリカ出身で合法的に就労できるという方は少ないという現状にあるのですね。 やはり、確かめたいなと思います(*^_^*) 彼は独身(賃貸でひとり暮らし)で、現時点では日本人の配偶者ではないということになりますが、 過去に日本人の奥様と、3年以上の結婚生活の末に離婚された(価値観の不一致のために)と伺っています。(お子様は授からなかったそうです) 離婚後も1年以上日本に在留している、ということになりますので、 法務省のHPにある「原則10年の在留に関する特例」の(1)に当てはめることが可能かと思われますが、実際のところは分からないので、本人に改めて伺うのがいいですよね。 貴重な体験談をお寄せくださって、本当にありがとうございます。 正直、想像している以上に苦労されると思いますが…と、ご心配くださりありがとうございます。 恥を承知で申し上げますと、あまり想像ができていないから このような場を借りてご意見を募り、想像を働かせるための手立てとなるものを得たいと思っている、というのが正直なところです。 ですので、回答者様のような助言をいただけると本当に助かります。 心より感謝しております。
補足
合法的に就労できるという方は少ない… というところは、 合法的に就労で来るという方は少ない… の打ち間違いです。 細かいかもしれませんが、念のため訂正いたします。
ご質問の趣旨とは違う回答になるので参考程度にお聞きいただければと 思います 宗教上の問題は ムスリム以外にも存在します 例えば婚家が創●学会で 改宗 入信の意思のないお嫁さんだった場合 が顕著ではないでしょうか? 結婚時夫には「付き合い程度に合わせてくれればいい」 「僕は自分の意思で入信していないから 君あは気にしなくてい」 そんな言葉を信じて結婚してみれば 婚家(義両親)から集会の参加の強制や 「お務め」の強要などで家庭内が揉める話は結構あります おなじ国根ざした宗教であってすら 同じ志をもっていないと家庭内に 不協和音が響きます 彼は初めから「結婚するならムスリムの女性」と、言っているのですよね それは 彼自身がムスリムの信仰に根ざした生活を望んている表れだと 思います あなたが ムスリムを理解し入信しその教義にのっとった生活をする覚悟がない限り 単なる「理解」だけでは 難しい問題も出てくるはずです あなたが入信せずに結婚した場合 夫婦だけであれば 見て無ぬふりもできるでしょうが お二人にお子さんができた時 果たして彼は自分の子供が自分の意思で宗教を選択が できるようになるまで子供にムスリムの教義 或いは生活様式を押し付けることなく 自由にさせ 待つ事が出来るのでしょうか? おそらくそれは難しいのではないでしょうか? あなたは今はまだ 彼の妻ではないので ムスリムの習慣を押し付けられる事はないでしょう でも 結婚したら彼はあなたに彼の妻として「ヒジャブ」をつけて外出をするように と、言うかもしれません 貴方には言わなくても 娘が出来たらどうでしょうか? ムスリムと言っても 宗派もあるので一概には言えないでしょうが ムスリム独自の 考え方や生活教義があります そういったものと全く接点のなかったあなたにそれを受け入れるだけ気構えがあるでしょうか? おそらく彼はそういった宗教の違いによる家庭内の不和を望まないがゆえに 妻には「ムスリムの女性」を望んでいるように思います 彼と結婚を望むのなら まずはそういた宗教の違いによる生活様式の違いが生じた 場合 どのように対応するのかよくよく話し合う必要があるように思います
お礼
貴重なお時間を割いてご回答をくださり、誠にありがとうございます。 大変分かりやすく、具体的で、的を射たアドバイスに心から感謝しています。 回答者様のおっしゃる通りで、私にとっても自らの宗教が人格形成の土台となっていますので人生において大変重要な価値観という認識です。 宗教儀式(ラマダンなど)や、1日5回のお祈り、食べることが許されない食品、ヒジャブを身に着けての外出など、目に見える宗教的な生活習慣に関しては合わせることは不可能ではないのかもしれません。(ムスリムは喜んやっているのだよ、と彼は教えてくれます。) けれど、イスラムの教えを信じるこころを持てるか?というと…難しいです。私は幼いころより、キリスト教の教えに基づいて神様にお祈りしていますから、いまからそれを変えることができなくて。 なのでイスラムへの入信は考えていません。 結婚のことですが、何かの記事で「父親がムスリムの場合は、必然的に子どももムスリムになる(選択の余地はない)」とあったことを記憶しています。(まちがっていたらごめんなさい) 上の記事の内容が正しければ、彼と結婚して子どもを持ったとすれば、その子はムスリムとして育てていくことになるのだと思います。 コーランによると、ムスリム男性はユダヤ教徒とキリスト教徒との結婚は許されているようなので、法を破ることにはなりません。けれどイスラム法で許されていたとしても、彼が心の底から認めて、許してくれていなければ意味がないですよね。 私と彼は、結婚や子どもを持つことに関してはまだ、具体的な話には及んでいません。 私はまだそのような話をするのは時期尚早かな、なんてのんびりとしてしまっているので。 でも、もしかしたら彼のほうは私の態度にイライラしている、なんてこともあるかもしれませんね。 少しづつ、話し合いの機会をもつように努めてみます。 親身で説得力のあるご回答を寄せていただきありがとうございます。
- saregama
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>彼は日本に数年滞在しており(永住権を獲得) 日本に数年滞在しているだけで永住許可を獲得できるのは、 日本人又は永住者の配偶者又は子だけです。 http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyukan_nyukan50.html ちなみにあまり参考にはならないでしょうが、 元々仏教徒でインド人夫と結婚する時にカトリックの洗礼を受けました。 敬虔なカトリック信者でもなく日本では教会も遠いので行ってませんが、 夫の実家へ里帰りした時には家族全員での毎晩1時間にも及ぶお祈りに付き合い、 日曜日のミサに行っています。
お礼
貴重なお時間を割いてご回答をくださり、誠にありがとうございます。 法務省のURLまでつけてくださり、ご親切な対応に感謝します。 彼の在留カードを確認したわけではないので、永住権がどのように発行されたのかということは分かっていません。日本の会社で正社員として雇われていて、同じ職場に5,6年お務めなのですけど、関係はないのかな。次に会うと時に聞いてみようと思います。 回答者様は、旦那様がカトリック教徒の方だったのですね。 敬虔なカトリック信者でもなく…、というのは旦那様のことでしょうか? 旦那様ご本人はそれほど熱心なクリスチャンではなくても、ご家族が大変ご熱心に信仰していらっしゃる、ということもあるのでしょうね。加えて異国人に囲まれてのミサに参加するのは、もともと教会に通う習慣があったとしても肩身の狭い思いをしたりするのかもしれないなあと、想像します。 (外国に行ったら異国人と呼ばれるのは自分の側ですね、汗) 私が彼に誘われて行った日本にあるモスクでは、日本国内であるにも関わらず日本人がほとんど見当たらなくて、心細い気持になりました。(私以外にひとりだけ日本人女性を見つけた時は安堵しました) 日本語での説教時間ではなく、英語とアラブ語での説教時間だったせいもあると思いますけれど。 でもたとえ日本語で説教を聞いていても、カトリック教会で感じるような癒しの時間を得ることができるとは想像し難いです…。私の好きな讃美歌も歌わないし…。女性は目隠しの壁がある別室で男性とは離れた場所でお祈りをするということもちょっと気に入りません。 回答者様は旦那様の宗教的な価値観も受け入れて、穏やかな生活を送られているのだろうなと思います。本当にすばらしいことです。 貴重なお話をありがとうございます。
お礼
貴重なお時間を割いてご回答くださり、誠にありがとうございます。 PCの画面を通して熱が伝わってくるようなアツいご回答に胸を打たれました。 偶像崇拝は聖書の中で非難されているにも関わらず、聖人の像を造り続けている教会建築のあり方や、三位一体について、マリヤ様の処女懐妊についてなど、 回答者様はいくつかの疑問を感じていらっしゃったのですね。 聖書にある通りで、「偶像崇拝」は神様が喜ばれることとは相反すると思います。 ただ、私たちは過去にあった喜ばしい体験や、苦しみの経験の記録を次世代のために遺しておき、伝承したいという欲求をもっているものですよね? キリスト教においての宗教的な建造物は、目に見える形で歴史を遺すための記録であって、崇拝対象として作られるものではないと思います。 マリア様の受胎告知の画がステンドグラスなどに施されるのは、マリア様の身の上に起こった奇跡と、イエス様のご生誕の歓びを思い起こすためであって、決してその画(物質)自体に最大の価値をおいているわけではないはずです。 「三位一体」と「マリア様のご懐妊」についてですけれど、私もここが難しいところかなと思います。 どちらも信じるか、信じないか、という分かれ道になる、理屈が通りにくいところですよね…。 「三位一体」については、アウグスティヌスが『三位一体論』の中で説いているものが分かりやすいと感じました。 「言葉を出すもの」父、「言葉」子、「言葉によって伝えられる愛」聖霊…というこの3つが、それぞれに独立した相をなしつつ、一体(唯一の神)として働き、本質については同一である、とあります。 神様からの言葉は正しいものです、その正しい言葉を人々に正しく伝えるために、神様が地上に送ったのが神の子とされるイエス・キリストで、彼はその生涯で一度も神様の御心を裏切るという罪を犯さなかった。だからイエスの口を通して聞く言葉は神様からの言葉と同一であって、正しいものなんだ、と信じる。これを信じると告白した上で、教えに基づいた働きかけをだれかにしようとするときの原動力となるものを聖霊というのだと、私は解釈しています。 〈ちなみに教会の中では、神様を信じる人たちは皆「神の子」と呼ばれますよ(*^_^*)〉 マリア様のご懐妊についてですけれど…私にはさっぱり分かりません!笑 どうやったら性交渉もなくこどもを授かるというのでしょうね。 聖書には、ヨセフ(マリア様の旦那様)側の記述があって 「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマルエル(神は私たちとともにおられる、という意味)と呼ばれる。」 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、 そして、子どもが生まれるまで彼女を知る(性交渉する)ことがなく、その子どもの名をイエスとつけた。 …となっています。 これについては神様が起こしたたった1度きりの奇跡のようなので…。神様は人間には不可能な方法で奇跡を起こす力を持っていらっしゃるのだと信じるしかないです。 ええと、こういう訳ですので、 キリスト教もイスラム教と同じく、偶像礼拝を快く思っていないし、唯一神を信仰しているものなので、共通する教えが多いと私は捉えています。 大きく違うのは、キリスト教徒がイエス様を通して神様の言葉と繋がっているのに対して、イスラム教徒の方は、ムハンマドさんを通して神様の言葉と繋がっているという点だと感じています。 回答者様の体験を共有していただけたおかげで、上記の考えはいっそう確かなものになったように思います。 貴重なお話を聞かせてくださって、本当にありがとうございます。 イフタールのパーティーですか、何だか楽しそうですね(*^_^*) 神様がお望みであれば行くことになるかもしれません。もしもそうなったら、楽しみますね!