日本で23万人いるイスラム教徒がテロに走りますか?
イスラム教徒の大半は無害であろうともあの教えにテロリズムの可能性が秘めている事実は世界に蔓延るムスリム全体の行動が示しているのではないでしょうか。正しい教えがあることはムスリムの99.9%は示しているとしても0.1%が日本の文化に否定的な感情を持ち、イスラム国ほどではないにせよそういった組織を立ち上げてしまわないかと不安になります。
フリーターをしているのですが、よくムスリムの留学生と一緒になります。イスラム教についてよく聞いてるのですが、イスラム教はそうでないものや文化に対して寛容な教えを示していると言っていました。僕も本を読んだりしていくうちに、文化とイスラム教は国によって多少の小競り合いがありながらも、教えの形を歪めながら共存しているんだなと知りました。しかし、見過ごせない点があります。それは生活様式が決まっている点です。その規律のお陰でそこにある文化は変容せざるをなくなり、それがニュースにもなっていました。ここに言葉にはできない不安が出てきました。共に働くムスリムも君たちは日本文化を受け入れながらその教えは否定してることをわかっているの?と聞いたら黙りました(日本語にできなかった理由もあるとわかっています)。いや相手の立場はよくわかっているつもりです。神のみがすべてで、間違った生き方、文化の在り方をしてる僕たちは許されない存在です。しかしそれを認めてあげるのがイスラム教であることも分かります。要はイスラム教は、静かにゆっくり争わない形で浸透させて世界全体にイスラム教を浸透させたがっています。ゲイのムスリムがいることも、豚肉を食ってしまうムスリムがいても、教えに対してどんなに間違えていようがクルアーンは完全には否定していないでしょう。だってムスリムと名乗るからにはアッラーを愛し信じているからです。ただ間違った僕たち彼らは地獄に行くだけだから。もうこういう思想が嫌でたまりません。
創価学会の両親に育てられたのですが、人間革命の本を読んではいないのですが、彼らにそんなものなかったように思えて、教育はただ勉強しろと押し付けられてきました。日蓮大聖人は唱えれば救われる教えです。母は何時間も題目をしていました。親父は機嫌の悪さを外に発散する人でした。ただ創価には絶対はありません。いや仏教に絶対はないでしょう。でも一神教においては絶対があります。何が嫌なのかっていうと、馬鹿はクルアーンを理解できないと思っています。半端な頭と思想を持った馬鹿はより極端になると思ってます。教え以上に世界をムスリムにしたがり人を傷つける馬鹿が日本にも出てくると思っています。感情的になってしまいましたが、神なんかいないとか思ってるわけではりません。幽霊的な存在がいるのなら神的なものも存在しているかなという考えです。しかし人類が滅べば神は同時に滅ぶと思ってます。
すいません、脱線していました。
イスラム教が広がる日本にテロに走ったり人を傷つける、ジハードの意味を聖戦として戦おうとする馬鹿はでてくるのでしょうか。
教えてください。よろしくお願いします。