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意味の違い such
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以下のとおりお答えします。 >“Such as are your habitual thoughts, such also will..”を “They can be your habitual thoughts, they also will..”という表現と比較した時、どんな意味の違いがあるのか判別つかないです。 ⇒“Such as are ~, such also will be …” は、直訳すれば「~がそのようであるように、…もまたそのようであろう」となるとおり、比喩法を用いて類似性を述べる表現ですね。それに対して、お書きの “They can be ~, they also will be…”「それらは~であり得て、また(それらは)…でもあるだろう」と、いわば等号で直接結びつける表現ですね。前者に少し近づけるかもしれない語としてはcanがあると言うかもしれませんが、これとて法助動詞の名のとおり「話者の心的態度」を示すものにほかなりません。つまり、上記の両表現は、意味論上から言って、かなり異なる部類の表現である、ということになります。もし、意味上近づけたい場合なら、“They are like ~, and they also will be like …”「それらは~のようであり、また(それらは)…のようにもなるだろう」 といった形にすれば、類似の比喩法の表現の一種になります。 恒例の、原文と訳文は次のとおりです。 “We are what we repeatedly do,” Aristotle said, " “therefore, excellence is not an act but a habit.” The stoics add to that we are a product of our thoughts (“Such as are your habitual thoughts, such also will be the character of your mind,” Marcus Aurelius put it). 《アリストテレスは「人は繰り返し行うものである」と言い、「したがって、卓越性とは行為ではなく、習慣である」と言った。それに対して、「我々(人間)は思考の産物である」とストア派の人々は付け加えた。(「人の思考が習慣的であるように、人の心性もまた習慣的であろう」、とマルクス・アウレリウスが言ったとおりである)。》
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- cincinnati
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人となりとは人が繰り返してきたことに依存するとアリストテレスは言っています、従いまして、エクセレンス(優れていること)はある行いではなく、むしろ習慣なのです。その禁欲は人が自分の思考の産物であるということをそれに付け加えます。(「そのようなものは人の習慣的な思考であり、それはまた人のこころにある性質となるであろう」とマーカスアウレリウスは述べています。) アリストテレスのWEも、アウレリウスのYOUも私と訳しました。依存という言葉も適当な訳が思いつかないので使いました。
お礼
添付ファイル文章を全訳してくださりありがとうございました。 特に(「そのようなものは人の習慣的な思考であり、それはまた人のこころにある性質となるであろう」とマーカスアウレリウスは述べています。)の部分が、より良く理解するのにとてもためになりました。 たくさんご回答くださりありがとうございます。
お礼
分かりやすく教えてくださりありがとうございました。そのためしっかり理解することができました。わたしの質問に回答するためにいつもお時間割いて下さりありがとうございます。