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性の多様性が許される背景にあるもの
単なる臆測にすぎないのですが、もし、大量増殖した後のヒトの本音が「自分の子孫を残す」から「人より楽をしたい」に一旦シフトするとしたら、「楽をしていそうな(≒幸せそうな)ある個人の性別」に憧れを抱いて、自分もそうなりたい、そうあるべきだと無意識に思ったりしないでしょうか。 社会的権威になれる確率が異性では高いことに気付いたり、(時代時代に望ましい)容姿を持ってターゲットを気遣うだけで、ひたすらちやほやされている異性の姿を何度も目の当たりにしたなら、性自認は意外と簡単にゆらいで変化するものなのではないでしょうか。 まして、「出産&子育て」はどちらの自己犠牲も必要(とは言え、片方がそこから逃げても社会的制裁はありません)とされ、人より楽ができるかは全くもって不明、リスクもコスパも検討はつかないのです。 昔より子供も年寄りも死ななくなって、人口密度が高い状態が常態化すると、子孫を残すことは(地方の)他者に預け、大きなリスクを避けるため、「一方的に与えられた性」に逆う選択を試みる者が現れるんじゃないでしょうか。 国や宗教は人口を増やしてその勢力を拡大しようとしますし(搾取できる対象が多い方がいい資本主義もよく似た性質を持つ)、「与えられた性に逆らうこと」は、それを阻害することになるため許されなかったのだと思われます。 今、「性の多様性」が許されつつあるのは、「資本主義の下で科学を使い人を量産できる確信を得た」ということではないでしょうか。 「支配する側が支配される側に禁じたことが解禁される」のは、「支配する側が禁じ手」を使おうとしている」からなのではないかと思うのです。 SDGの蓋を開けたら、「持続可能な社会」=「持続可能な搾取」で、それが「新しい資本主義」の意味だったりしそうです。
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- eroero4649
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- kurinal2
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