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未必の故意、 からの

法律用語で未必の故意というものがあるそうです。 行為者が、罪となる事実の発生を積極的に意図したり希望したりしたわけではないまま、その行為からその事実が起こるかも知れないと思いながら、そうなっても仕方がないと、あえてその危険をおかして行為する心理状態。 要は他の相手が死にそうになっていたりして、あるいは状況的に厳しく、苦しんでいても見て見ぬふりをしてスルーしてしまうのは犯罪になることもあるそうです。 その他の相手というのが知り合いであるにもかかわらず、行われる場合ならば、いったいどんな心理的状況が、当人には起こっているのでしょうか。すごく幼い文章ですが、申し訳ないです。

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回答No.1

・今の前提を変えるのを嫌う心理 まだ死んでないんだから今後も死ぬはずないし、縁起の悪いことを考えてはならないので、知り合いが死んでも仕方ない ・複数が対象になると感情が上手く働かなくなる心理 苦しんで死んだ人はたくさんいるんだから、知り合いが苦しんで死ぬのも仕方ない ・過度に一般化する心理 死ぬくらい苦しいのは普通なので、死ぬのは死ぬ他人の責任だから、知り合いを死んでも仕方ないくらい苦しめるのは知り合いを改善させてやる為の思いやり だいたい、この3通りの心理なんじゃないですか?

その他の回答 (1)

  • fujic-1990
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回答No.2

> 要は他の相手が死にそうになっていたりして、あるいは状況的に厳しく、苦しんでいても > 見て見ぬふりをしてスルーしてしまうのは犯罪になることもあるそうです。  (当人たちは軽く考えていても)なんらかの関係がある場合に犯罪とされる場合もある、のであって、基本的には犯罪にはなりません。倫理的に、たとえば「人としてどうなんだ!」とか非難されるだけです。 > いったいどんな心理的状況が、当人には起こっているのでしょうか。  「手に負えないな」とか、「警察のお世話になって、一度懲りたほうがいい」とか、「突き放す」気持ちが生じているのではないか、と思います。あるいは「俺たちが放置しても、店員とか誰かがなんとかするだろう」という責任転嫁の気持ち・・・ でしょうか。  と言っても、私が何度か体験しているのは、さっきまで一緒に呑んでいた仲間(のはずの人)が酔っ払いを放り出して行ってしまった場合などを見ていての感想ですが。  私がいる場合は、私は下戸でまったく呑めないので、「じゃ、頼んだよ」の一言でたいがいは私に責任を押しつけて解散してしまいました(今はそういう連中と付き合わないようになりましたが)。  で、私が車に乗せて連れて帰るわけですが、「まだシラフだ。もっと呑むんだ」とか言って、運転中に足を蹴飛ばされたりもしました。罵詈雑言を浴びることなんて軽い方でした。  逃げたくて、ほかのグループはどうするのかを観察したわけですが、大半はほっぽって行ってしまいました。道路などで散々ごねたり寝込んだりしたら、「まだシラフだ。大丈夫だ」と言ったから、という理由で路上に放置するんじゃないかと思いました。  「路上に寝転んで車にひかれても、自業自得だ」的な思いがあるのでしょうが、こういう場合、未必の故意が認定される場合もありますね。

noname#250311
質問者

お礼

詳しくどうもありがとうございます。