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「ルパン三世」を非難する気にならないのはなぜですか

「ルパン三世」という漫画・アニメは、泥棒つまり犯罪者を肯定的に描いているものなのに、観ていて非難する気にならないのはなぜでしょうか? どうして我々は泥棒という犯罪を観て快哉するのでしょうか?

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  • mimazoku_2
  • ベストアンサー率20% (1908/9135)
回答No.1

私が思うことは、泥棒という犯罪よりも泥棒という行為から発生する人間関係だと思います。 つまり、「生き様」のようなストーリーを感じ取っている。 言い替えれば、人間関係を学んでいるとも言えます。 例えば、ルパンと銭形、ルパンと次元など、恋愛は峰不二子や他の女性キャラ、それこそクラリスですね。 類似系で言えば、ゴルゴ13もそうだし、超人ロックも同じ系列と言えます。

tabuqarn
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • sutorama
  • ベストアンサー率35% (1688/4748)
回答No.4

正義とは正しい義ではなく、各々が正しいと信じている義です  ※辞書とかの解説は別にして 例えば、いわゆる悪者も、自分の正義で行動しているわけです 勝てば官軍のように、世界の歴史も勝ったほうが正義の歴史を残せてしまうのです また歴史上、正義の反対は悪ではなく大義であることが多く、圧力・力を持ったモノへの反抗が、過去の物語でも正義として描かれています 坂本龍馬も新選組も、ある視点から見たら人殺しです 今の法律が及ばないにしても、人を殺傷して解決に至っているのに、時代劇や歴史では、英雄のように描かれ、書かれているように殺人行為を肯定的に描いているのも同じと言えます 故に、昔から、映画・ドラマ・時代劇・小説でも、ヒーローが殺人行為を犯しても、正義という名のもとなら違和感を感じないのと似ていますね

  • habataki6
  • ベストアンサー率12% (1182/9783)
回答No.3

現実社会と仮想空間では、表現の仕方は異なります、現実社会では 違法な事は摘発されます、仮想空間では実話では無いので、摘発の 対象では無いです、泥棒は実害無ければ、犯罪とはいいません。

tabuqarn
質問者

お礼

>泥棒は実害無ければ、犯罪とはいいません。 泥棒は実害がありますし、犯罪でしかありません。

noname#252332
noname#252332
回答No.2

 犯罪は我々の敵ではなく、犯罪という理論は我々が敵を非難する道具にすぎないからです。宣戦布告せずに飛行機で魚雷を落とすことが犯罪か、自国の有権者の命を節約するために新型爆弾を落とすことが犯罪か、事件から何十年も経てば賢くなって真理が見えそうなものですが、我々は正義でさえも自分の損得から離れません。正義だ悪だ犯罪だと言うなら法と事実だけに則り定義できそうなものですが、鼠小僧が犯罪者でなく義賊であるのは彼が私の財布を絶対に狙わないからです。いや、犯罪者ではあるが、そうだと騒がない。鬼の国を征服し30万の鬼を殺害して財宝を持ち帰っても雉も猿も犯罪だと騒ぎません。鬼の遺族は歴史の歪曲だと怒っていますよ。正義とは自分が良い気分になるための筋書きにすぎない。絶対的な正義があるなら政党も宗教もとっくに一つになっています。正義の裏返しである犯罪も同様です。

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