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ロンドン乞食
ある本で「ロンドン乞食」という言葉が大正昭和の頃にあったと知りました。「ロンドンの乞食は気位が高くて紳士のようにふるまう」という意味らしいです。 もしかしたら、チャップリンが当時演じた「チャーリー」は、「ロンドン乞食」だったのでしょうか?
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A No.1 HALTOW です。 御礼、有難う御座います。 >ということは、紳士一般をバカにしている言葉 ということですね。 いいえ、違います。 全ての紳士を小馬鹿にしているのではなく「ある特定のオッサン (文中では自分の父親) を小馬鹿にする言葉」です。 文中では自分の父親である事を友人達にバレないよう、態々侮蔑言葉に聞こえるであろう「ロンドン乞食」と称した事により、友人達は「彼の父親」である事に気付かずに嗤ったわけですね。 芥川龍之介は友人が「ロンドン乞食」と称した人物が「その友人の父親」である事を知っていましたので、一緒に嗤うことができず、その事が後年まで強く記憶に残ったというわけです。 当時は「ロンドン乞食」という言葉に特に意味はなかっただろうと思いますし、そんな言葉もなかったであろうと思います。 「乞食」という言葉には侮蔑の意味が込められていたでしょうが「ロンドン」は対象者の容姿 (Fashion) を形容した言葉ですので、三つ揃い背広の Vest ではなく、肩がゆったりした Vest なしの背広姿だったら「イタリア乞食」と呼んだかも知れませんし、Kaiser 髭でも蓄えていれば「ベルリン乞食」と呼んだかも知れません。 Street Debater は「嘲りの言葉」ではなく、Street Performer の 1 種です。 直訳すれば「路上討論者」なのですが、それで飯代を集ろうとしているのですから、やっている事は「乞食」と同様に通行人から 金をせびっているわけです。 「乞食」は Beggar と言い Beg は「頼む」という意味の言葉です。 つまり「お金を恵んでくれ」とか「食べ物を恵んでくれ」と頼み事をして生活する者を Beggar と呼ぶのですが、 Street Performer でも人には真似の出来ない技術を魅せる Performer ではなく、Beggar のような直接的な頼み事よりももうちょっとマシちは言え、長話の合間合間に紙 Cup を差し出して小銭をせびる Homeless Performer が Street Debater であり、その発祥が London と聞いたので、私は Street Performer を「ロンドン乞食」と訳したわけです。 「乞食」という日本語に日本人は「嘲り」の感覚を抱きがちですが、Street Performer と横文字にすると「嘲り」にはなりませんよね。 私は大道芸人の技術には感心してそれなりの見学料を払ってしまいますが Street Debater には感心する気にはなれず、やっている事は乞食よりもちょっとマシな程度と思ってしまいますので「ロンドン乞食」という言葉に Street Debater の Image が重なってしまいます。 まぁ日本では見る事はないでしょうが、駅前で政治演説している人がいきなり上目遣いに紙 Cup を差し出してくるようなものです(笑)。 芥川龍之介の文中での「ロンドン乞食」も本当は「格好良いとは言えない体格ながら身なりは良い紳士のオッサン」を称して「London Suit に身を固めた紳士」の「紳士」を「乞食」という言葉に言い換える事で卑下して見せた言葉に過ぎません。 でも、芥川龍之介の文で汲み取るべきは「ロンドン紳士」という言葉ではなく、そう言わざるを得なかった友人の心情であり、それを慮って友人の追悼式で「君、父母に孝を」と悼辞を述べた芥川龍之介の心情です。 繰り返しますが「ロンドン乞食」という言葉には何の意味もなく、そのような言葉の使い方はありません。
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芥川龍之介ですね(^_^)/。 「London の乞食は Pride が高い」という意味ではなく「紳士を小馬鹿にした言葉」です。 実際は芥川龍之介が学生時代に、息子が修学旅行に出発する姿をこっそり見に来ていた父親を、その息子が (竜之介がその父親である事を告げる前に) 「あいつはロンドン乞食だな」と言って周囲を笑わせた Episode を後に竜之介が紹介した文です。 友人の父親は大学の薬局に勤務しているような人でしたので Vest に打紐付懐中時計を忍ばせて Stick を小脇に抱えるような背広姿の紳士なのですが、寄る年波で腹の出た反り返った佇立姿勢と派手な One Point が似合わない、まぁ Chaplin や Sir Winston Churchill みたいな妙に目立つオッチャンでしたので、それまで行き交う人の見かけを嗤っていた竜之介達の話の流れに乗って、友人の父親であると竜之介が指摘する前に、その息子たる友人本人が「あいつはロンドン乞食だな」とのたまって皆を笑わせたというわけですね。 父親がそっと見送りに来たという友人気恥ずかしさや、息子にバレないようにこっそりと見送りに来ている父親の雰囲気とか、哀愁が漂う文なのですが「London の乞食が Pride が高い」などという謂われは全くなく、単に「London 紳士のような格好をしていながらも、ちっとも似合わないばかりか、こそこそしている変な奴」ぐらいの意味です。 その後、若くして結核で亡くなった友人の追悼式で芥川龍之介は「君、父母に孝を」と悼辞を読んだという追記もしみじみさせる文でしたね。 現代での「ロンドン乞食」という言葉は「Street Debater の邦訳ではないか?」と私は思っています。 私は New York 在住時代に何度か見たのですが、Homeless、つまり乞食の中には話術が達者な者がいて、周囲の人達に熱弁を振るって論争に巻き込み、話の合間合間に紙 Cup を差し出して小銭を貰うんですよね(^^;)……でも、話は面白いし、反論を突っ込んでもちゃんと納得の行くオチにしてみせる話術を持っていたりして、小銭を払うに値する Homeless でした。 London にもそういう Homeless が居て、発祥は London だと聞いた事があるので「ロンドン乞食は Street Debater のことではないか」と私は思っているわけです。
お礼
>「London の乞食は Pride が高い」という意味ではなく「紳士を小馬鹿にした言葉」です。 ということは、紳士一般をバカにしている言葉 ということですね。 しかしお説の後半では、ストリート・ディベータ―の訳だと仰り、ホームレス対象の嘲り言葉としておられます。 どちらですか?
お礼
>「ロンドン乞食」という言葉には何の意味もなく、そのような言葉の使い方はありません。 そうでしたか。 私の読んだ本の注釈には上述のような説明があったので、てっきり大正頃には在った言葉を芥川の同級生が言ったのだと思い、そこからチャップリン演じる貧乏紳士の姿に連想が繋がったのでした。