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スーパーマンはやたら単純なストーリーでなぜ続いたか
スーパーマンはあんな単純なストーリーを繰り返してなぜあんなに続いたのですか。もちろん映画ではなく漫画(コミック)のほうです。トムとジェリーは違います。いろいろ変化あります。思うに人間はどんなに強い力を持っていても他人を助ける段になるとめんどくさくなって安易な道、たとえば適当な理由をつけて怠けるとか、他人に代行させるとか、そういう道を選ぶからではないですか。平凡な人間は能力を持っていても楽な道を選ぶ、でもスーパーマンはそこが違う。その点が「スーパー」なのだと思いますがどうでしょうか。
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こんにちは 仰る通り、苦難に立ち向かう姿、それに打ち勝つ姿は なぜか心を揺り動かされます。 日本で言うところの、ウルトラマン? 3分で倒せるはずなのに、それ以上かかり ピンチになっても最後は勝つ! スーパーマンも困難に立ち向かい 破れそうになっても、必ず勝つというヒーローらしい姿に 惹かれたのだと思います。 さすがアメコミです。 単純構造で言えば、水戸黄門なども同じではないでしょか?
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- eroero4649
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>日本の「漫画」は欧米からの輸入品というより江戸時代いやそれ以前から描かれていて庶民に親しまれていた。 ご存知だと思いますが、江戸時代には浮世絵の文化があったので、漫画的なものは非常に古くからありましたね。というか、そういう文化があったから世界に冠たるマンガ大国になったのだと思います。 鈴木春信の画風は、完全に「萌え」の要素ですからね。彼が描いて一躍大ブームになった「笠森お仙」は、お茶屋さんの看板娘。春信の絵の大ヒットでそのお茶屋には男性客が押し寄せたといいますから、元祖「会えるアイドル」にして「メイド喫茶のメイドさん」です・笑。 現代のエロマンガには「触手モノ」というジャンルがありますが、江戸時代の春画にも大ダコが女性を犯すという絵がありまして、つまりもうそのジャンルがあった。 あちこちで大食い競争が行われ、仮装(コスプレ)大会なども催されていたので、現代日本にあるそういう文化は全てもう江戸時代のどこかにあったといってもいいかもしれないほどですよ。 あとね、これをちょっと見てください。 https://mag.japaaan.com/archives/55054 「ブラタモリ」でも紹介されたのですが、武士がウンコする場面の浮世絵です。そもそもなんでその場面を浮世絵にしておまけに販売までしてしまうか非常に理解に苦しむところですが、面白いのは便所です。 よく見てください。落書きがありますよね。しかもチンコの落書きもあります。つまり「トイレに下品な落書きをする」というのは、既に当時からあったということなんですね。
お礼
スーパーマンより江戸時代の「漫画」のほうがはるかに面白いです。いまからでも遅くない、その当時の漫画は大量に残されてる様子ですからいろいろ読んでみます。日本美術史の勉強ではなく楽しみで読むんです。当時「萌え」の絵まであったとは驚きです。日本人の嗜好はあまり変わってないのかも。いや、正確にいうと日本の男の嗜好というべきですか。
- eroero4649
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>日本では少なくとも流行したのは明治になってからでしょうか。(江戸時代にあるわけないですが)。 それがー、あるんですよー・笑。 「漫画」とはそもそも「気の向くままに漫然と描いた画」という意味なのです。 その「漫画」を書いた元祖が、あの浮世絵師の葛飾北斎だといわれています。 葛飾北斎が出した「北斎漫画」が、日本史における公式の「最初の漫画」です。この画集はスケッチブックで、当時の言い方をすると「絵手本」、つまり絵を描く初心者向けのお手本集なのです。 これはとても大人気で、全部で15巻まで出るほどになりました。なんと北斎の死後も新刊が発売されたほどでした。 すさまじい巻数なのですが、この中には北斎の三女であるお栄さんが描いたものも含まれているのではないかといわれています。 北斎の三女のお栄さんは絵の天才だったらしく、かなり絵を描いていたようです。ただし、当時は女が絵を描くというのが許されていない時代。なのでどうもどさくさに紛れて父親の名前で絵を出していたようなのです。北斎自身もそれを認めていたようですね。 なお、非公式ながら「元祖漫画ではないか」といわれている有名な作品があります。それが「鳥獣人物戯画」です。 絵を見ながらストーリーが進行していくのは、まさに漫画ですよね。
お礼
「鳥獣人物戯画」は知ってましたが「北斎漫画」は知りませんでした。さきほどネットで画像見て納得しました。これは壮観ともいうべきです。まさしく「漫画」です。日本の「漫画」は欧米からの輸入品というより江戸時代いやそれ以前から描かれていて庶民に親しまれていた。現在の日本が漫画大国になったのはそういう伝統があったからなのですね。ご回答ありがとうございました。
- eroero4649
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「元祖」だったからではないですかね? ささっと調べましたけど、いわゆるコミック・ヒーローつまりマンガのヒーローの元祖はスーパーマンじゃないかなと思います。顔を隠さないって今から考えるとすごいですよね。だって顔を出してたら「あれっ!クラークさん?」ってなるものね。私もスーパーマンを初めて知ったときに「なんで顔を隠してないのにみんな正体が分からないんだろう?」って思ってました。 だから「悪いやつらがいる。僕らのヒーローがそいつらをやっつける」という単純明快なストーリーでも続いたのでしょう。彼以前にそういうのはなかったから。 日本でも全く同じスタイルのヒーローがいますよね。そう、「アンパンマン」です。彼の場合は「頭を取り換える」ってギミックがありますが、なぜバイキンマンが倒されないといけないのかの説明は一切ありません。アンパンマンは問答無用でバイキンマンをぶん殴ります。 それに日本中の幼児は熱狂するわけです。つまり人間の根源として「強い者が悪いやつをやっつける」という話が好きなのだと思います。 スーパーマン以降は、同じことをやっても「ただのパクリ」になってしまうので、顔を隠したり道具を使ったり、色々変化を入れてくるようになりました。 でもトムとジェリーも「ネズミを食べようとするネコがちょっと間抜けで、ネズミの狡猾な罠にいつも引っかかって返り討ちにされる」というストーリーは変化ないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。 そう言われてみればコミック(漫画)流行は日本も含めてそんなに昔ではないですね。 日本では少なくとも流行したのは明治になってからでしょうか。(江戸時代にあるわけないですが)。あるいは日本の流行はアメリカに影響されたせいかもしれません。ヒーローものも何種類もあるというのではなく確かにスーパーマン以前のものは当方は知りません。 同じような筋書きの話が何回も繰り返されてしかも飽きさせないところがすごいんですがやはり「正義の味方が勝つべき」というのは永遠の真理なんですね。また善悪離れて弱者が強者に勝つのが「ヒーロー」というのもやはり「永遠の真理」なんだと思います。
お礼
ウルトラマンはともかく水戸黄門まで思いだされたのは素晴らしい。確かにそうですね。黄門様はお金があるんだから各地を見物して歩けばいいところを、正義のためにわざわざもめ事に首をつっこみ悪党にいじめられていた方を助けてめでたしめでたしで終わる。事なかれ主義ではないんですね。現実が事なかれ主義だからこそアメリカでも日本でもこういう物語が繰り返し作られるのでしょう。ご回答ありがとうございました。