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池袋事故について

池袋事故の飯塚幸三被告についてWikipediaで調べてみると、 立派な功績を上げ、博士号まで取得されている方ですよね。 その方が自分の起こした事故についてなぜ車のせいにするのか解せないですが、 飯塚被告を個人的にご存じの方はどう思われているのでしょうか? もう一つ、Youtubeをみていると、とにかく被告が悪いと決めつけたものばかりで、車の落ち度が無いと言い切るのは、メーカーの検査結果が問題無いというものだけで、それを疑うものは何も出てませんよね? 実は私個人は、前職(分野は全く違います)で、検査の内容に踏み込んで不備を見つけ、結局出荷停止に追い込んだ経験があるので、こういう事例は気になって仕方ありません。

みんなの回答

  • tetsumyi
  • ベストアンサー率25% (1946/7535)
回答No.6

この被告は頭が良いだけに裁判で刑を免れるまたは軽くするために何ができるか実力を持った弁護士と相談して一貫して同じ主張を繰り返しています。 ブレーキを踏んだと言い続ければ過失ではなくて老化によるまたは脳の認知機能の低下による事故であったと結論付けるしかなくなります。 あくまでも過失は認めない方針で、裁判で有利に運ぶ最もずる賢いやり方です。裁判官の知恵を試される大岡〈またはソロモン〉裁きに期待したい。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.5

先ず、皆さんがどれだけの事を知ってるのか? 自分はニュースの類いからしか情報を得てない事なのですが。 「なぜ車のせいにするのか」 …本人は「操作を間違えた記憶が無い」と言ってます。 ならば、当事者としては「車が勝手に」としか思いようがないという事でしょう。 「車が勝手に」という部分では、メーカー側は「そんな事は無い」としか言いようがないでしょう。 しかし、そのどちらの言い分が正しいかは、当事者の言い分以外の検証が為されたとは聞いてません。 誰だって自らの記憶を否定するなんてのは、拷問でも受けない限り有りえない事だろうと思います。 世論は全て、「加害者が全面的に悪い」という前提でしょう。 それを「絶対」とする前提の下では、如何なる検証も不要という事でしょう。 勿論、メーカー側の言い分も絶対という前提でしょう。 それも検証不要という事でしょう。 私自身も、車の不調で修理に出したところ電子機器による検査の結果「不調は見当たらない」として突き返された経験があります。 関連する部品を実際に分解検査した結果の結論ではなかったのです。 その後、技術経験の長い修理技術者に依頼したところ、 不調の状態から想定した一部の部品に劣化が見つかり、それを検知するセンサーにも劣化が有ったために、メーカーの電子機器による検査では不調を検知できずに「検出された異常は無い」との検査結果が出ていたのです。 機器の作動を表示するランプが不調なんてのはザラに有る事です。 それを「機器が全て正しい」とする前提では、多くの不調が運転手のせいになってしまいます。 …その辺りの検証が為されたという報道は、今事件では一切目にしてません。 それは何故なのか、非常に疑問を感じてます。 メーカー側の検証はメーカーの正当性を追認するのが目的となります。 自らの正当性を否定するような検証を行うメーカーなんて有ろう筈がありません。 つまり、全ての検証は「メーカーには誤りが無い」という大前提の下に行われています。 今件の加害者は高齢のために普段から運転に適さない体調だったと思われます。 あれ程の事故を起こしてしまったからには、そのショックから最も重要な部分の記憶が消えてしまう可能性は高いと思われます。 もし本当に記憶が無いのなら、「本当の事を言え」と追及されたら「本当に記憶が無い」としか答えようがないでしょう。 嘘でもよいから「間違えましたと言え」と強制されて従うなら、 実際には残ってない自らの記憶を「偽証」する事になります。 私自身、加害者を弁護するつもりは全く有りません。 事故を起こす可能性が有るにも関わらす自ら運転して、重大事故を起こした事実は確定してます。 自らの年齢的な事情を無視した結果なのですから、 全ては自己責任であり自業自得であり、高齢が情状酌量の理由にはなりません。 事故の重大性を鑑みる限り最大限の刑罰を受けるべきです。 その意味では、弁護側の無罪論も完全否定されるべきでしょう。 しかしながら、加害被告の「記憶」については「嘘か本当か」の検証が避けられてる事自体に疑問を感じてます。 なぜ被告側も検察側も、記憶に関する事実の検証を行わないのか? …そこに大きな疑問を感じてます。 この事件は検証可能な情報が何故か非常に少ないのです。 被害当事者の感情が救われる為にも、 全ての疑問点が検証確認された上で、納得できる結果が求められるべきだろうと思っています。

  • pluto1991
  • ベストアンサー率30% (2015/6674)
回答No.4

なんかちょっと違うと思うのですが、 人を殺した人が裁判を受けるときに 「いや、本当に殺す気なんてなかったんです」 というように「言い訳」をして刑の軽減を求めるでしょう。 これは当然のことで 「殺したかったから殺してやった」 なんて言ったら死刑になりますからね。 弁護士だって軽減の助言をしますよね。 だから飯塚被告が 「アクセルを踏んだつもりはない、車が壊れていたのだと思う」 というのは弁護士の役割的に全然当たり前のことなんです。 それは違うだろって判断を下すのは裁判所の仕事。 だから普通の話なのですが、事故当初から上級国民として逮捕されなかったとか、特典を受けていたから批判殺到、裁判における当たり前が当たり前でなくなってしまっているのだと思います。

  • kon555
  • ベストアンサー率51% (1842/3559)
回答No.3

 裁判の様子についてはこの記事をどうぞ。前半は被害者家族の感情論が主ですから、事実関係については『◆15:30 検察官「アクセルペダル踏み続けた」』以下ですね。 https://www.tokyo-np.co.jp/article/116868/5  まず車の落ち度というか、メーカーの検査結果についてです。  第一に、彼には認識能力、判断能力の疑いがあります。  そもそも車が仮に暴走し始めたなら、無理矢理壁に突っ込ませるなど物理的に止める方法はあります。そうした対処は出来なかったか、思いつかなかったが、暴走した時にアクセルペダルは見たしその記憶は間違いないという。この時点で既に主張がおかしいんですよね。  さらには22年ごろから物損事故を5回も起こしている、という点もあるようです。  次に車の構造上の特徴があります。  記事の中にもありますが、基本的にブレーキとアクセルを同時に踏んだなら、あんな速度は出ないのです。またブレーキは完全電子制御ではなく、油圧でも作動するようになっています。  油圧機構は物理的な物ですから、壊れたりすれば勝手に直ったりはしません。しかし事故後の警察とメーカーの調査で、車両のブレーキ等に異常は認められませんでした。  つまり彼の主張を正しいとするなら『電子制御のアクセルとブレーキが同時に壊れ、ブレーキの油圧機構も動作せず、しかし事故後には勝手に直ったし、警察はそれに気付かなかった』となります。しかも根拠は自分の記憶のみです。  メーカーの検査の内容に踏み込んで云々、というレベルでないのはお分かりかと思います。  最後に、飯塚幸三被告を個人的に知っているわけではないですが、別に功績や博士号が人格や正直さを保証するものではないでしょう。  また彼の経歴を見るに、機械系の知人もコネも唸る程あるはずです。それこそ本当に彼の主張が正しく、メーカー側の検査内容に不備があるならば、そうした主張を徹底的に展開するはずです。  しかしあくまで彼が主張する証拠は自らの記憶であり、確率論的にほぼありえない事例について『故障した可能性は否定できない』と述べるばかりです。  勿論そうした超絶レアケースがたまたま発生した可能性は否定できませんが、それはいわゆる悪魔の証明という『どんな可能性もゼロとは証明できない』という以上の意味を持ちません。

  • no_account
  • ベストアンサー率45% (1660/3617)
回答No.2

>車の落ち度が無いと言い切るのは、メーカーの検査結果が問題無いというものだけで、それを疑うものは何も出てませんよね? 事故当時の他車のドライブレコーダーや防犯カメラなどの映像ではブレーキペダル事態が踏まれていなかった可能性は高いです 映像ではプリウスのブレーキランプは点灯していないんです ある程度、車の構造を知っている者なら例えブレーキ機構や電子制御装置に異常が有ったとしてもブレーキペダルを踏めばブレーキランプは点灯する単純な構造だと知っています そのブレーキランプが点灯していないのですからブレーキペダル自体が踏まれていなかった可能性は高いです

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34517)
回答No.1

>飯塚被告を個人的にご存じの方はどう思われているのでしょうか? 息子さんなどのご家族は「罪を認めて謝罪して欲しい」といってるようですね。ご本人(だけ)が、頑なに「自分はアクセルは踏んでいない」と主張しています。 >車の落ち度が無いと言い切るのは、メーカーの検査結果が問題無いというものだけで、それを疑うものは何も出てませんよね? 車の落ち度を証明するデータが、今のところ何も出てきません。被告の弁護団も、それを証明できていません。 今のところ自動車に不備があって「ブレーキを踏んだのに止まらない」あるいは「アクセルを離したはずなのに減速しなかった」というのは飯塚被告本人の証言しかありません。 映画「12人の怒れる男」や「空飛ぶタイヤ」や「ハドソン川の奇跡」や空調服を巡る裁判にあったように、無実の罪だったりメーカーが改ざんしたり何かの陰謀や思惑があって個人に責任を負わせようとした場合は、何かの無理や不備があるものだと思います。 質問者さんの過去の経験も、不備を見つけたのがそこまでに至ったものだと思います。 もし本当に何かの不備があったのだとしたら、弁護側はそれを明らかにする義務はあると思います。弁護側も被告を罪人だと決めつけていて仕事を放棄しているのでしょうか?それとも不備があるのに気づかないほど無能なのでしょうか?あるいは車には何も問題はなかったのでしょうか? それをやっている裁判だといえるでしょうね。

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