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応援すること

普通、全く知らない人を応援しないと思うので そう思うと人のことを応援するって「応援することで何かしら自分にメリットがある」という気持ちがあるのでしょうか。 考えすぎでしょうか。 例えば何々高校の全く知らない誰々が受験に失敗したところで自分には一ミリも関係ないので気にしないと思います

みんなの回答

回答No.7

全く知らない人を応援しない事もあるのではないでしょうか? まぁ、杓子定規に何事も捉えずに、自分が推している人を応援することはあるでしょうし、知らない人の行動を知って応援することもある。 そう考えてみると、生きやすくなるような気がします。

  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1333/3622)
回答No.6

過去の自分の経験と重ね合わせて、どう感じるかじゃないでしょうか。 たとえば自分が応援していないA高校が負けそうであったとして。 過去、自分が会場まで応援に行って負けてしまった試合があったとしましょう。試合展開はあの人同じ。このままいけばA高校は、あの時のように負けてしまう、そんな思いに駆られたとしたら? 同級生が大泣きし、自分も抱き合って大泣きした悔しさが、ふと胸にこみあげてきたとしたら? 思わず「がんばれ」「負けるな」そう願うことはあると思います。 メリットがどうこう考える前に応援していると思いますが、それでもなにかしらのメリットを出してほしいというのなら。 一緒になって応援して「喜びたい」ということになると思います。 受験生を応援するのも同じじゃないでしょうか。 自分が特に受験に関して強い記憶を有していないなら、質問者さんと同じように「ああ、受験生なんだな」くらいにしか思わないかもしれません。 ですが、自分が落ちて悔しい思いをしたとか、だれかの受験を応援したなと思えば「がんばれ」と言いたくなることもあると思います。 小さな子どもがようやく立ち上がり、一歩歩いては尻もちついて泣いていた。そういう記憶がまざまざと蘇るなら、同じくらいの子どもを見れば、思わず応援したくなるでしょう。 たとえ見ず知らずの相手だとしても、応援したくなる相手には、なにかしら自分の心を揺さぶられるものがあるんだと思いますよ。

  • citizen_S
  • ベストアンサー率41% (272/649)
回答No.5

No.4、追加です。 >普通、全く知らない人を応援しない 逆に、自分の知っている人=自分に直接つながりのある人=自分に利害関係があるからこそ、 自分の知っている人でないと応援しない という考えのほうが「応援することで何かしら自分にメリットがある」という気持ちが根底にあるのかなと思うのですが。身内意識や身内びいきというのも、自分に直に影響があると思うからこそでしょう。 だからこそ、 >高校の全く知らない誰々が受験に失敗したところで<自分には一ミリも関係ないので>気にしない となるのではないでしょうか。

  • citizen_S
  • ベストアンサー率41% (272/649)
回答No.4

まったく知らない人への慈善や奉仕、無償の人助けについても言えることですね。 損得関係抜きでその行為自体に意義を感じる人もいますから、普通は全く知らない人を応援・支援しない、とは言いきれないと思います。 また、共感(感情の共有)、感情移入や同情も全く知らない相手にありえます。 脳の構造的にこれらが欠けている人はべつとして、個人差はあれど、エンパシー能力が高い人は自身へのメリットはなんたるかなどと考えずに本能的な反応として「応援する」こともあるでしょう。 シンパシーがある人なら、恨みなどの否定的な感情を持っている相手でなければ、だれかが受験に失敗したと聞いて「がっかりしているだろう→お気の毒に」というのが最初の反応になると思います。 「財布を落としてしまったらしい。だれか拾って届けてくれていればいいが」と書きこみを見れば、たとえ知らない相手でも「ふん、そうか(無関心)」とはならず「見つかりますように」と内心願う。 自身はエンパシー・シンパシーともに低いと自覚していますが、このような反応が普通と世の中を見るかぎりは思います。

  • hiro_1116
  • ベストアンサー率30% (2555/8267)
回答No.3

全く知らない質問者の質問に答える人が大勢いる、これも応援の一つだと思いますが、何故そんなことをするのでしょうね。 もちろん、回答するために自分の考えをまとめたり、場合によっては自分の知識が間違っていないか確認したり、何らかのメリットがある場合もありますが、全くメリットを感じなくても、「これ知ってるから教えてあげよう」と思うことも少なくありません。

  • Sakura2568
  • ベストアンサー率42% (2135/5050)
回答No.2

そうですね 私も赤の他人が試合に勝とうが、契約にこぎつけて会社に利益をもたらそうが私に直接の影響がないなら1ミリも気にしません。 でも、人って何かを通して「仲間」とか「同じ気持ち」を体感したいんだと思います。 それが一時的でも限定的でもいいから 駅伝の選手を沿道から応援する人たちは隣近所の人と同じことをすることで自分がコミュニティの中に受け入れられているという安心を得たり、同じ気持ちをアピールすることで仲間意識を感じたいんだと思います。 私たち、同じ気持ちよね、 同じ時間を共有できてうれしいよね って感じではないでしょうか 中には誰とも話さず一人で応援する人もいますけど あれはあれで「俺はチームのために頑張っている!」というアピールをすることが目的なのでしょう。 それぞれ他人が戦っていることに乗じて自分なりのかかわり方をしているだけなのでしょう。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.1

1。普通、全く知らない人を応援しないと思うので  でも、選挙に出る何見知らない人や、外国の英語で誰かはあら吸っている場合、知らない人に応援することはあり得ると思います。 2。そう思うと人のことを応援するって「応援することで何かしら自分にメリットがある」という気持ちがあるのでしょうか。  そう言う場合もあると思います。 3。考えすぎでしょうか。  いいえ、そうでもないと思います。応援したくなければ誰にも応援せず、応援したければ、応援すればいいだけのことです。 例えば何々高校の全く知らない誰々が受験に失敗したところで自分には一ミリも関係ないので気にしないと思います

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