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歴史的な鍵の概念について
例えば家屋に鍵をかける習慣っていつから始まったんでしょうか? 日本は西洋文化になるまで、鍵はせいぜい用心棒や突っ張り棒でかけておくか、 引き戸の真ん中の穴に棒を挿すくらいだったでしょう。 いつから日本はドアに今のような鍵の形で施錠をするようになったんでしょうか? やはり西洋文化の影響ですか?
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万葉集に、「鍵」が登場する歌がいくつかあり、古代の日本でも家の鍵が使われていたことがわかります。 万葉集巻第九にある長歌(1738) …周淮の珠名は 胸別の ゆたけき吾妹 腰細の 蜾蠃娘子(すがるをとめ)の その姿(かほ)の 端正(きらきら)しさに 花の如(ごと) 咲(え)みて立てれば…(中略)…隣の君は あらかじめ 己妻(おのづま)離(か)れて 乞はなくに 鎰(かぎ)さへ奉る… 珠名乙女(たまなおとめ)という伝説的な美女がいて、あまりに美人でスタイルがよいので、既婚者は妻と離婚したうえ、頼まれもしないのに家の鍵さえ渡したというのです。もちろんこれは伝説ですが、家に施錠することが行われていなければこんな歌は詠めないでしょう。またこの鍵は単純な突っ張り棒などではなく、人に渡せるもので、この「家の鍵」が主婦権の象徴になっていたらしいことも伺えます。 また、次のような「掛け合いの歌」もあります、(巻第十二 3117・3118) ○門立てて戸も閉してあるを何處(いづく)ゆか妹が入り来て夢に見えつる。 ○門立てて戸は閉したれど盗人の穿(ほ)れる穴より入りて見えけむ 「鍵をかけた」とは書かれていませんが、盗人が穴を掘って入るのなら、門を閉めて戸が開かないように鍵をかけていたことになります。 なお各地の古代の遺跡から、「海老錠」と呼ばれる鍵が見つかっていて、古い物は飛鳥時代にまで遡るようです。これが建築物の扉の施錠に使われたのか、それとも櫃(収納用の箱)などの施錠に使われたのかは検討が必要ですが、冒頭の万葉集の歌などから、「家の鍵」に使われた可能性はあると考えます。 もちろんこのような形で施錠するのはある程度以上の「豊かな家」の場合だけです。同じ万葉集でも「貧窮問答歌」に登場するような貧しい家では鍵は買えませんし、そもそも盗られるようなものはないでしょう。
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- staratras
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No.4です。少し補足します。都市部で一般の庶民の住まいで「鍵を掛ける」ことが普及したのは、江戸時代ではないかと考えられます。その傍証として、以下の川柳があります。 ○初午はまず錠前を覚えさせ ○初午は世帯の鍵の下げ始め (宝暦九年=1759年) 初午の日に寺子屋に入学する慣習があり、子どもが寺子屋に通い始めるのに合わせて母親が働きに出る家庭も多かったため、子どもに家の鍵を持たせて、開け方も教えたという意味です。 なお後者の句に関しては。これを初午の日の女児のままごと遊びと見る解釈もありますが、その解釈でも「初午のままごと遊びは女児が将来女房となって鍵を腰に下げて世帯を切り回す手始めだ」という意味ですから、「一般家庭にも鍵が普及していた」ということには違いがありません。 もちろんこうした防犯意識は、場所により大差があり、昭和も戦後になっても、通常は家に鍵を掛けることがなかったような、よく言えば「恵まれた土地」もあったでしょう。九州出身の回答者が子どもだった1960年代でも、寝苦しい夏の夜は窓などを網戸にして開けっ放しで寝る家が街中でも珍しくはありませんでした。当時ルームクーラーと呼んだエアコンがある一般家庭などまずなかった時代です。
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- rikimatu
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家で鍵をかけるみたいなのは恐らく明治後期から大正時代にかけて普及し始めたと思います。このころから西洋風の家が増え始めて、関東大震災や戦争などでだんだんと建て替わったりして言ったので増えたと思います。
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- SPS700
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#1です。補足です。 「朝鮮通信使」の報告に出てくる、貨幣のことですが、それまでの朝鮮では世宗のような王様でも、ハングルは『訓民正音』の序にも(我々は漢文で書けるからいいが)「愚民」でも読み書きができるように作らせたものです。 察するに王様でも旅の日数だけ家来に運ばせても賞味期限は限られ、日数分の食べ物は重いから行動半径が狭い、しかし、行く先々で金で新鮮な物が買え、遠くまで行け、軽い。我々もこうしましょう、ということだったようです。
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- tzd78886
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そもそも庶民の家には盗まれるようなものは無かったからです。今みたいにプライバシーがどうやらと言われるようになったのはごく最近で、見かけない人物がいればたちまち目をつけられますし、大家(家主ではなく、今で言う雇われている管理人です)が目を光らせています。一戸建ては少なく、街中では大抵長屋暮らしです。物を大量に持っていても置く場所はありませんでしたから最低限の物しかありません。
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- SPS700
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1。例えば家屋に鍵をかける習慣っていつから始まったんでしょうか? 鍵は、泥棒が出来た頃でしょう。15世紀に日本に来た「朝鮮通信使」の世宗への報告には、日本には「貨幣」というものがある、我々も物物交換をやめてそちらにしては、というのがあるそうです。 2。日本は西洋文化になるまで、鍵はせいぜい用心棒や突っ張り棒でかけておくか、引き戸の真ん中の穴に棒を挿すくらいだったでしょう。 それは、普通の民家の話で、江戸の小唄にも「お金蔵破り」のジンバヤジュウロウ(すみません、耳で聞いただけないの漢字がわかりません)というのがあります。 3。いつから日本はドアに今のような鍵の形で施錠をするようになったんでしょうか? 正倉院は、一種の倉庫ですから、その頃から、鍵はかけていたのではないでしょうか。 4。やはり西洋文化の影響ですか? それよりずっと前からだと思います。僕はその頃生まれていませんし、お金のいらない田舎にもいたことがあり、そこでは鍵もプライバシーもありませんでした。
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ありがとうございます。
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