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どうして、不祥事とか、訃報に対して、みんな途端にそ
どうして、不祥事とか、訃報に対して、みんな途端にそっとしといてあげてという割には気になって、讃えたり、前者の場合は、批判しといて、 その人を庇ったりするんですか?庇う必要ないやん。嫌いなさいよ。って思う。被害者も加害者にも同じ。批判、嫌う割には、甘いんですよ、すっごい激甘なんですよ。肩持ちすぎ。なんに対してもね。
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- g27anato
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回答No.2
昔から有る、 オバチャン同士の「井戸端会議」ってのと同じだね。 最近はメディアの関係者やネット中毒の若い連中が、 昔ながらの慣習をいまだに引きずっている。 …イヤ、 拡散や煽りも入るから、それ以上か。 あまり賑やかなんで参加する時も多いけど、 腹ん中では「あ、そうなん?」って、 …いつも思ってる。 みんなが騒ぐから「~過ぎ」ってなるんだな。 「総コメンテイター時代」って事なんじゃないの?
- kana1104
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回答No.1
それは貴方の考えなだけで、人それぞれの考えがあります。 何か問題を起こしたら、その人をすぐに切り離すことは簡単です。 でも、元に戻そうとすると、一からになります。 許す、受け入れるも、大切なのではないでしょうか。
補足
よく思うのは、不倫って、その人に、その名の罰を与えてるんだと思う。これはきっかけにすぎない。他じゃ難しいから、そうなっただけ。不倫相手は、例えるなら、不倫相手を装って、ホントの正体は、彼ら日頃の行い、振る舞いに対しての罰執行者及び暴露人なんだと思う。成り済ましてるだけなんです。