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加害者に同情するか、被害者に同情するかの分かれ目

よろしくお願いします。 私の知っている人に、必ずと言って良いほど加害者(適当な言葉が見つかりませんが、犯罪に限らずちょとしたことも含めて)の肩を持つというか、事情をおもんぱかる人があります。 たとえば、何か人にイヤなことを言われて愚痴などを言ったとします。 本当にその人に悪気があったのかな?、誤解じゃないの?と必ずそういう反応です。あなたが悪いのじゃないかと言いたげです。これは例で、誰にでもいつでもそうです。 テレビニュースなどの犯罪でも、犯人にも事情があったかもしれないという態度です。犯人は決して悪く言いません。 私もどちらかというと、加害者にも事情があったのだろうと配慮する方ではあるし、社会全体による排除感情には賛成ではないのですが、無理にでも理由を見つけては加害者に同調するというのも、事実をねじ曲げているように見えます。 被害者への配慮よりも、まず加害者の事情への配慮が来ます。自分が被害的な位置にある場合、あちらの同情ばかりするので、ちょっと腹が立つこともあります。 こういう人、周りにいますか? いったい、そういう反応をしない人と何が一番違うと思いますか?

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  • kira-ra
  • ベストアンサー率20% (42/209)
回答No.3

その御友人はご自身の人生の中で、何らかの体験があったんじゃないでしょうか? 刑事事件というほどではなくとも、どちらかと言うと非の割合が多いと思われる方が一方的に被害者面して、むしろ加害者の方を攻め立てるような状況を実際見た事があるのかも知れません。 そういう他人の態度をみて「嫌だな」と強烈に感じた過去の経験が何らかあるとか。 個人的にはどういう場合も一方的な状況はありえないと思っているし他人事であればこそ客観的に物事を見られると思うのですが、自分の身に起きた事であったら社会的に加害者とされてしまったら「相手にも非があった」という事実を叫ぶでしょうね。 実際、そういう場合も多いことから情状酌量ってあるんでしょう。 勿論100%加害者が悪いという例だってあるはず。 逆にこういう事例を身近で体験した人なら、常に被害者に同情的でしょう。 殆どの人が例え無意識でも実体験やそれに準ずる形で自分の印象・記憶に強く残っている事例を判断基準にしていると思う。

noname#20467
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 冷静なご意見ですね。体験から、様々なことの判断基準が出来ていますので、その人の判断基準もそうなのでしょうね。そして、加害者の背景にもそれを読もうとするのでしょうね。

その他の回答 (7)

回答No.8

社会的な犯罪行為と、cyuubu-nが愚痴を話したときの話は違うと思いますが 犯罪は、理由を探って犯罪を減らしたいという理念は分かります 日本には罪を憎んで人を憎まずという概念もあり それに近づけようという気持ちも働くと思います。 ただし、どんな理由があろうと、その犯罪は駄目だという判断も必須です。 TVなどでは、悪いのは当たり前、という前提で作られていると思ってます。 元々加害者というのは非難されて罵倒されて当然という意識があり コレが行き過ぎて、人権無視、酷すぎるのでは?という自制心から 加害者の人権を守るという弁護士を中心とした姿勢があります 近頃は、新たに被害者家族の人権も考えようという風潮です その時代によって流れもあり 近頃は、裁判員制度が近づいた事もあって、動きも激しいです cyuubu-nさんが愚痴を言った時の周りの反応についてですが 人間関係において、相手を変えるのはかなり難しいです コチラが変わるほうが、ある意味、簡単なのです。 自分を変えることで避ける方法が見つかれば、かなり有効です。 相手を非難することで気持ちが軽くなるという事も ストレス排除の意味で有効ですが 今後の対策を考えるのなら、相手を見て判断し、自分の対応を変えた方が有効的 どちらが悪いか?ではなく 何を考えた方が、今後のcyuubu-nさんのためになるのか?を 優先して考える人が居ます。 とくに、男性の多いように思いますが 愚痴だけ聞いてくれれば良いんだよ~男って分かってないね というのは、この場合が多いように思います。 cyuubu-nさんの求めている反応が分からないとズレは生じますよね

noname#20467
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 犯罪と私の愚痴を一緒にしたのは無茶でしたね^^。 一緒にしたつもりはなかったのですが、何に関してもそういう反応ですので、そういう意味で書きました。 前向きにものごとを解決していこうという姿勢で、そういうことでしたら、良いのですけどね。

noname#20467
質問者

補足

ありがとうございます。 もしかしたら、誤解があるかもしれませんので、補足しますね。事実が明らかな場合でも、加害者側にしか同情することを言わないということです。たとえば、秋田で子供が殺されましたね。死んだ子供への同情は「一切ない」ということです。 それと、「私に対して」だけと取っている方がおられるようですが、それは違っていてただの例です。個人的にそういうことをそれほど言う関係ではありません。 お礼につきましては、長文が多いため、後ほどゆっくりさせていただきますが、私と皆様の視点の違いが想像以上に大きいことを実感いたしました^^。まさしく、向こうへの配慮ですね^^。←責めてるのではありませんよ^^。

noname#153101
noname#153101
回答No.7

こんにちは。 周りに・・・・・私がそう考えるタイプです。 ただし、非人道的な行為(例えば犯罪)を正当化したりはしません。 犯罪は犯罪。 でも、その罪は何が基準になっているのか、というとまた趣旨が違うのですが、そこが違うのかなと思います。 「いわゆるその罪」を正面から見るのか、後ろ・斜め・裏側から見るのか、そこで見えてくるものって違うのだと思います。 だからこそ、加害者であっても考慮できないわけではない、という中立の立場です。 事実を捻じ曲げているのではなく、見えるものが違うのだと思います。 それはわざとらしいものではなく、ものの見方だと思います。 ものの見方は、経験や感性で違うものではないでしょうか。 非人道的な行為に至った「経緯を考慮する」事は、冷静な目だと思います。同情という感情ではないと私は考えています。 対して、どちらかの「味方になる」事は、感情的なもの。 感情的なものの見方に触れると、私も腹が立つことがあります。

noname#20467
質問者

お礼

冷静的で視点での回答ありがとうございます。 可能な限り公正な立場で回答をしていただいと思っています。 経緯を考慮することは大切ですね。でも、正当化することは違うというのもそうですね。その人がそこをどう考えているかはよく分かりませんが、さすがに明らかな犯罪を正当化まではしていないでしょうね。見えているものが違うということではあるのでしょう。 「味方」というのとはちょっと違いますが、心情的にも加害者に「同情的配慮」をする人です。 ただ、場所によっては、いつも加害者側に配慮するのではなく、被害側の人にも一言欲しいと思ってしまうのですけどね。それは他人への不当な願いということなのかもしれませんね。

  • aqucent
  • ベストアンサー率39% (78/200)
回答No.6

何か真似しているようですが、私もどちらかといえばそういうタイプです。 物事にはいくつもの側面があり、1つの捉え方で接すれば偏見となるように感じています。 ニュースを鵜呑みにする風潮への反抗から、バイアスがかかっているのかもしれません。 > 自分が被害的な位置にある場合、あちらの同情ばかりするので、ちょっと腹が立つこともあります。 こういっては失礼かもしれませんが、一般的には被害者に同情する傾向があると思います。 私にもその傾向があると自覚しているので、「加害者の立場でも物事を見なければ」とバイアスをかけます。 つまり、一度はニュースを信じて被害者に同情的な立場を取りますが、「ちょっと待てよ」と待ったをかけるのです。 そうすることで、加害者と被害者、両方の立場から物事が見えるようになります。 これが身についている私は、「被害者側の立場だけから見ること」を極端に恐れます。 ですので、いち早くバイアスをかけるために、まず先に、「加害者側の立場だったら…」と 加害者よりな立場を取ることで心の安定を図るのです。 この事から、先に口をついて出る言葉は「加害者より」な事が多いですが、 実際には、両方の立場から物事を見つめようとしています。 どちらの側にも立たない中立な立場で傍観しようと努めます。

参考URL:
http://www.google.co.jp/search?ie=euc-jp&lr=lang_ja&num=30&q=%a5%d0%a5%a4%a5%a2%a5%b9%a4%c8%a4%cf
noname#20467
質問者

お礼

冷静な回答ありがとうございます。篤実なお人柄が伝わっていますよ。 >この事から、先に口をついて出る言葉は「加害者より」な事が多いですが、実際には、両方の立場から物事を見つめようとしています。 どちらの側にも立たない中立な立場で傍観しようと努めます。 それですと理解も出来ますし、嬉しいですね。加害者側にも事情があるために、普通見えないそれを考慮した結果、そちらよりに見えてしまう、とうことでしょうか。 その人については、少しうがったものの言い方が、被害側に失礼になることを知っていただけるとありがたいのですが・・。

  • teiou68k
  • ベストアンサー率28% (202/721)
回答No.5

マスコミは得てして「どちらかが悪い」的なバイアスをかけがちだから逆の目で見る必要もあるんじゃないかな?と思います。 #でなければ、オ○ム真理教の時にあたかも犯人の様に扱われた河野義行氏の様な人が生まれるわけがない。 > テレビニュースなどの犯罪でも、犯人にも事情があったかもしれないという態度です。 まっとうな意見だと思いますよ。必ずと言っていいほどマスコミはどちらかが悪いように決めつけた上で、それを正当化するような情報を無理に流しているように思います。 例えば、ですが。痴漢で捕まった人が中学校の文集にネタ(悪ふざけで)「将来の夢は世界征服です(笑)」と書いていたとしたら「中学校の頃から征服欲が強く・・・」的な流れと共に中学校の文集のこの部分が放送される、とか。 > 無理にでも理由を見つけては加害者に同調するというのも、事実をねじ曲げているように見えます。 確かにその通りなのですが、貴殿はマスコミが放送していない部分での加害者・被害者の情報、人となりをどれだけ知っていますか? マスコミで放送されている事が全てだと思いますか?結局の所、貴殿もご友人も事件の氷山の一角しか見えていないのですよ(勿論私も) そういった観点で見ればご友人の様な視点で見ることも必要だと思います。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
noname#20467
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 おっしゃる通りだと思っています。マスコミ情報に関しては、私も決めつけてみるのは良くないと思っておりますし、質問文にもある程度、そのことは入れたつもりですが、文章がその人の非を書いてますから、そうは見ていないように見えたのかもしれませんね。 念のため、オウム事件の時は私は容疑者は推定無罪の立場を貫いていましたよ。 加害者に「しか」同情しない、ということなのです。そのため、被害者の立場にある人が、痴漢にあったことなどを相談すると、二次被害になりそうな心配があります。これは実際にはみていません。ただし、ネットで加害者よりに同情する人が、これをやっているのはよく見ます。

noname#20467
質問者

補足

ありがとうございます。 もしかしたら、誤解があるかもしれませんので、補足しますね。事実が明らかな場合でも、加害者側にしか同情することを言わないということです。たとえば、秋田で子供が殺されましたね。死んだ子供への同情は「一切ない」ということです。

  • n_kaname
  • ベストアンサー率22% (694/3099)
回答No.4

相手の心情を思い計ることができる方なんじゃ? 不倫でもそうですが、不倫は絶対にダメだという人と仕方ないのではないかと言う人の違いは、自分がその立場に立つことを考えられるか否かだと思います。 寝取られる立場でしか自分を考えられない人と奪う側への想像も出来る人。 犯罪の場合もそうで、自分が犯罪者だったら、と思える人は加害者の気持ちも考えられるはずです。しかし自分は絶対に犯罪者にならないと根拠もなく思っている人は、自分を被害者の立場にしか置けず、慮ることもできないのでは。 過去に辛い状況に陥ったことがあるから、考えられるのかも知れません。 そう言う自分は犯罪者側にいつか立つのではないか思っているので、つい動機の裏側を考えてしまいますね。

noname#20467
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですね、犯罪者にも事情があり、それを考えてあげることは大切ですね。私も人間カテで、不倫問題でで大勢でたたいているのは見るのは好きではありません。 でも、加害者側にしか同情しないというのも、何か違うものを感じてしまうのですね。

  • yakyutuku
  • ベストアンサー率14% (267/1890)
回答No.2

私もそういうタイプです。周りに流されて一人を悪者にするのが嫌いですし、周りが皆で批判するなら今さら自分まで批判する必要ないと思います。それにそこで本当に全員で批判してしまえば、関係の修復が不可能になりかねません。

noname#20467
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですね、全員で批判することはないですね。でも、同情はしてもいいかもしれませんね。

noname#20467
質問者

補足

ありがとうございます。 もしかしたら、誤解があるかもしれませんので、補足しますね。事実が明らかな場合でも、加害者側にしか同情することを言わないということです。たとえば、秋田で子供が殺されましたね。死んだ子供への同情は「一切ない」ということです。

回答No.1

私は、どちらかと言うと、そういうタイプの人間です。 個人間のトラブルなどについて話をするとき、 「責任の所在や同情よりも、なるべくどちらにも偏っていない状態で様々な原因となる可能性を考え、解決策を一緒に探すこと」を心掛けています。 被害者には、自分の言動だけを最大限に善意で解釈し、加害者の言動には理解を示そうとすらしない、という傾向が多かれ少かれあります。 その場合、第三者である私が、「わざと」加害者の言動を善意に解釈することで、初めてバランスがとれるという事もあると思っているので、そうすることが結構あるのです。 犯罪ニュースなどについては、私はそうではないかもしれませんが、少なくとも様々な可能性を色々考える≒マスメディアや警察発表を鵜呑みにしない、という点では同じかもしれません。 すいません、ほんとはもう少し伝わり易いマシな長文を書いたんですが、間違って消してしまい…もう仕事なので乱文で失礼しました…。

noname#20467
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私も質問文にも書きましたが、程度の差はあるでしょうが、回答者様とほぼ同じ事を心がけるようにしており、どちらか片方だけの味方をするということではありません。 そうですね、片方だけの味方をして皆で責めてしまうのは良くないですね。情報にも注意がいると思います。

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