漱石は『虞美人草』を嫌っていたのか
内田百閒に『漱石先生雑記帖』という本があります。他の本にも収められているのかもしれませんが、この中にある『「百鬼園日記帖」より』に『虞美人草』について次のようなことが書かれています。
(抜粋)
・篇中で一番優待せられてゐる甲野が非常に浅薄できざな人格だといふ事。いやにむつちりして思はせ振りな哲学者気取りが鼻につく。
・宗近もいけない。あんな人格は小野さんでなくても軽蔑する。いや味のなささうないや味だらけだ。
・先生が善玉として描いた二人ともが今の心で読めばまるで贋物であるには驚く。
・小野丈が真面目な人格に、書くときの先生の予期を裏切つて、人間らしく描かれてゐる。小野のすることと云ふこと考へることは、大凡真面目で全人格的であるところが甲野よりも数等上の人格に見える。
・虞美人艸は晩年先生が非常にきらつてゐたのを、ただぼんやり其文章技巧の点からだと思つてゐたけれど、漸く先生の心持がわかつた。虞美人艸を書いた折はまだ先生も甲野をああいふ風に見る程度の人であつた。
う~ん、すごい斬り捨て方ですね。でも、質問は、百閒の意見をどう思うかではありません。(それも関係ありますが)
★漱石が晩年『虞美人草』を嫌っていたというのは本当ですか。漱石自身の文章で、そのようなものが残っているのでしょうか。
(漱石自身の詳しい言葉が残っていれば話は早いのですが、なかった場合、)
★漱石が晩年『虞美人草』を嫌っていたとすると、それは何故だと考えられるでしょうか。想像でかまわないのですが、回答者さんの考えるところを教えてください。
百閒が言うように、善玉を取り違えていたから、人物を見る目がなかったと後になって気づいた、からなのか。それとも別の理由があるのか。くわしい方のお考えをお聞かせください。
よろしくお願いします。