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死の窓口なるもがあってもいいんじゃないでしょうか?
死の窓口なるものがあってもいいんじゃないでしょうか?具体的に言いますと相談では無く判定です。死を望んでる人に対して国が死に場所を提供する。色んなとこで死なれても迷惑ですからね。人には死の選択権があってもいいと思います。この人は本当に死に値するか国が審査し決定すれば死に場所を与える。ある死刑囚は人を殺しておいていざ自分が死ぬとなると命乞いする者もいると思います。死刑制度がある日本ではそれは致し方ないと思います。死刑囚の中にはいざ自分が死に直面すると命の尊さや大切さ等理解できるかもしれません。それと同じで国は死の選択権と死に場所提供だけではなく付加価値として死の選択権を与え死に直面させる事で命の尊さ等を思い直し踏み留まらせる事もできるのではないでしょうか?しかし私は自分の命は大切になど綺麗事は言いません。人には命の選択権があってもいいと思います。周りに悲しむ人がいなければ...。
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貴方の思想の全てを誰に任せれば良いですか? 「裁判官」に関しても、世間、世論とは掛け離れたチンプンカンプンな裁きをしても騒いでいるのは、関係者一部だけ。 NHK報道ですら追跡世論調査をしない。民間放送と同じくドラマ作りに勤しんでいる。 NHKに視聴率って必要ですか? 「弁護士」は、何が何でも減刑、無罪を勝ち取れば業界では有名人。 「検察官」は、決定的な証拠がなければ、殺人も不起訴。 唯一、国民が選んだ内閣政府(法務大臣)も勉強不足で発言権が無い! これだけ死刑囚が順番待ちしているのに死刑執行のハンを押さない。 生命の尊さについて誰が熱く語ってくれるのでしょう!? 誰に任せれば良いと思いますか? 投票選挙するにしても名前が出て来なければ話になりませんよ。
- yaasan
- ベストアンサー率22% (2726/12281)
>何かしら恵まれてるのでしょう。綺麗事しか言えない人は。 じゃあ、この場で悠長にこんな質問ができるあなたは恵まれていないとでも?コロナで財政的に苦しくて生き死にを実感している人はこんな話はできませんよ。 という事はあなたも同様です。あなたの迷い事も綺麗事と変わりはありませんね。
補足
コロナで必死になってやってる人でも質問はできます。私がそうですから。あと刑の執行は仕事です。嫌なら辞めればいい。本当の肉親や本当に仲のいい友人でなければ人が死んだ悲しみなんて一瞬です。四十九日を迎える頃にはほぼ忘れてます。他人事です。自分の生活がありますからね。心の葛藤があったせいかあなたの答えが綺麗事に見えました。すいませんでした。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11082/34532)
>本当に死にたい人だけがくる場所 そんな人はいない。そういう人はそんな場所を作らなくても勝手に死ぬ。死にきれないからそういう場所を求めるのです。そして死にきれないなら、死ぬ必要はない。 勘違いしているのはむしろ君のほうです。もし君が「心から死にたいと思っている」なら、それはうつ病(もしくは抑うつ状態)です。 もし君が今日1億円の宝くじに当たったら、とりあえず今日は死なないでしょ?その1億円を使い切ってから死んでもいいやと思うでしょう。「死にたい」なんて気持ちは、そんなものなんですよ。 SNSで「一緒に死んでくれる人を募集します」といって殺人をやった人が逮捕されました。彼の元に行ったのは、確かに「死にたい」と思ってそれに同意した人です。でも犯人は「死にたい人を探していたけれど、本当に死にたい人は一人もいなかった」と供述しています。いざ殺されるとなると、みんな命乞いをしたそうです。
補足
ですから質問文にも書いてあるでしょう。死にたいと思ってる人がいざ死に直面すると命乞いする命の尊さを考え直す。抑止にも繋がります。そういう機関でもあると言うことです。全てが全て死を受け入れる訳ではありません。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11082/34532)
そんなもん、まっぴらごめんです。なんで生きるか死ぬかを国に決められないといけないのですか。生死は自分で決める問題で、誰かに決めてもらうことではありません。 質問者さんは「この人が生きていいか死ぬべきか」の判断をすることができますか。なんの権威と権限があって「お前は死んでもいいよ」っていえるのですか。そんなもの、人に決めてもらうことではありません。
補足
eroero4649さんは何か勘違いしてらっしゃいますね。それが嫌なら行かなくていいでしょう。生きればいい。本当に死にたい人だけがくる場所。生きたいか死にたいかは本人の自由です。
- yaasan
- ベストアンサー率22% (2726/12281)
自死は自分への殺人罪です。そんな存在を国がわざわざ作り出すような機関を作らなくていいでしょう。 自殺者はそのほぼ全てが一瞬の気の迷いで自殺を行います。普段から死にたいと思っている人もいないわけではないですが、その一線を越えるかどうかは行動する直前に決めて行動するのがほとんどです。ですから、人に話している時点では死ぬ気は大きくないと言えるでしょう。問題は死を踏み留ませる上に生きる意味や価値を与えないといけないことかと思います。それは今あるNPOでも十分ではないですか。 >周りに悲しむ人がいなければ...。 人は他人の死に直面したら多くの人は悲しみますよ。死刑囚が死刑を実行するのでも刑務官の心が壊れそうになるのですから。たまたま近親者が少ない、いないという人はいるでしょうが、それでも悲しむ人は出ます。そこは勘違いしないでください。
補足
何かしら恵まれてるのでしょう。綺麗事しか言えない人は。
- kappa1zoku
- ベストアンサー率29% (334/1137)
芥川龍之介の「河童」の世界では、生まれてくるときの選択の自由が子供にはありました。 子どもというより胎児ですが、この世に生まれたいかどうかを聞くのです。 死ぬことはどうせ決まっていることですから、生まれて来るかどうかの選択の方がよいかも知れません。 でもな、生まれて見ないと分からないこともあるからな。
- -ruin-
- ベストアンサー率31% (239/770)
確かに死ぬ自由ってのはないんですよねどういうわけか。 といってもそんなことを任せられるほど信用のおける国とも思えませんが。
補足
そうですね。仰る通りです。誰しも嫌がるでしょう。しかし死の決定場所提供は建前で抑止が前提です。それならば志願者もいるのではないでしょうか?あくまで理想です。僕の理想は非現実的です。こんな国に生まれたからには仕方のない事かも知れません。