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警戒心こそ、不幸の源なのでしょうか?
警戒心こそ、不幸の源なのでしょうか? 調べたら、警戒心が強い人は何かを抱えているとありました。 自分も二度騙されて、それから苦しい人生になってしまいましたし。 でも、ある程度の警戒心は必要ですし。
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警戒心は最低限は持つべきものだと思います。 確かに警戒心が強い人の裏側には、誰かに裏切られたという辛い過去が 潜んでいると思いますが、裏切られても全く警戒しないのは、また同じ 痛手を繰り返す原因ともなります。その点で、ある程度の警戒心は必要 だと思います。 ただ、警戒ばかりしていると自分だけでなく他者も窮屈になり、交際範囲 を狭めて幸せを呼びにくくしてしまう気がします。裏切られた苦しい経験 を起こさない程度の警戒心を持ちつつ、他者と向き合えば不幸を呼び起 こす機会は格段に減ると思いますね。
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- fujic-1990
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> 自分も二度騙されて、それから苦しい人生になってしまいましたし。 前段との話のつながりが分かりません。 警戒心がなかったから=不幸でなかったから、二度もダマされたのではないでしょうか? 警戒心がなかったから=不幸でなかったから、二度もダマされて、その結果、苦しい人生になってしまった。警戒心さえあればダマされずに済み、苦しい人生にもならずに済んだはずなのにぃ😭、という話の流れになるのではないのでしょうか? 最初からある程度の警戒心を持っていればダマされなかったのに、と思いませんか? 質問者さんの体験談は、「警戒心こそ、不幸の源」ということではなく、「警戒心"不足" こそ、不幸の源」なんだ、という話になる流れだと思われます。 なので、接続詞は逆接の「でも」ではなく、順接の「だから」「なので」であるべきだと思います。 自分も二度騙されて、それから苦しい人生になってしまいました。 「だから、ある程度の警戒心は必要なのです!」 と。 ------- <前段について> 警戒心の根っこにあるのは「不安」だと思います。 例えば武漢コロナウィルスに感染するかもしれないと不安に思うから、マスクもせずにパチンコ屋に行く人間を警戒するわけです。ダマされるかもしれないと不安を持つから、甘い言葉を吐く人間を警戒するわけです。 健康や老後資金、なんについてでも「不安をもって生きること」は楽しくありませんよね。俺が感染するはずはない、とか脳天気に信じられる(一切不安を持たない)バカは幸せです。 その意味で、「不安(警戒心)こそ、不幸の源なのだ」と私は思います。
不幸の源など人によって違うし、多岐にわたる。 そうやって原因を想像で特定して決めつけ、 視野が狭くなる事のほうが良くないと思うよ。 あるがままを受け入れつつ慎ましく生きてれば そうそう騙されないと思う。