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ニューヨーク市の治安
今日ではニューヨーク市は全米で最も安全な都市上位10位以内に入るほど治安が良く、女性同士でも街中を安心して歩けるとも言われています(ただし東京などに比べると治安はよくないようですが)。 けれども西暦1980年代のニューヨーク市では毎年2000件以上の殺人事件が起きていたとか、警察官も毎日が生きるか死ぬか(殉職する警察官も多かった)という地域もあったなどという都市伝説的な話もありますが、実際はどうだったのでしょうか? (当時のニューヨーク市では麻薬等も蔓延していたらしい)
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質問者が選んだベストアンサー
1989 年から半年程 Philadelphia に滞在後、2000 年までの 10 年余、New York に住んでいました。 1980 年代の New York 5 Borrow (Manhattan、Brooklyn、Queens、Bronx、Staten 島) 及び私が住んでいた Nassau County は概ね御質問者さんの御想像通りでしたね。 Philadelphia では大学に通い始めて直ぐに近くの Apartment が爆破されて数十人の死者がでましたが、その原因は数ヶ月前に大学院生だった中国系女生徒が強姦殺害された事件で被害者の家族が警察よりも先に犯人を割り出し、犯人が住む Apartment ごと爆破したのだそうです……被害者の女学生は費城 (Philadelphia の中華街) の実力者の娘だったらしいのですが……。 私は英語を早く上達させたくて、大学の南門脇にある Pub と道路を挟んだ正面の Apartment を借りたのですが 3ヶ月弱の間に私が住む 2 階の窓には 2 個の銃弾孔が開き、天井に弾がめり込みましたので、流石に引っ越しました(笑)……仲良くなった Pub の Master にその話をしたら「馬鹿だなぁ、オマエ、酔っ払いはみんな銃を上に向けて撃つんだよ! オマエんちの窓は丁度良い的なんだよなぁ(笑)」と言われてしまいました(^◇^;)。 Lethal Weapon という映画が公開された日は映画館内で客達と警備員との銃撃戦が始まって死者重軽傷者が何人もでましたし、会社の社長を殺すのに Building に軽飛行機が突っ込んだ事件もありましたね(^_^;)。 友人達が夜、治安の悪い North Philadelphia を見に行くといって車で出かけたのですが、30 分もしないうちに Front Glass を粉々に割られて蒼い顔をして帰ってきました(^_^;)。 Philadelphia 時代に NY (New York) Manhattan に遊びに行った時、42nd Street で痩ノッポとチビデブの黒人に肩をぶつけられ、彼等は持っていた買い物袋をガチャンと落とすな否や「どうしてくれるんだよ、兄ちゃんっ! 今買ったばかりの酒が台無しじゃねぇか!」と因縁を付けてきたのですが、見せつけられた領収書の日付が 2ヶ月前のものなのを見た私は吹き出してしまい「いいともぉ、話合おうじゃないのぉ! 54th に NYPD (New York Police Deaprtment) があるからじっくり話そうかぁ?」と言ったら「そうじゃねぇよ! ここで Conversation すんだよっ! Con Ver Say Shon (おっはっなっしっ)!!」と必死で喰い下がってきたものの「怖じ気づいて金を出す日本人じゃねぇな、こいつは」と悟ったのかスタコラ逃げて行きました(笑)。 当時はまだ地下鉄に落書きがしてあって、毎日数人が射殺されていましたね。 私が NY に移った翌年は夕方の TV News で殺人事件現場に急行した TV Crew が 1~2 件、生々しい映像を流していましたが、毎日数人が殺されるということはその 2 倍以上の重傷者、3 倍以上の殺傷事件が起きているという事であり、翌日には News 扱いにはならず、新聞の片隅に誰それが死んだとしか載らない状況でした。 麻薬でラリった地下鉄の運転手が前の車輌に突っ込んで、Platform に転がり出て直ぐ Beer をがぶ飲みして捕まった事件もありましたね……酔っ払おうとラリろうと罪だよ罪っ(笑)! 数年後、NY 市長になった "Rudy" Giuliani III は公約通り NY の警察官を 3 倍に増員、それからはどんどん治安が回復してきましたね。 ……でも私が居た 90 年代は日本と較べればまだ想像が付かないほど恐ろしい処でしたが(笑)……。 私は湾岸戦争直前に夜半 Manhattan で Hold Up を喰らって $600 盗られてしまい、駆け込んだ 9th NYPD で朝まで入れ替わり立ち替わり刑事に事情徴収されていい加減切れかかったところ、署長 (級の人?) が Coffee Cup を薦めて「悪いなぁ、みんな、オマエさん今 East River に浮いていない事が不思議なんだよ(^_^;)。知ってっか?、オマエが Hold Up 喰らってた頃、丁度 1 Block 先で日本人が刺し殺されたんだよな。今頃日本じゃ新聞ダネになってんぜ!」と言われ、愕然としたものです。 有名な大きな Hotel で筑波大の教授が Elevator で刺し殺された強盗事件もありましたね。 その事件で友人から「本当に良い Hotel は Front が客の顔を全員覚えていて客以外の者は絶対に Front 前を通さない小さな Hotel であって毎日数千人が出入りして従業員も数百人いるような大きな Hotel が良い Hotel だと思うのは日本人だけだ」と教わり、納得したものです。 Times Square 付近は「地球の歩き方」という書籍にかなり治安の良い安全な場所と記されてあったと聞いて吹き出した思い出があります……何しろ、誰が教えたんだか(笑)、黒人が「Happah! ハッパーッ! 葉っぱぁ!(Marijuana のこと)」と日本人観光客らしき Asia 人達に向かって叫んでた場所でしたから……。 1990~2000 年の間に射殺された遺体を 3 回見ました……初回は真夜中に真暗な駐車場で、遺体を踏ん付けてしまった(^◇^;)。 2 度目は大学で至近距離から撃たれて脳漿が飛び散った遺体でしたねぇ……3 度目はバラバラ……もういいか(^_^;)。 撃たれた事もあります……Glen Cove で犯人を追ってた警官が発砲した (13 連発の SIG を走りながら斉射しやがった) 弾丸が壁に跳弾して足に当たったのですが、跳弾だったので大怪我はせずに済みました……でも家に帰って警察に勤めている友人に言ったら「うーん、Golf の Gallery って言えば納得するか?」と言われました……つまり、流れ弾に当たって死んでも補償なんかないんだよ! ということです(^_^;)。 日曜日に路上で小物を並べて売っている CUNY (City University of New York) の女の子に「ねぇ、銃、持ってる?」と聞いたら「当ったり前でしょっ!」と Bag から小さな Automatic Pistol を出して見せつけられたのにはびっくりしましたね(^_^;)。 日本に帰国して翌年や翌々年に NY に遊びに来た友人達は例外なく御地蔵さんのように福々しい体型と柔和な顔付きになっているのをよく嗤ったものですが、かく言う私も帰国した初年に 10kg 以上太り、今では当時よりも 20kg 近く、胴回りも 20cm 近く太くなってしまいました。 NY 時代は歩道の車道側も建物側も絶対に寄らず、歩道の真ん中を戦場の兵士みたいにピリピリしながら歩いていましたから、毎日肉を数百g 食べても全く太らなかったのですが、日本に帰った途端、劇太りになりましたね(笑)。 まぁ 10 年余の間に「ちょっとずれていたら絶対に死んだよねっ!」って体験が 10 以上もあり、日本では考えられない奇想天外な体験が数多くあって、それを Home Page に載せていたら日本の出版社本を書いてくれと連絡が来たほどなのですが(爆)、障害が残るような怪我をせず、大病にもならずに帰って来れたのは奇跡みたいでしたね(笑)。 海外旅行の際には是非とも油断をしないように! 正直、帰国して直ぐに気付いたのは「日本人ってホントに平和呆けしてるよなぁ(^◇^;)!」でしたから……。
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- SPS700
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実際はどうだったのでしょうか? 下記によりますとニューヨークの crime rate index は 1980年 6.9116 2018年 1.7916 となっています。 http://www.disastercenter.com/crime/nycrime.htm