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人間は野望に取りつかれる必要があるか
〔NHKスペシャル〕「神の数式」という番組を観ました。 その中で、「物理学者はその数式を求める野望に取りつかれているのだ。」って言葉が印象的でした。 物理学者に関わらず、人間は野望にとりつかれることが必要でしょうか?
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別に必要はないと思います。 ただ、それをどう呼ぶかは別にして もし、大きな達成感を得たければ、とても誰にも出来そうにない困難な目標を持つことは必須条件だと思います。 当然ながら、その結果を喜ぶ人が多ければ多いほど賞賛は高まります。 後、賞賛してくれる人の質が高ければ高いほど本人の満足度も高いでしょう。 「神の数式」などはその典型だと思います。
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人間は野望に取りつかれる必要はありません。しかし人間は誰かの野望の成果によって人間らしく生きています。多くの失敗の後で盲腸の手術を成功させた医師、エンジンや飛行機や自動車を発明した人、民衆を糾合して用水路を作らせた弥生時代の王、電話を発明した人や電波を研究した人、歌を書いたりテレビで歌ったり映画を撮ったりする人、最初に火を支配したサル。人間はひとりひとりを見るとサルそのものです。人間の定義とは群れに中に野望を持つ者がいる猿の群れです。
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南部陽一郎さんは、「大きな夢を抱いて ほがらかに生きよう」とのメッセージを贈ったらしいです。 https://www.city.toyonaka.osaka.jp/joho/shoukai/meiyosimin/meiyosimin/001nanbu.html 野望は必要です。でものために、他人を踏み台にして、達成しようととするのは、ダメですね。 「ほがらかに生きよう」も大事なのでしょうね。猿ではないで、、
- SPROCKETER
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人間に野望が無かったら、今のような世界になっていないでしょうね。野望を持たない人間しかいないのであれば、白人、黒人、黄色人種の棲み分けが明白な地域ばかりで、民族紛争なんか起こるはずがありませんし、大昔の生活を今も続けているでしょう。もちろん、産業革命も情報革命もインターネットもなく、文明そのものが無かったかもしれません。 野望が無い人間というのは、要するにダメ人間で、大きな目標を自分で作って実行する意志がなく、結局は何も成し得ずに終わる人です。そういう人しかいなかったら、農業社会、工業社会、情報社会の何れも実現出来たはずがなく、原野で猿と同じ生活をしていただけでしょうね。
お礼
>もちろん、産業革命も情報革命もインターネットもなく、文明そのものが無かったかもしれません。 南部陽一郎さんは、「大きな夢を抱いて ほがらかに生きよう」とのメッセージを贈ったらしいです。 https://www.city.toyonaka.osaka.jp/joho/shoukai/meiyosimin/meiyosimin/001nanbu.html 野望だけではダメで、「ほがらか」も必要かもしれませんね。
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>もし、大きな達成感を得たければ、とても誰にも出来そうにない困難な目標を持つことは必須条件だと思います。 死ぬまで、目標を持てたら最高ですよね。 ハンス・ベーテって人、スゴイです。 既に80代になっていた1990年にも、いわゆる太陽ニュートリノ問題に関連して重要な論文を残している、、、らしいです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ハンス・ベーテ