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1970年代後半のフォードと湾岸諸国の関係

1970年代後半に、米国のフォードモーターが湾岸石油産油国の反感?を買った理由をご教示願います。 そもきっかけは、とあるモータースポーツ関係英語書籍の記述によります。このころのフォーミュラ1レースにおいてフォードは有力なエンジンサプライヤーであり、フォードエンジンユーザーのレーシングカー製造者は自らの名前の後ろに「フォード」と添えてクルマの名としていました。"Lotus Ford"とか"Mclaren Ford"等です。それが、1970年代後半にフォードが湾岸諸国の「ブラックリスト」(←記述通り) に乗ったために、湾岸オイルマネーのスポンサーシップを欲しているレーシングカー製造者たちはクルマの名前に"Ford"に替えて実際にエンジンの開発製造を受託しているコスワースエンジニアリングの"Cosworth"を添えるようになった、というものです。まさしくオイルマネーへの忖度です。 ただし、それがどのようなことだったのかそれ自体を私は知りえず、「反感」という言葉で言い表せることなのかよくわかりませんので、あまり語感には囚われず当時のフォードと湾岸諸国の関係をご存知のとおりにお聞かせいただきたく存じます。

みんなの回答

  • nagata2017
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回答No.2

フォードのF1用のエンジンの歴史を見ると 自然な流れのように見えます。 そういう湾岸諸国との裏の関りがあったかどうかとは無関係なところに理由がありそうです。 F1のエンジンが 1500ccから3000ccに変更になったのが1966年 コスワースが独立開業したばかりで資金不足だって時代にフォードの資金援助を受けて そのエンジンを開発した。 それがレースデビューしたのが翌1967年 デビュー戦でポールポジションと優勝を勝ち取り フォードは 他のチームにも供給したので ほとんどのチームがフォードエンジンを使うようになった。 一方コスワースはその実績で一気に資金力がついて フォードの後ろ盾は必要なくなった。 そんなところにチーム名の付け方に変遷があったのだろうと思われます。 ネットのない時代にも そういう事柄を組み合わせて 面白おかしくフィクションしていく人々もいたでしょう。 コスワースはフォードの資金を受けてエンジンを開発した。 それをフォードのワークスチームで使い優勝した。 フォードは量産して 他チームにも供給した。 だからフォードの名前がついている。 その後は フォードの資金を受けずにチームからの依頼でコスワースが設計したエンジンも作られるようになった。それはフォードのエンジンではないので コスワースの名前がつけられた。

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6892/20375)
回答No.1

ちょっと疑問なんですけど F1はフォーミュラカーを広告媒体として ロゴをプリントしていますが 湾岸諸国がスポンサードするとしたら ロゴはどんなことになるのでしょうか。 それともそういうことは関係なく お金だけ出すということですか? あっそうか レース場を作っ無償提供とか・・・・・・ 「サウジアラビアグランプリ」なんて

COPPINO
質問者

補足

具体的にどのようなスポンサードがあったかは詳細を存じませんが、一つ私が知る例として1979年か1980年あたりにウイリアムズという製造者がサウジアラビア航空のスポンサードを受けており、車体には "Fly Saudia" のロゴが大きく描かれておりました。 もしかするとフォードモーター自身ではなく、フォードという名前が忖度の理由だったのではないかと思い、当時のフォード大統領とOPECの関係を調べてみましたが、手掛かりになるような時事は見つかりませんでした。

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