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元の生活、自分に戻れるのでしょうか?

元々は仕事も目標に向かってやってきて、趣味も楽しみ、友達にも恵まれて、普通に楽しく暮らしていて、鬱などは別の世界の話だと思って生きていました。 去年人に裏切られ、そのせいで体にも一生疾患を抱えて生きていかなくてはいけなくなり、そこから心身に段々と不調をきたすようになりました。 その出来事の直後は相手に責任を取らせることなどを考えていて動いていましたが、未だに謝罪もなくその期間が長くなるに連れて心身がおかしくなってきました。 せめて早い段階で相手が向き合ってくれていたら、精神的にここまで追い込まれなかったのではないかと思います。 弁護士も入っていますが、弁護士とは求めているものが違うし、私にとっては元の自分に戻れない以上どうでも良いことばかりです。弁護士の言葉により傷が深くなり、ずっと返事をしようと毎週末進めようとしても、なかなか体が動かなくて何ヶ月も経ってしまっています。 何も解決しないで時間が過ぎていき、気分が沈む時間が長くなればなるほどおかしくなってきました。 数ヶ月前から心療内科に通い始めました。 先生には特にうつ病などのはっきりした診断はされていません。鬱状態という言葉は先生は使っていました。 今は死にたいという衝動的な気持ちよりも、その相手にはこんな人生にされるくらいなら。殺して欲しかったという気持ちや、もし死ぬような病気になったら治療しなくてもいいかなと思うような気持ちです。 抗不安薬と睡眠薬を処方されて服用しています。 気分に沈み方がひどく、胸が苦しくなり、動悸がしてきたり、涙が止まらなくなったりすると抗不安薬を服用しますが、そんなことをしていても、そもそももう自分の体は元に戻らない=鬱状態になる原因が一生解決しないのに、この先良くなる、元の生活や自分自身に戻れることなんてあるのでしょうか? 仕事もできているし、友達に会えば楽しむこともできるし、日によっては趣味もできる状態の時もありますが、そういうものが助けになっているとは感じません。辛くなる時間はなくならないし、なにかきっかけがあるとすれば相手への復讐くらいしか思いつきません。もちろんそういうことをすればこの先の人生がまた苦しくなることも理解はしています。

みんなの回答

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.5

無情ということばがありますが、世の中のほとんどすべては自分にとって無情です。道を歩いていて石につまずいて痛い思いをした時、その石は無情です。あなたが憎んでいる相手もこの石のようなものです。人は石と違うと思うかどうかでしょう。自分の体だって無情ですよ。無情に支えられて生きているのが私たちです。

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6878/20342)
回答No.4

刑法に触れない復讐もいろいろとあるでしょう。 復讐で気持ちが晴れるのであれば やってみてもいいでしょう。 弁護士さんは精神的慰謝料を高くふっかけるようなことを言って あなたは謝罪を求めるだけ というすれちがいがあるかもしれませんが 大金を取るということは相手にダメージを与えることになるので 合法的復讐になります。弁護士さんの言うことに耳を傾けてもいいと思います。 呪いの藁人形という方法も。 相手の名前を書き込んで目につくところに放置。

  • oosawa_i
  • ベストアンサー率33% (542/1612)
回答No.3

こんばんは。 いろいろと厳しい状況のようですが、その状態だったら心療内科ではなくて精神科に通うことをおすすめします。 しっかり勉強したカウンセラーまたはセラピストを紹介してもらって、定期的に通いましょう。 きちんと治療のできる精神科医、あるいはカウンセラー、セラピストに通うことによって、あなたは元の生活に戻れると思います。

  • pipipi911
  • ベストアンサー率22% (1029/4602)
回答No.2

Depression とDepressive State は異なるのですが、 共通点は、思考展開、考え方の癖です。 なので、考え方を変えれば、救いが得られるのですが、 考え方を変えるには、人生観・美意識・価値観・ 人生哲学etc.を変えることが前提になります。 進めてみませんか。 ふろく: インフェリオリティ・コンプレックスの有る人や 気の小さい人は、ホスティリティやルサンチマンなどと 相俟って、復讐願望を醸成し易いのですが、 スペインの諺にあるように 「幸福になることが最高の復讐である」と思うことができれば、 救いが齎される確率が低くはありません。まぁ どうしても復讐したいのであれば、 タナダユキさんの『復讐』 モーパッサンの『復讐』 メリメの『コロンバ』 を読んで、復讐をテーマにした小説を書いて、 恨み/敵意/憎悪/怒りの全てを小説の中に閉じ込めてしまうのも 1つの方法です。 斉木香津さんの『凍花』が 参考になるかもしれませんよ。 で、その小説が売れれば、そのお金で シアワセが買えます。 私は、 「人が希望に至るのは絶望に導かれてです」という言葉が好きなのですが、 「絶望は我々の力を倍加する。 (イギリスの諺)」 も、いいですね。 「人は、死の淵に立ったときは皆、天才になるものです。               (『豪華客船ゴライアス号の奇跡』)」 アナタ様も絶望して死の淵に立ち、希望を見つけて天才になってくださいませんか。 「人は、不幸な出来事によって不幸になるのではない。     そのことを不幸だと思うから不幸になる。  (Viktor・E・Frankl)」 というフランクル博士の『夜と霧』を読んでみませんか。 「自分はすべて被害者で、相手はすべて加害者だという考え方は、 決して自分を幸せにはいたしません。なぜなら、それは問題の解決にはならないからです。 何か不都合なことが起こると、自分のせいではなく、相手のせいにしてしまう。 つまり自分はまったく責任はないと思いこむ。 それは大人の生活感覚ではないと思います。 (三浦綾子 『ちいさな郵便車』)」 「人生における悩みは、 できることを、やっていない。 できないことを、やろうとしている。 ここから生まれてきます。   (阿妻靖史)」 どのような被害なのかは不明ですが、 人の真意は分かりませんよ。 アナタ様自身、人間を見極める眼力に欠けていたということは ないのでしょうか。 或いは、その人にとって、アナタ様が 上辺はともかく根本的には疎ましい存在であったということは ないでしょうか。 兎に角、なにかしらが欠けていたので、被害に遭ってしまったのですが、 生命を失った訳ではないのが幸いです。 「映画」や「小説」などに有りますよね。親友と思っていた人が 実際は《ズ~ット、殺したいと思っていた》という怨念を 抱き続けていたというオハナシ。 「天使のように大胆に 悪魔のように繊細に  (黒澤明 映画監督)」 早期に、新たなステージで 活躍できる機会が訪れることを 祈って、います。 苦しんだ人は、美しい。 Good Luck! Ciao.

noname#234721
質問者

お礼

本文に書いた通リ、私にとっては生命を失った訳ではないのが幸いではなく不幸です。 死んでいれば苦しまなくて済んだのにと思います。 スペインの諺はよく聞きますね。相手はそんなこと何も思っていないと思います。別に私を恨んでいた訳ではないので。逆に人の人生なんてどうでもいいと思っている人だからそういうことができる訳ですから、私が幸せだろうと不幸だろうもただ何も感じないでしょう。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34518)
回答No.1

時間の流れは一方向で、明日はいずれ今日になりますが、昨日に戻ることは決してできません。何をどう頑張っても「あの頃には戻れない」のです。 できることは、明日を変えていくことだけです。昨日に戻ることはできませんが、明日を変えることはできます。 楽しかったあの頃の質問者さんは、おそらくうつ病になるような人を「弱い人だ」とかそういう目で見ていたと思います。でもそうじゃないんだということを知ったのだから、成長したじゃないですか。 不幸があるからこそ、幸せのありがたみが分かるというものですよ。そうでしょう?

noname#234721
質問者

お礼

鬱になる人を弱い人とか思ったことは今までも今もありません。 ともて辛く苦しいことがあった人なんだろうと思っていました。 正直なとこら不幸があるからこそ、幸せのありがたみがわかるとかもあまり感じないです。 元々幸せのありがたみを感じて生きていましたので。 将来的にそう考えられると良いのかもしれないですが、今はこの回答が絶望感を増すものにしか感じませんでした。

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