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戦時中の受験勉強の生活と資源不足
- 戦時中の受験勉強の生活について知りたい。
- 戦時中の受験生は贅沢品が手に入らず、資源不足の中で頑張っていた。
- 戦時中の受験生は配給制の中で生活し、甘いものがない状況でも頑張っていた。
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質問者が選んだベストアンサー
戦前の日本は韓国などと同じで徴兵制でした。しかし大学進学者はインテリなのでその徴兵は26歳まで猶予する制度がありました。韓国にも徴兵を猶予したり、特別に優秀な業績を残して徴兵免除となる制度があります。 太平洋戦争が始まったのが1941(昭和16)年で、それまでは日中戦争をやっていたとはいえ、そこまで戦局は押し迫っていなかったので、大学進学者はエリートの扱いをされていました。 なにしろ他の方も指摘しているように、当時の進学率は5%程度でしたからね。大学生というのは「いずれ博士か大臣か」という国を担うエリート候補生だったのです。「村いちばんの秀才」が進学できるかどうか、というものでした。なにしろ進学するにお金もかかりましたのでね。そもそも「受験ができる」という時点で頭も経済力もある種のエリートだったのです。そこをまず大前提として理解してください。9割の生徒は受験とは無縁の人生だったのです。 そして戦局も押し迫った1943(昭和18)年、遂にそのエリートの文系学生たちも勉学を中止して戦争に行かねばならなくなりました。これが「学徒出陣」です。 https://youtu.be/iGGWQloCH2g 雨の中を行進する学生の映像は、どこかで見たことがあるかもしれません。 戦争に動員された多くの学生は、戦場に送られて、あるいは特攻隊で、亡くなられました。この戦争で命を奪われた日本国民は、老若男女合わせて310万人といわれています。東日本大震災による死者・行方不明者が約2万人であるということを考えれば、そして当時の大日本帝国の総国民数(植民地下の台湾人、朝鮮人を含む)が約1億人で今とあまり変わらなかった(日本国内に約7千万人でした)ことを考えると、いかに大きな犠牲だったかということが分かります。 また1944(昭和19)年からはアメリカ軍による日本本土爆撃が始まっていますから、進学を考える学生が多く住む都市部では空襲に遭うようになります。最終的には北は北海道から南は九州まで、全ての都市は爆撃され破壊されました。つまり受験どころではなくなったのです。 https://www.jacar.go.jp/glossary/tochikiko-henten/qa/qa16.html 蛇足: 学徒出陣の映像を見て、あれ?どこかの北の国に似てるなーと思ったかもしれません。その通りで、あの国はいろんな意味で大日本帝国を真似しているんです。特に国民統治のやり方は非常に似ていますね。
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- terepoisi
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戦前までは大学だけでなく専門学校などを含む高等教育機関全体でも 進学率は5%程度です。 受験できる環境にある学生なら相応に裕福か、あるいは授業料免除の給費生になれるほどもともと成績優秀というのがほとんどだったのではないでしょうか。 中には頑張って受験勉強していた人もいるでしょうけど 受験のために何かを用意する、という考え方自体無かったかもしれません。
お礼
進学率が5%ほどしか無かったんですね… 確かに風立ちぬの主人公も裕福な家庭出身でしたよね 参考になりました。ご回答ありがとうございます。
- NAYAMINAKUNARE
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蛍雪の功という言葉があります。 贅沢禁止だったので軍歌でも聞いて、月明かりやそれこそホタルの光で、勉強されていたのかなと思いますが。実際、そんな時代に大学に行く家族は裕福なので今とそんな変わらないのが事実です。
お礼
そうなんですね 受験勉強できる世帯は必然的に裕福だったんですね… ご回答ありがとうございます。
お礼
今とは大学生の立ち場も違ったんですね。 受験どころではないですね… 詳しい説明、ありがとうございます。